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シーカヤック 出艇(エントリー)出来ない日々 2018年から2023年、沖縄 天草

天候次第
 アウトドアスポーツ、海と山の遊びは天候に左右される。中止はよくある事だ。それでも仕事をしていると、休みを調整して、参加メンバーの予定も調整、最善の日程を決めて、予約して、行ってみたら天候不良で中止。
これはなかなか辛い。

 だから、サーファーのように、スケートボードとか他の遊びや、文化的な趣味も持っていた方がいい。グルメでもいい。それでも買い物だけは駄目だ。私は時間を潰せない。

シーカヤック再び
 シーカヤックは2001年に沖縄で初めて経験した。それまで川でのカヤックは何度もやっている。フジタのカヤックも2艇持っていた。

1989年那珂川 

2001年7月初旬
 初めてのシーカヤック、恩納村から万座毛へ、万座毛の洞窟も探検した。参加者は4人、ガイド2人、計6人でのツアーだった。この時は二人艇を3艇、私とY氏以外は、全くの未経験者だった。

万座毛の洞窟
ガイドのM女子、海洋研究者だ
2001年沖縄はまだリゾート地と言うより田舎の海だった

 2001年以降、私は起業した会社の仕事で忙しく、トライアスロンをやるのが精一杯だった。
一方、その時、同行したYさんはガイドのOさんと一緒に長年、沖縄でシーカヤックをやり続けていた。

時は流れ、流れて、私も還暦を越えた

2018年7月初旬
 子育てもほぼ終わり、親も亡くなって、家のローンも完済。
ようやく、心の余裕と時間ができた。すでに高齢者になったが、
ようやく沖縄シーカヤックツアーを実施出来た。

 今回は妻と一緒に行く。
私のツアーは何時も事件が起こる。今回も衝撃的な事件があった。

 シーカヤックで上陸した無人島で、Oさんが昼ご飯を用意している間、
シュノーケルや、ビーチコーミングをしていた。
妻は海からでると、ビーチで貝殻を拾っていた。

「何か、ビーチに動物の骨があるんだけど」とビーチコーミングから戻ってきた妻が私達に言う。
「ヤギの骨はたまにあるよ」とOさん
「何か、違うと思う」妻
「何処?」私と妻とYさんと同行したTさん、ガイドのM女子もついて来た。
「Oさんは?」
「俺はいいよ、嫌な予感がする」

 そして、その場所へ行き、確認すると何と多少皮膚も肉も残っていた人骨だった。頭部がないのでわからなかった。
商船学校出身のYさんが不気味な事を言う。
「沖縄みたいな、珊瑚の多い場所では頭だけ珊瑚に挟まって、ちぎれる事が多い、その辺りにまだ頭があるかもね」
その後、誰も海に潜らなかった。

二人艇の場合、前がエンジン、妻をエンジンとして手を抜いている私
ビーチコーミング、この先に何かがある

2019年7月初旬
 大学生の娘2と妻と私で、7月初旬、沖縄の梅雨明けのタイミングでシーカヤック・ツアーとダイビング目的として沖縄へ旅立った。
しかし、出発後、急に台風並みの低気圧が発生して、ダイビングも含め海に出られないまま6日間沖縄で過ごした。
これは史上最悪だった。

 その後、娘2は別途リベンジし、大学の友達達と2回沖縄へ行きシーカヤックで海に出ている。

*子供(息子(長男)、娘1(長女)、娘2(次女))2024年現在全員 社会人。

2020年11月12-14日
 この時は、疫病蔓延中で格安のクーポンを利用して、Yさんと沖縄シーカヤック弾丸ツアーを実施した。

 今回も海の状況は悪い、何とか海に出て、クジラの化石のある無人島へ向かった。とにかく時間がなく、海から出て直ぐにシャワーも浴びずに帰路の空港へ向かった。 べとべとの体で帰宅した。

イメージビデオ

2021年7月15日-18日 1回目、天草のシーカヤック挑戦
 2018年夏から長崎に赴任している娘1から、こんな写真が送られてきた。
この写真はいろいろな所で、天草の海の宣伝に使われている。

 「こんな写真を送られてきたら、行くしかない」シーカヤック・ツアーでは先輩の私と妻は早速計画をする。

天草の海

 長崎にいる娘1は、地の利を活かして、年に何度も天草の海に出ている。元パタゴニアの社員だったガイドのSさん(師匠)に鍛えられていた。

天草の海

 娘1の家にも寄りたいので、長崎と天草を巡りながらのシーカヤック・ツアーを計画した。九州は梅雨明けしたという予報をうけて、羽田空港を出発した。

 長崎空港は良い天気だ。「最高!」だ。
レンタカーで、島原半島からフェリーに乗って天草へ向かう。

 しかし、晴れたのは初日だけで、島原海峡を渡って、天草へ到着すると、雲行きが怪しくなってきた。そして最近よくある豪雨になる。
翌日から海も荒れ、低気圧が天草灘に停滞した。結局海にでることなく終わった。
夏は何処へ行ったのだろう。近年7月の天候不良が続く。

Sガイド(師匠)のスバル

 さらに、今回は不運が続き、妻が食あたりで熱を出した。このままでは帰路の飛行機に乗れない。(絶頂コロナ禍)
ホテルではなく、長崎の娘1のマンションで療養し、なんとか熱は下がり飛行機には乗れた。

2021年7月23日
 そして、東京へ帰宅後、7月23日、更なるトラブルが待っていた。
今度は、私が急性心筋梗塞で倒れICUへ、死にそうなった。
今思えば、シーカヤック中、天草の海の上で心筋梗塞起こしていたら100%死んでいた。

 天草は我が家のルーツの場所だ。きっとご先祖様が全力で海に行くことを阻止していたのだろう。
「有り難いことだ 南無阿弥陀仏」
隠れキリシタンの里だが、檀家の寺は浄土真宗だった。その辺りはよくわからない。

2022年4月28日―5月5日
 今回、天気は良かったが、2月に家族全員が疫病感染したこともあり、普通の旅行に徹した。天草は陶石の産地なので、陶磁器、窯元も沢山あり、陶器、陶磁器の窯元巡りを妻と娘1とした。思ったより楽しかった。

陶石発掘地

2023年7月14-18日
 さて今度はシーカヤック・ツアーがメインとした旅行だ。熊本空港からレンタカーで天草を目指す。
同行は息子以外、妻、娘1(現地で合流)、娘2と私となった。

 翌朝15日、苓北の港へ船で、イルカと共に娘2がやって来た。船の船長とは顔馴染みになっていた。

 16日に海へ、朝から天気はいい。後は海次第だ。シーカヤックを積んだSさんがカヤックを載せた車で、ゲストハウスへ来る。
今回ホテル泊は初日だけで、よく日から格安ゲストハウスに移った。
今回も娘1が長年御世話になっているガイド(師匠)さんに世話になる。
 
 牛深から北上してながら海を見て、出艇(エントリー)地を探す。
最終的に鬼池港辺りでカヤックをおろすことになった。奇しくも鬼池は、私の爺さんの生まれ故郷だ。

熊本のファクトリーが作る1級品のシーカヤック
マイファミリー

 出艇(エントリー)して直ぐ、私のカヤックが何故か左へ進む、最後は円を描いていた。家族が大笑いしている。どうもラダーが不調だったようで、Sさんが海上で調整し、真っ直ぐ進むようになった。

 後は動画でその雰囲気を感じて欲しい。気温は35度だった。島原海峡、ここで先祖が漁に出ていたと思うと、何かいい気分になる。

 2023年9月、娘2は突然仙台へ転勤する。そこでも松島で冬場に海に出ていた。その高画質の動画。朝焼けの海。

ネイチャー写真を少し

山形 桜と蔵王 
海猫の乱舞

YouTube
 YouTubeへの動画とNoteの組み合わせが、コンテンツの幅を広げる。そう思い試してみた。

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