マウンテンバイク(MTB)の魅力 Happy Holiday
マウンテンバイクがやって来た
1984年、トライアスロンの黎明期から、私はこの特殊なスポーツを始めていた。トライアスロンはその後、知名度を増し大人気となっていた。
一方、その頃から技術革新が目まぐるしいマウンテンバイクが活況を呈していた。元々モトクロスライダーだった私は、この新しいスポーツにも楽しさを見いだしていた。
1990年 MTB購入
やっと念願のMTB(マウンテンバイク・クロスカントリーレース用)を手にいれた。5年前に買ったMTBは、トライアスロンの練習用として使っていた。これは最近のMTBレースで使うにはちょっと重い。なんせサスがない。
そこで今回新たにロックショックスのフロントサスが付いたMTBを購入した。ちなみに1989年12月に私は結婚していた。そしてこのMTBは妻からのプレゼントだった。同時期に私達は練習場所に近い、横浜のチベットと言われていた里山の近くの団地へ引っ越しをしていた。家賃が安いかった。
私はここ5年ぐらい地元でロード(自転車)練習をあまりやっていない。ロードの練習は、車に自転車を積んで、トライアスロンチームの習会に出る程度だった。たまに交通量の少ない近所のゴルフ場周りのクローズコースを走ったりもしていた。それでも高級ゴルフ場、黒塗りの高級車がコーナーから飛び出してくる。日本の要人はゴルフが好きだ。
何故ロードを走らないのか?
それはここ10年位(1990年当時)の間に車が増えた。ATが運転のメインストリームとなり、誰でも免許が取れるようになった。そして、一般人という自分のことしか考えない「隠れ暴走族」が増えている。
この「隠れ暴走族」だが、一見普通の人だが、倫理感とか常識が抜け落ちている。傾向としてミニバンが多い。
この(自分大好き)アイラブ・ミー族は、ウインカーも出さずに道を曲がる。一時停止もせずに路地から飛び出してくる。幼稚園のお迎えに遅れる、スーパーの開店セールに間に合わない。そんな理由でアクセスを踏み込む。しかもジーゼル車の増加(1990年当時)で空気もますます汚染されている。私はとてもロードで練習をやる気分にならない。
その点MTBは練習でも試合でも空気の綺麗な場所を走る。泥やほこりで汚れるけど、排気ガスや油のミストを肺の中に吸い込む心配はない。
しかし、MTBの練習だけではロードは速くならない。これは経験上確かなことで、やはりトライアスロンのバイク強化にはやはりロードとかローラ台の練習が必要となる。
さて本年度(1990年)、私の試合は9月の佐渡トライアスロン以外、大きなトライアスロンの大会へは参加しない。今年はMTBレースに本格的に参戦する予定だった。
とは言え、仕事の都合や家族の用事で、計画は進まず、この夏休みにようやくレース参戦が出来た。しかも、レース2週間前にやっとレース用MTBが納品された状況であった。
レース会場は新潟の上越に位置するキューピットバレースキー場の特設コースである。横浜の田舎からはかなり遠い。
1993年 MTBクロスカントリーレース
スタート直後、登りが延々と続く。スキー場のロングコースを登っている。心泊数はATレベル(下の説明を参考にしてね)に突入している。練習不足の身にはかなり辛い状況だ。
登り初めて15分経過した。ペースを考えずに登ってきた連中がMTBから降りて、「押し」を始めている。MTBの登りは路面状況により頻繁にスリップするので、ラインの取りが重要である。しかし、ベストなライン上でMTBを押している選手が2、3人いるとそのラインを走れない。やばい状態になる。
一歩間違えてスリップダウンすると、急坂途中からバイクをこぎ出すのはかなりキツい。登りは我慢大会だった。次は下りだ。
ダウンヒルへ、ここからは下る一方で楽なはずなのだが、それはマイペースに下るときに限られるのである。
今はレース中、可能な限り速く下る必要がある。路面のでこぼこを拾って振れるハンドルを抑えるのにかなりの腕力がいるし、MTBの全体の挙動をコントロールするために身体全体を使わなければならない。
このコースは全日本でも使用されているテクニカルコースであり、路面も砂利から、山砂、芝と変化にとんでいる。コースレイアウトも縦溝あり、キャンパーが伴うコーナありとライン取りとブレーキングには細心の注意が必要となる。
しかしも私は30分近く登りヨレヨレ状態だ。マシンコントロールに細心の注意を払うにも、疲れている身ではその細心の注意も大まか動作となってしまう。
結局、ギャップでチェーンが一度外れ、その後、タイムロスを取り戻そうと焦り、キャンパーのコーナで転倒した。そして膝に打ち身と肘に擦り傷を作ってゴールした。
順位は総合で116位/286人 男子30歳以上~(私37歳ではちょっとハンディあるな)では 29位/68人。
以上、冒頭からレース報告になったが、今回の遠征は家族サービスが主目的だった。つまり会場近くの高原でのオートキャンプがメインイベントだ。従ってレースはオマケ。そんなことで私は無理をしないレースをした。
家族サービス 移動日
「大型の台風11号が関東直撃か!」
TVのニュースでは、これからレース・アンド・キャンプへ行く自分達にとっては、不安な天気予報が流れていた。しかしそんなことには無関係に連休渋滞する日本の高速道路。
私達家族は渋滞を避けるため朝6時に横浜を出発した。還8で西武池袋線の踏切渋滞(今はトンネルが出来て解消されている)にやっぱり巻き込まれたが、そんなことにはめげずに関越道に入り、六日インターへ向かった。
高速道路は強烈な夏の日差しにさらされ、前を走る車は陽炎の中に揺れていた。そしてラッキーなことに、この強烈な太平洋高気圧おかげで、台風11号は四国方面に追いやられてしまったのだ。
結果、3泊4日のキャンプは暑い日差しの中で、とっても夏らしいキャンプとなった。
6時間かけて、目的地のキューピットバレイ・スキー場に到着。キャンプ場はスキー場のゲレンデ内にあって。MTBの試合もこのスキー場内で行われる。しかし、キャンプ場はゲレンデから離れた山の上の方にあるため、(試合会場までは車で7分ぐらいかかる。)会場の喧噪から離れた静かな場所であった。
またキャンパーも少なく、夏休みの東京近県のキャンプ場と較べたら天国の様な状況である。やはり関越を降りてから2時間弱も山道を走るアクセスの悪さがこの環境を作り出しているのだろう。
着いたその日は、長距離ドライブのせいで疲れた私はきげんが悪い。また車中ろくに食事をしていない息子(1歳6ヶ月)が腹ぺこでギャーギャーわめき、それに反応して妻もブリブリ状態に陥っていた。
これからキャンプはいったいどうなってしまうのかと心配したが、昼食後、スキー場内にある雪だるま温泉(300人も入れる大温泉である)につかり、夕暮れの爽やかな風が吹く中、風呂上がりのビールを飲む頃には、だんだんと家族の緊張もほぐれて来た。
山深いキャンプ場なので、動植物の影が濃かった。夜中テント中で点滅する光を妻が発見し、初めはテントの外で誰かが懐中電灯でも照らしているのかと思ったら、なんとそれはテントの中に入った蛍だった。
蛍を見るのは久しぶりであり、息子は初めてだ。
息子が「おーっ」と言って蛍を眺めていた。その姿がとても印象的であった。また夜空に輝く月も満月に近く、月明かりは強烈で。ライトがなくても十分に明るい。立しょんも恥ずかしく感じる程の明るさだった。
MTBダウンヒルレース
クロスカントリーのコースを練習走行と本番で2回走った僕の足は、夜中に足がつる程疲労していた。
明日はダウンヒルレースであるが、エントリーしていたが出走を見送った。
私はダウンヒルを少し甘くみていた。コースはかなり危険で疲労した体とプロテクターなしでの出走は無謀であった。
この頃からMTBダウンヒルレースはモトクロス並のレースになっていた。
ダウンヒルと言っても、全てのコースが下りではなく、一部登ったりもする。しかし、MTBのセティングと乗りかたは見た限りでは、オートバイのモトクロスに近いと思えた。特にコーナの荷重と身体の位置、完全にモトクロスと同じである。リーンアウトの体勢で外足荷重し、腰は前に置く。つまり身体の荷重点はバイクの前に置き上半身は後ろに持って行く。
自転車をいじるのが好きな人。そんな人にとってはMTBレースはやりがいがある。フィールドや天候等のめまぐるしい変化に対して、その都度セッテイングやアイデアが必要だ。チャレンジしがいがある。
さらにレース場が山や高原だ。空気が綺麗で、人や車との接触など気にせず思いきり走れる。
特にアウトドアの好きな人には、キャンプをしながらレース参加も出来るので、家族サービスが出来る。またレースレギュレーションが細分化されているため、初心者の奥さんや子供も一緒にレースに参加でき、家族で共通体験ができる。
MTB、私の好きなトライアスロンと同じに1980年代にアメリカで産声をあげた、このニュースポーツはトライアスロンにも通じるパワーと魅力を感じている。(あくまでも1990年の頃の感想)
最近のレースの写真とは言っても2015年 私は56才。12年前となる。時間は無敵艦隊の全てをなぎ倒し過ぎ去る。
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