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「それをお金で買いますか」 「買いません」と言えない

「それをお金で買いますか」 マイケル・サンデル著 
アメリカ人の学者の論証を多方面から次々積み重ねていく書き方。読んでいて多少うんざりする。
それでも、体中に発疹ができるという異常な治療をしながら、箱根駅伝をゆっくり観たいので、年末までに読み切った。
箱根駅伝、今回は1区の関東学生連合の選手、新田くんの独走。ここが一番の見所だった。

「それをお金で買いますか」は2012年の出版。
10年経ち再読してみた。
すると、日本ではこの本の指摘通りになていた。つまり市場主義が生活の基本になっていた。
金の為ならなんでもする。何でも金に換算する。コスパが大切、損得で全てを判断する。
メルカリとかオークションサイトでの転売から始まり、驚くようなモノ、何でもかんでも金に変えて売っている時代だ。

本の項目は、こんな感じだ。
1.行列に割り込む
2.インセンティブ
3.いかにして市場は道徳を閉め出すか
4.生と死を扱う市場
5.命名権 スカイボックス化
お題目で内容は大体想像がつくと思う。

会社所有型生命保険
今更驚いたのは、命を扱う市場、それがアメリカではえげつない。
会社所有型生命保険とは、会社が雇用者に対して勝手に保険かけており、雇用者が亡くなれば保険が会社へ支払われる。
雇用者ではなく会社へだ。

3.11テロにおいても、かなりのお金が企業に支払われたそうだ。
これは凄い事だよ。コンビニ店員が強盗に打たれて死んでも、会社は損しない。そうしたら損得的にはどうする。経費的にセキュリティ対策費と保険金を比較する。
これは、薬の副作用と同じで、被害者へ保証する費用より儲けが大きければ、道徳的な判断を誤る。
そんな社会派映画を何度か観ていたが、そのものがまかり通る。

さらに驚く、個人の生命保険だ。
+アルファ(利息みたいなものを個人に払う)を付けて支払いを企業が支払いを肩代わりする。そんな事を商売としている。
そしてその人が亡くなった保険金は企業が貰うことになる。
そんな会社がアメリカにあって、さらにそれを証券化して売っている。
ついていけない。

何でも売る
自分の身体を広告として使う。最近よくある何処で何でも広告を入れる。
日本ではバスとか、タクシーではよく見る。
アメリカでパトカーとか、白バイもマックドナルドのMのマークを入れているとか、その可能性はある。

学校においても、企業から提供された電子教材 iPad、PCを使うと1時間ごとに30秒の企業CMが入ってくる。
昨今のYouTubeと同じだ。昔はYouTubeも牧歌的だった時代もあった。
最近のITソフトは広告だらけだ。

サイバーパンク
球場の特別席、並ばなくてもアトラクションに直ぐ乗れるチケット。
なんでも金により買える市場世界。
持つモノは益々金持ちになり、経済的な格差が拡大する。
そろそろ限界だろう。人間がおかしくなる。いや、なっているのだろう。
椎名誠さんのSF小説、広告が支配する腐敗都市「アド・バード」「オルタード・カーボン」の世界を想像する。サイバーパンク。

さて、「それをお金で買いますか」この本では、市場経済での各種事象、それが正しいのかどうかを色々な事例で検証していく。でも答えはない。
このような回答のない本を読むと無駄とか、感想文とか言う人がいる。
それも正に市場経済に毒されている。
これ読んで儲かりますか、回答を得られますか、ないなら無駄となる。だったら取りあえず2倍速で読書感想文をYouTubeで観る。

最近のネットでのAIから招き出される広告のうるささは尋常じゃない。
子供達は広告ありきで生きていると思うとぞっとするが、実際、出来る子達はそれをブロックしている。
無防備な中年のおっさんの方が一番危険かもしれない。

市場経済におけるGDP
本を読んで思ったのだが、経済の指標となるGDPの増大について考えて見た。
なんでも金儲け、つまり昔は無償で善意、奉仕、贈与としてあった仕事。
子育て、教育、家事、街の掃除、ドブさらいなどの公共の仕事に市場経済を持ち込み金儲けにしただけの話ではないか思った。
これが最近の起業の本質ではないだろうか、便利屋だ。

起業
今まで奉仕とか個人の仕事としてやっていた事に市場経済を持ち込み。そして金儲けにした。それが最近の起業ではないかと思える。
自分の仕事が忙しいからという事で雑用をアウトソーシングする。それって、マッチポンプになっている。
クルクル回り続けるハムスターみたいだ。動いてなしと死ぬような状況だ。

女性の仕事への進出 
女性が外で仕事しても家事は消える事は無い、学校など地域のコミュニティーの仕事もなくならない。
それをアウトソーイングする。または完成品をお金で買う、色んな事を市場経済として金に換算して処理している。

一例でこのように変わっているのだろう。
女性の企業での労働は元々家事、子育てをしないことで可能となる(建前)。
以下同様に等価交換している。
弁当=コンビニ弁当へ
育児=保育園
介護=介護サービス
勉強=塾
遊び=スクール
仕事してお金を儲けるほど、生活が消えて、家族が空洞化していく。
色々とお金による既製品で済ますことで、生活が均一化していく。
個性が消える。家族の関係も希薄になる。家の個性、地域の繋がり、地方の特徴も消えていく。

10年前にマイケル・サンデルは、
「それでいいですか?」
と問うていたようだ。



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