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俺たちの介護           2012年9月12日

癌の発覚2011年、お袋が癌になった。
「大変だ」と言うしかない。
2010年春から、不治の病気となった娘とその中学受験で、大騒ぎしていたが、ようやく目処がついたところにこれだ。参った。
大変申し訳けないのだが、同時期の息子(長男)の大学受験は全く放置していた。
妹達の病気や中学受験で金も無く、考える時間もない、当然、塾も行かせず、自勉で受験勉強をしていたが、それなりの大学に滑り込んでいた。
もう少し、尻を叩いていたら、地頭がいいので、よりいい大学へ進学も出来たかもしれないけど、運命はわからない。

多発性骨髄腫
親父はすでに10年前に他界している。
お袋の病気だが、2011年(平成23年)の4月に発病、入院して病気(多発性骨髄腫)が特定出来たのが5月、進行状態はステージ4(末期ガン)で、余命も宣告されてしまった。また、入院中に膝も悪化して歩けなくなる。こちらも要介護4を認定された。入院するたびに病気が悪化する。そんな例に漏れない状況だった。

自宅介護の開始
抗ガン治療を開始したが、このまま永遠に入院は出来ないと病院に言われ、入院2ヶ月後、自宅での介護と治療となる。
俺も弟の家も、お袋を引き取る物理的な余裕も家族の精神的余裕もないので、どうしようもないので実家(自転車で10分程度)を多少改築し、ベッドなど介護設備をレンタルし、俺と弟で交互に泊まりに行って世話することにした。会社には普通に通わないと、家族が路頭に迷うので、ケアマネジャーと相談して、昼間はヘルパーに頼むことにした。

進行が止まる
半年くらい抗ガン治療をしたが、副作用の幻覚作用が激しく、夜中に暴れる。夜俺たちが寝られないので、医者と相談して、抗がん治療は中断した。
そしてさらに半年、2012年の8月頃、介護タクシーに乗って、毎月の定期検査をしたら、なんと、後遺症で骨は多少溶けているが、治っていた。
「えっ、誤診だった」
医者はもう一度検査すると言って検査したが、進行が止まっている状態だったようだ。それでも、かなり元気になっている。
何で治ったのか、もとい進行が止まったのか、思いあたることはあるが、癌治療ではよくあることだ。

介護とは理解できないもの
そんな事で、半月はデイケアの施設で、ゲストで過ごしてもらうようになり、50%ほど介護地獄から開放された。これは希望の光だ。
よく介護疲れで殺人とかあるけど、理屈と優しさだけでは、親の介護は無理。出来れば他人の方がいいかもしれない。これは子育てと同じで、やらないと、その真実が見えない。
だから、経験の無い人には、ほとんど見えてない。それは無いことと同じだから、理解してもらうのは無理だ。
しかし、何時まで続くのだろう、長く続いて、生きていて貰いたいけど、ちょっとキツい。

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*FBに100本以上あるノートから転載している。

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