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私の忘れられない景色の話 親父の故郷の天草編

まずはお袋の臨終まで話は遡る。
2018年の3月末、お袋が亡くなった。癌で、余命2年と言われたが、7年も生き抜いた。
その間、実家での介護生活が5年間続いた。しかしある日突如回復した。医者も理由はよくわからないと言う。医療ではよく聞く話。
弟が「誤診じゃないかぁ?」というくらい元気になる。

そしてなんと介護の段階がさがり、特別養護老人ホームにも入所出来た。
私も一安心していたが、その安息は1年持たなかった。
冬場に風邪をひき、そのまま動けなくなり、老人ホームは退所。そして緩和ケアの病院に移る。
そこでは、延命治療の説明を受けて、それを受け入れるか、止めるかの判断を迫られた。
ここで拒否出来るほど私は強くはない。

病院へ行くたびに、食が細くなり、生気が消えていくのがわかる。遠くを見る目は俺が見えているだろうか?
そして2018年 平成30年3月30日の深夜に息を引き取った。
「診断書は老衰」
そうか、癌は克服したが、寿命だったのか、人生を全うしたようだ。

気持ちが楽になった私は、既に亡くなっている親父とお袋の故郷へ旅することにした。供養旅行という遊びの旅行。

まずは親父の故郷 熊本の天草だ。
娘1が丁度長崎に赴任中なので同行してもらった。

親父の実家の跡の近辺は、時間がとまったような場所だった。過疎化と高齢化の極みのような場所。寂しい景色だ。遠くに鬼池港が見える。

祖父の出生地 鬼池湾 

一方、天草は隠れキリシタンの地だ。ちなみに我が家は浄土真宗。
せっかく天草に来たので。さらに南下して、隠れキリシタンの村、﨑津集落へ向かう。
漁村の諏訪神社と教会、何とも不思議な光景だ。

諏訪神社の鳥居から見る﨑津教会

マリア像がある﨑津湾、その深さと空の青さ、聞こえるのは海と風の音だけ、静かだ。
「なんて遠くに来てしまったのだろう」
海を見ていると心の澱がどんどん消えてい。久しぶりに得た平穏な時。
「それにしても遠い。こんな所から親父は東京へ来たのかぁ・・」

海峡のマリア像
妻とまどろむ「思わず遠くにきたもんだ」
遠くに﨑津教会が見える
遠くは鹿児島?

﨑津から少し山へ入ると大江教会がある。今何処にいるのか忘れそうになる。

大江教会とインディゴブルー
マリアさま

その後宿に戻り、本渡の串焼き屋で飲む。飲み屋は熊本弁が飛び交っている。東京言葉に少し恐縮するが、皆さん関係なしに大声で話し飲んでいる。
「天草はよかところばい」
散々飲んで、川沿いの夜道を妻と娘1と歩く、見上げると満点の星空。
私は天草を好きになった。

実際毎年天草へは行っている。今年の夏は、念願の趣味のシーカヤックを家族で楽しむ。

島原半島を望む

先祖が生まれた育った天草、鬼池の海、長崎島原半島の海峡だ。
天草の海から見る島原半島。
昭和20年8月9日午前11時2分 長崎の原爆投下時、ここからピカドンを目撃したと親父は言っていた。

私にも柳田国男さんの言う祖霊信仰が根底にあるのだろう。
海は夏の陽射、風が強く吹いてきた。

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