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何度も読んだバイク漫画 「ケンタウロスの伝説」に関わる話

バリバリ伝説
 バイク伝説の漫画としてはこちらが大人気だった。1983年から1991年少年マガジンで連載されていた。
この時期、私は既にモトクロスライダーとして活動していたので、漫画にはそれほど興味がなかった。特に始めは峠の走り屋の漫画だったので読む機会がなかった。

段々レース漫画になっていたようだ

一方、興味津々のバイク漫画一つあった。

ケンタウロスの伝説
作画 御厨さと美 原作 大竹おさむ 
『週刊プレイボーイ』(集英社)に連載された(1981年)
現在、2冊セット15000円くらいで売られている。

ケンタウロスの伝説 

この漫画には個人的に縁があった。
大竹おさむ(オサム)
 原作の大竹おさむ(オサム)氏は、当時ミスターバイク(モーターマガジン社発行のバイク雑誌)の編集長であった。愛読していた。
このオサム氏だが、私の弟、ホンダのHRC(ホンダレーシングカンパニー)に在籍していた弟の学校の先輩だった。その学校は東京の国立大学の附属中学校・高等学校だ。

ケンタウロス モーターサイクルクラブ
 そして伝説となったケンタウロスは、1964年から実在した横浜のモーターサイクルクラブだ。
横浜から神戸にある喫茶店「路地」までコーヒーを飲みに行くためだけに日帰りの高速ツーリングをする「600マイル・ブレンド」のエピソードなど多少イカレタおっさん達のモーターサイクルクラブ。
当時、近所の暴走族達が一目おいていた。あまり近寄らずにいた。

 20才位の頃、私が多摩川で1人でヤマハのYZ250に乗って乗って練習していた時だ。
ここは誰かが作った私設コースだ。そこに髭面のごついオッサンが、あのケンタウロスのマークが刺繍された袖を切り落としたジー・ジャンを着て現れた。二の腕が太い。ポパイ並だ。

 着替えて、スズキのRM250で練習を始めた。
ケンタウロスの話は薄々知っていたが実在するとは驚いた。
「ヤマハか、元気だな」と声をかけられた。そして少し話をした。ケンタウロスはMFJではなくMCFAJだけでレースをしていると聞いた。

ホンダCRと私 1982年

 後に私がレース活動していた時代、MCFAJ主催のレース会場でそのおっさんと会った。その時ケンタウロスの女性ライダーが参戦していた。女性なんて初めてみた。聞くと小学校の先生だという。
「すげーなケンタウロス」
それ以来、この漫画は家宝となっている。おそらく影響を受けたライダーも多いと思う。

御厨さと美
 作画の御厨さと美(みくりや・さとみ)2022年12月14日、74才で亡くなっていた。
知らなかった。
御厨さんは飛行機マニアで飛行機やバイクなどメカニックの絵は秀逸だった。描く女性も可愛い。

 アメリカでパイロット免許を取る日本人女性を描いた 「イカロスの翼」1982年 これは大好きな漫画で何度も読んでいる。

イカロスの娘 未完だと思っている

「素直さと勝ち気がそろってる女の子なんて素敵よ」
 
アメリカの飛行訓練所の教官の奥さんが言う言葉だ。その通りで、1981年、勝ち気な女性が沢山出てきた時代でとても共感した。
そして我が家の娘達も、そう育ってくれた。
なんでも自分でやる。色々な事に挑戦する。男に甘えて生きることはない。
これ以上は不適切な話になりそうなので、お終い。

ホンダCB72 知ってる?
ホンダCB72 250cc 1960 年代の名車だ


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