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私が死にたいと思わなくなった日⑧

こんにちは。おむすびころもです🍙

このシリーズも⑧!やっとタイトルの意味が明らかになってきたところですね!

それでは前回のリンクを貼っておくので、こちらもご拝読ください!

↓↓↓↓↓前回のお話↓↓↓↓↓


↓↓↓↓今までのまとめ↓↓↓↓


止まった時間

祖母の葬儀が終わった翌々日、私と姉はそれぞれの下宿先へ帰りました。

途中まで新幹線が同じなので、隣の席に座っていました。

すると父から

2人とも元気で、また帰っておいで。

と、連絡が来ました。

その文字はなんだかとても切なく見えました。

私が先に新幹線を降り、姉にも別れを告げました。

ほんの5日程の帰省でしたが、下宿先がとても懐かしく感じました。

次の週からは前と変わらない大学生活が再開しました。

友達にははっきりと忌引と伝えていなかったので、みんな普通に接してくれましたが、中には察しの良い友達は、少し私の顔色を伺うように話しかけてきました。

私は大学では、何事も無かったかのような態度をとりました。

ただ純粋に、みんなに心配をかけたくないのと、弱い自分を見せたくなかったからです。

それに、友達の前で泣いたりすると、面倒臭いやつだなと思われるかもしれないと思い、極力元気に振る舞いました。


ある日大学の帰り、私は家の近くのアクセサリーショップに入り、ネックレスのチェーンを買いました。

なぜそんなものを購入したのかというと、それは祖母の残した指輪を、ネックレスにするためでした。

祖母はよく指輪をつけていました。

それが、ルビーの指輪と、ダイヤの指輪。

父はこの2つをとっており、私と姉に渡してくれました。

どっちが良い?と聞かれ、何となく私はダイヤを選びました。

大粒のダイヤがついた指輪は、指にはめるには大きすぎるので、ネックレスにすることにしました。

これでいつでも祖母は私の近くに居る。

祖母を身近に感じることが出来ました。


しかし、家に帰って1人になると、ダメになりました。

とめどなく涙が流れ、ベッドの上でずっと泣いていました。

いつもは大笑いしながら見るYouTubeもテレビも、全く笑えなくなりました。

世界は正常に動いているのに、私だけその場から動けなくなった感覚。


私は、祖母の死を通して気づいたことがあります。

人って本当に死ぬんだ。

当たり前の事ですし、今までだって人の死は経験しています。

しかし今回は目の前で命が消えたことにより、人間の死を余計に深く痛感しました。

私だっていつかは死ぬんだ。
いつか死ぬのにどうして今頑張るの?
どうせ死ぬのになんで人は生まれてくるの?


この「どうせ死ぬのに」という言葉は、今後の私をことごとく支配しました。

そしてどんどんどんどん死にたいという気持ちが膨れ上がりました。

今までだって「死にたいと」思ったことが無いことは無いですが、それらは全てが冗談で、「思ってみただけ」でした。

が、今回は本気で思っていました。

死にたい



命は私だけのものだからさ


それから私は、、どうやって死ぬかを1人考えていました。

なるべく痛いのは避けたいな………
気づいたら死んでるのがいいな………

と思い、練炭や風邪薬の多量摂取、止むを得なければ飛び降り飛び込みなど、色々と考えました。


「死んだら親が悲しむと思うよ?」

この時の私の言い分としては

私の命なのだから、私の好きにさせて欲しい。
私は虐められたりして仕方なく自殺をするのでは無い。
私はもうこれ以上生きる意味がないと自分で判断したから死ぬんだ。
だから誰にも文句言わせない。

…他人が読んだら頭おかしく思われるかもしれませんが、この時は本気で思っていました。

それに、今後私の母や父など、身近な人達の死を経験しなければならないのかと思うと、耐えられませんでした。

これ以上誰かが死ぬのが怖くて恐くて仕方がありませんでした。

きっとその時、私は完全に壊れてしまう。

両親の死を見届けたくない。知りたくない。
それなら先に私が死にたい。
この気持ちでいっぱいでした。

私一人がいなくなっても、姉と兄がいるし、別に何も変わらないだろう。

そう思い、私は死を決意していました。


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ある日、仲の良い友達に誘われて友達の家でご飯を食べました。

友達といる時はやはり笑顔になりますし、楽しかったです。

しかし私はポロッと言ってしまいました。

私、最近本気で死にたくてたまらないんだよね。

その友達は私の祖母の死を知りません。

突然そんなことを言い出した私に、笑いながらも少し戸惑って、「何言ってんの」と話は流れました。

本気なんだよなぁ。

と思いましたが、それ以上深くは言いませんでした。

すると暫くして、なんと友達がケーキを持って来て、それを私の前に置いたのでした。

実はこの日の翌日は、私の誕生日だったのです。

色々あり、すっかり忘れていたので驚きました。

死にたいと言ったその日に、生まれたことを祝われるなんて、なんておかしいんだと笑いました。

祝ってもらえた事は素直に嬉しかったです。

しかし今思うと、私の誕生日をお祝いしようと準備してくれていた友達に対して、「死にたい」なんて言ってしまったこと、本当に最低だったと思っています。

本当にごめんね。祝ってくれてありがとう。


その日以降も大学ではいつも通りの自分を演じ、家に帰ると、祖母との写真を見ては泣き、日によっては物を投げたり叫んだりすることもありました。

今思い返しても、精神的にかなり衰弱していたと思います。


家で何をしていても祖母を思い出すのです。

自炊中お米をといでいると、祖母がお米のとぎ方を教えてくれたのを思い出しました。

リボン結びをしていると、なかなか出来なくて大泣きしている私に、笑いながら結び方を教えてくれた祖母の顔が浮かびました。


誰かに話せば少しはスッキリしたのかもしれませんが、それはしませんでした。

というか、出来ませんでした。

家族に話せば心配をかけるし、友達に話せば面倒くさがれそうだし、みんなだって忙しいし…。

そして泣き疲れた後は、いつ死のういつ死のう、どうやって死のうとベッドの上で考える日々が続きました。



そうした毎日を過ごし、祖母が亡くなって約1ヶ月後、私はなんとなくSNSを見ていました。

そしてそこで目に付いたものが、私の人生を変えてくれたのでした。



最後に

多分すごく気になる所で、今回は終わりたいと思います(*_*)

次回の投稿はなるべく早めにしますのでお楽しみに!

執筆しながら思いましたが、いやぁーこの時の私本当に精神やられてたな!!と!!!

書きながら、これ本当に自分のことか?と言うくらい別人!!

でもこれは紛れもなく自分の過去なんですよね………

人間って本当にすぐに変わってしまうものですよね。

プランターのコスモスも成長してます〜!🌱𓂃 𓈒𓏸

それでは、また次回でお会いしましょう!

『スキ』や『フォロー』、『コメント』もお待ちしておりますっ!🌷



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