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第14回『博士の異常な愛情』――冗談の条件

 コメディーに対して本気でものを言うのもどうかと思う。ネタツイにマジのリプライを飛ばすことの恥ずかしさったらないわけだが、その対象が映画ときたらなおさらだ。ぼくはちっともその作品を観られていなかったということなのだから。

『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という映画は、1964年に公開されたスタンリー・キューブリック監督によって製作されたポリティカルコメディーである。

アメリカのバープルソン空軍基地の司令官リッパー准将が精神に異常をきたし、指揮下のB-52戦略爆撃機34機にソ連への核攻撃(R作戦)を命令したまま基地に立て篭もった。巻き込まれたイギリス空軍のマンドレイク大佐は将軍の閉じこもる執務室から出られなくなり、リッパー将軍の話相手となる。出撃した爆撃機にはそれぞれ第二次世界大戦で使用された全爆弾・砲弾の16倍の破壊力がある核兵器が搭載されていた。
 バープルソン空軍基地の状況とB52出撃を知ったアメリカ政府首脳部(マフリー大統領、軍高官、大統領科学顧問のストレンジラヴ博士など)は、機密情報の塊であるペンタゴンの戦略会議室にあえてソ連大使を呼び対策を協議する。ソ連首相とのホットラインで、ソ連は攻撃を受けた場合、自動的に爆発して地球上の全生物を放射性降下物で絶滅させる爆弾(皆殺し装置、終末兵器の一種)が実戦配備されていることが判明する。この協議が続いている間にも爆撃機は進撃を続けていた。             Wikipedia「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」より


とウィキペディアのあらすじを引っ張ってきたのだが、要するに誤って冷戦期のアメリカがソ連に核攻撃をしかけてしまい、ソ連の報復装置が発動したら人類が滅亡してしまうので止めなくてはならないという物語だ。

 この映画の舞台はB-52爆撃機のなかと、リッパー将軍とマンドレイクがとも籠る執務室、タイトルの博士にあたるストレンジラヴ博士らがいるペンタゴンの戦略作戦室の主に三つとなっている。順番に現場、管理、そして責任者というそれぞれの視線から紡がれる一連の騒動は、わずかな時間によって刻一刻と変化していく。
 
 やがてリッパー将軍は自殺することになり、B52を引き換えさせる暗号が発せられることにより発進したすべてのB52は引き返す。ただ一機、暗号装置が破壊されてしまったそれを除いけば。結果として核攻撃はなされてしまい、ソ連の「皆殺し装置」が発動し、ペンタゴンはシェルターなどに避難する人間をどうするかという会話がなされる。その会議は非常に優勢思想的な視点から語られるものでもあり、ナチスドイツに関する本で出てきそうな言葉ばかりが飛び交うという、非常に皮肉めいた結末となっている。事実、このストレンジラヴ博士もまた、ドイツから亡命してきたらしい科学者なのだが。

 
 こう書くと恐ろしい映画にも思えるのだが、一般的に本作はコメディーとして認知されている。ぼくの認識もそれに倣っていると言えよう。なぜなら、リッパー将軍の言動など、様々な人物が性的なたとえで下世話な風にこの事態を語っていたり、そもそもナチスドイツを連想させるような行動などがあからさますぎたり、あるいは暗号を入手したマンドレイクが大統領に電話する場面で、公衆電話用の小銭をかき集めなければならなかったりと、とにかくくだらないシーンが多いのだ。
 特に公衆電話のくだりなんて、兵隊に自販機を撃つことで小銭を確保するようにマンドレイクは頼むのだが、それに関して頼まれた兵隊は「これで暗号が分かっていなかったらコカ・コーラから訴えられるぞ」と返すのである。あと数十分で人類が滅ぶかどうかという瀬戸際の会話とは思えないほど悠長なことしているではないか。あまりにも誇張しすぎていて、現実にこんな会話はないだろうなと笑ってしまいながら、それでも案外世界を左右する瞬間なんて、こんなものなのかもしれないという呆れた感情も同時沸いてくる。

 一定の国民が生活の危機に瀕しているなか、和牛商品券を配ろうという発想を持っている人間なら、このシーンのリアリティに感激して涙をするのかもしれないが。


 この映画はラストシークエンスの主な舞台となっているペンタゴンの人々について触れられることが多い。しかし、個人的にきになったこととしてはB52に登場している乗組員たちが必死になって核攻撃をしようとしている点だった。命令が下ったことで、彼らのことを責めることはできないのかもしれないが、それでも暗号装置の破損や迎撃ミサイルを受けての損傷などを受けてなお、彼らを核攻撃へと進ませたものはなんなのか。命令という二文字があるからといって、飛行するのがやっとな状態ならば言い訳もききそうなものだ。引き金を引かせる上層部の批判はもっともだが、ぼくという社会の歯車の一つとなったりする人間としては、愚かな命令に背くことについて考えさせられるものとして、B52の確固たる核投下のバカバカしさは覚えておこうと思った。

 こんなポリティカルコメディーでも観てないとやってられないなという感情になるニュースが多かったため、ぼくは本作を観たわけだ。多少気分は晴れたし、多いに笑った。冗談とはまるっきりの嘘ではなく、大なり小なりの「本当」が混じっていなければ成立しないものだ。そうでなければ単なるファンタジーとしてこの映画は映り、案外ぼくも、「マジレス」なnoteを書いてしまったかもしれない。
 

 一本の傑作映画を正しく観ることができるのなら、引きこもり推奨な毎日も悪くない。まあ、のらりくらりと生きていくとしよう。

『博士の異常な愛情』に関して、転枝の正常な鑑賞を綴った文章は、これで終わりとさせてもらう。それでは。

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