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第12回『1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記』――日の長さを感じながら

 木藤亜也さんが綴った日記を一冊の本にした『1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記』を読んだ。
 中学3年生にして脊髄小脳変性症という難病に罹り、病苦に苦しみながらも懸命に生きていった様子を、患者である木藤亜也さんご本人が書いた日記をまとめて出版されたものがこの本になっている。
 
 脊髄小脳変性症とはなにか。医学的なお話なので、ぼくが下手に要約することもはばかられる。この本の巻末に綴られている山本医師(木藤亜也さんの病状を初期段階から診てきた方だ)の説明を引用したいと思う。

 人間の脳には約一四〇億の神経細胞とその十倍もの神経細胞を支持する細胞がある。それぞれの神経細胞は多くのグループに分けられ、運動する時に働くものもあれば、見たり聞いたり感じたりする時に働くものもあり、およそ人間が生きている間はたくさんのグループの神経細胞が活動していることになる。 
 脊髄小脳変性症はこれらの神経細胞グループのうち反射的に体のバランスをとり、素速い、滑らかな運動をするのに必要な小脳・脳幹・脊髄の神経細胞が変化し、ついに消えていってしまう病気である。          
 ふらつきが激しくなり、歩く時に支えがいるようになり、さらに進めば一人で足をそろえて立つことができなくなる。喋るのもだんだん発音があいまいになり、リズムがくずれて何を言っているのかわからなくなる。手や指の動きも自分の意のままにならず、字を書くこともむずかしく、書いても読めない。食事をする時も箸が使えなくなり、スプーンを使っても正確に口に物を運ぶことができない。人に食べさせてもらっても、飲み込むのに時間がかかり、時にはむせて あたり一面、ごはん粒だらけとなったりする。 
 どの症状もわずかずつだが確実に進行し、ついに一日中ベッドの上で寝たままという状態に追い込まれる。床ずれができ化膿したり、飲み込みに失敗して気管の方に食物がまちがって入って肺炎をおこしたり、尿が膀胱に残りその中で細菌が増え膀胱炎・腎盂炎を起こしたりして五~十年で亡くなるのが普通である。                          『1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記』より


 あくまでもこれは、出版された1986年段階の話なので、現在の医学ではまた別の見解が得られるのかもしれない。調べはしてみたのだが、この年よりも先に分かったことの記述などを発見することはできたものの、それがどれほどの発見なのかを測る物差しをぼくが持っていないため、ここに記述することは避けておく。興味がある方は調べてみて欲しい。


 ぼくは本作を元にしたドラマ『1リットルの涙』を、小学生のころに観ていた。なんだか今は大変なことになってしまった沢尻エリカさんの演技は、当時のぼくにとってなかなかに衝撃的で、次第に体の自由が失われていく様を克明に描きながら、現実にはなかった淡い恋愛模様などに心を打たれていたのを覚えている。ぼくはドラマというものをほとんど観ない子供だったため、タイトルと内容が一致するテレビドラマというと数えるほどしかないというなかで、この作品はこれ以上にない印象を残し、この本を手に取るにいたったのだ。

 
 
 この本を読んでの感想をまとまった形で書くことは、読み終わった直後の人間としては難しい。人の死で(それも、実在した人で)感情を動かされることの是非なども頭をよぎらないことはない。最近あった『100日後に死ぬワニ』騒動なども影響しているのであろうが、まったく別の問題でもあるし、本を読んで思ったことを綴ることに限度を超えた巨悪が宿ることもないだろう。とにかく、自分なりに思ったことを書いていく。


 ぼくがこの本を読んで感じたことは、脊髄小脳変性症という難病に悩まされた少女の懸命な生の様子に打たれた心、だけではない。もちろんそれを度外視することはできない。次第に体の自由が利かなくなっていくことの恐怖、生まれてきたことの意味への葛藤、周りの無意識な言葉に傷ついていく経緯はこの世の不条理を呪わざるを得なかった。木藤さんの人生をただ消費するだけではなく、ぼくの人生にとって重要な気付きを与えてくれるはずの日記たちを、血眼になって読んだ。充血していた目を擦りながら、電子書籍で買ったこの本を読んでいるぼくは滑稽だっただろう。なにかと真剣に向き合っている様子というものは、往々にして滑稽なものであるという一般論を添えておきたい。

 木藤さんの日記を読んでいて気がついたことは、彼女が自分のことを卑下するような言葉が目立ったことだ。自分が泣虫であることに檄を飛ばしながら、趣味であった読書のなかから自分を勇気づけてくれる言葉を探している様子などは、作中でも触れられるような、一つの宗教的な「敬虔さ」を感じさせるものだった。また、自身をホロコーストによって苦境に立たされたユダヤ人とも重ねている描写があり、歴史や文化というものの効力と無力さを同時に痛感してしまった。文字は人の身体を救えない。心に寄り添うことはできていたのかもしれないが。


 それでも木藤さんは、日々のことをひたすらに文字へと起こし続けた。それは自身が生きてきた証を自分で獲得していくという、これ以上になく力強い行いであったと思う。木藤さんは自身を一人では生きていけない人間で、周りに迷惑ばかりをかけていると嘆いていた。しかし、人間というものは普通、自分が生きてきた足跡というものと向き合い残していくということに必死を抱くことは難しい。自分を否定しながら、それでも自分の人生を書いていく。彼女が続けていた日記とは、途方もない苦しさを確かめながら決して逃げることができない迷路を歩くようなものだった。木藤さんの問いに答えはない。どれだけ他人に言葉を貰っても、なにかあればまた自分を責めてしまう。甘えん坊だと自分のことを言っていた彼女だが、誰がそれに同意するだろうか。人間なら誰だって逃避して、自分勝手に自己肯定をしてしまうような問題から、木藤さんはただの一度だって逃げなかった。病気なんて関係なく、ぼくは木藤亜也さんに敬意を抱いた。こんな立派な人間を、ほかに見たことなんてない。


 素晴らしい人間は、この世界に確かにいる。ぼくもこんな立派な人間になりたい。今からでも、いつか。


 また、本作は巻末に山本医師や亜也さんのお母様の文章も収録されている。その部分を読むことによって、独りの限定的な資格に入っていなかった光が照らされるのも、興味深い点だった。


 もっともな例としては、木藤さんのリハビリに関する記述がそれにあたる。彼女自身の記述では、リハビリの失敗やそれにまつわる苦しいエピソードなどが多くみられる。いっしょのリハビリ室にいるほかのおじさんなど、他者に対する記述もないことはないのだが、紙幅のほとんどが、できなかったこと、どれだけ頑張っても病気が後退することはないのだということに対しての言及となっている。


 しかし、山本医師の話によると、多くの人々が木藤亜也さんの懸命なリハビリを見て勇気づけられたというのだ。これは本人の日記には登場しない視座をぼくたちにもたらしてくれる。こういった難病にまつわる話というものは、どうしても当事者の言葉というものを重視してぼくたちは受け取ってしまいがちだ。

 けれど、大前提として人間というのもは自分が置かれている環境のすべてを知覚できるものではない。特に、他人にどのような影響を与えているのかという点について確信をもって振舞える人間は、まずいないとみていい。それは自分のことだけを分析するだけではなくて、他者の心象を手に取るように把握できなくては実現しない。自身にとっては不条理に自由が奪われていく過程でも、ともに生きている人間にとってはきっと別の意味を持っていく。そこに病気の有無は関係がない。人間の社会とは、きっとそういう風にできている。



 最後に、様々な難病に苦しんでいる人に少しでも早く、救いの手が差し出されることを祈る


 ぼくにできることは少ないのかもしれないが、少なくとも身近な人に温かみを持って接していくこととしたい。できることがなにもないと絶望する権利は、誰にだってないのだから。木藤亜也さんのように強く気高くありたい。
 


 短いが、これを感想とする。それでは。

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