便利な街と土と田舎
みなさん、こんにちは。
名前をKoroから変えて「コロふく」にしました!
どうぞよろしくお願いします。
平日は無機質なコンクリートづくりの職場でひたすらパソコンと向き合っているので、生きた心地がしません。
建物は何の温かみも感じない、外の風景もほぼ見えない、空調がうまく効かず夏なのか冬なのかもイマイチわからない、劣悪な環境です(笑)
そんな生活で唯一自然を感じられるのが、仕事の行き帰りで通る道の木々や川の風景。
実家の周りは田んぼや畑や池という、本当に「ザ・田舎」で育ったので、自然の中にいる方がよほど落ち着きます。
春は桜、秋は紅葉、虫の音や鳥の鳴き声など季節の移ろいを感じることができます。
ただ、日々仕事に追われていると、職場以外でもどうしても伏し目がちになり、このような風景を見落としてしまいます。
だからこそ、せめて外に出るときは顔を上げていなければ。
そう思いながら、過ごしています。
さて、ジブリの名作、天空の城ラピュタの中にこんなセリフがありますが、みなさん知っていますか。
映画の終盤、シータのセリフです。
40年近く前に公開された映画ですが、不朽の名作であり続ける理由は、その繊細な描写だけでなく、このような社会的なメッセージ性が込められていることも大きいのでは、と思っています。
先ほども言ったように、私はド田舎で生まれ育ち、大学では実家より田舎な場所で過ごしました。
街に住むようになったのは就職してからです。
街はとても便利です。スーパーやドラッグストア、コンビニなどそこら中にあり、日常生活に必要なものは言葉通り家の近くで何でも揃います。
夜も街灯やお店の明かりが煌々と灯り、部屋の電気を消してもカーテンの外の方が明るいくらい。
そんな街で就職し10年を超えましたが、私はいまだにこの街の便利すぎる環境に馴染めずにいます。
どうしてもこの人工的なもので溢れかえった街には馴染めないのです。
そんな時、いつもシータのセリフを思い出し、そして思うのです。
いま、『自然のありがたみ』や『自然から恩恵を受けられること』を真剣に考えなければ、田舎だけでなく街もいずれ衰退していくのではなかろうか、と。
もう一度言いますが、街は便利です。しかし、例えばその街に届けられている食材のほとんどは、自然で溢れる田舎で作られ運ばれているのです。
だからこそ、田舎の衰退は街の衰退に直結する。
街の役所ではその街の中のことについて当然のように議論されますが、もっと先を、もっと広い視野で見なければいけないはずです。
その先を見ることができれば、もしかすると「便利な街」を超えた発展があるのかもしれません。
それでは、また。
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