アンガーマネジメント。感情が下手な私へ

最近、ひょんな出来事から声を荒げることがあった。


あんまり褒められた行為じゃないことも分かっているし
基本的に感情論で話をすることは好きではない。

なんだったら、ヘラヘラ笑って済む、もしくは怒られる側で済むんだったら楽だなーと思って生きている。


そんな私でもどうしても許せないことがあって
あー、これはダメだなーって時は叱るようにはしている。

でも、どうにも叱り方が下手くそで。。。


とにかく練習不足なんだなと痛感してしまう。

わかる人には分かってもらえると思うけど、どうしても「キレ芸」に走ってしまうのだ。


そうじゃないんだ、、、言いたいことは言ってるんだけどそれじゃ伝わらんだろう。と、内なる自分の声はきちんと聞こえているのに。

全身全霊でエネルギーをフルスロットルしないとそういう感情論に発展させられなくなってしまったのは
単純に歳を取った弊害なのだろうか?

なんとなく、老害気質の人たちの気持ちが分かってしまった気がした。
とかく「感情の練習不足」なのだ。


もっと冷静に、諭すように、しかし裂帛の気迫を見せる。
昔は、芸事を嗜む方や商いを生業とする方にとって、下積み時代の若者をぴしゃりと叱り、道を志すという道理を的確に説いている時代もあったと聞くにつけ
昨今はとにかく、欲にまみれ、敵も味方も区別がなくなり、独立独歩で進がゆえに『人と歩む』ことがとても下手くそになったのだと思う。


「間違っていることは間違っている。嘘を吐くな、責任転嫁をするな。自分が言ったことはやれ、自分が設定した締め切りは守れ。遅れるならば連絡をせよ。」

たったこれだけのことを伝えるのにも、原子力発電所が必要なほどエネルギーを使うようになってしまった。(もっと省エネルギーで済むはずなのに。


もういい歳だし
普段から感情の発露を緩やかにすることで体を慣らしておくのもいいのかも知れないと思い至った次第。

パワハラが問題となる昨今、自身が知らぬ間に加害者になっていた!とならないようにもしなければならない。
そのために、叱り方をきちんと身に付けるのも、現代の必須スキルなのかなとも思う。


一応、お断りしておくが
私個人としては、別に叱りたくて叱ってるわけでもなく
なんなら叱ってる対象をどうこうしたいわけでもない。

とにかく周りが迷惑していて、自分が言わないといけない立場なだけなのだ。正直、なんで人生のクソほども役に立たない他人のために自分のエネルギーを消費せねばならんのか、と現代っ子な考え方を持っている方だ。

さようならをした方が早いことも分かっているが
どうしたってプロジェクトを成功させねばならぬ時は、場を整えるために叱る必要も出てくるだけなのだ。(そういう意味で、スキルとも思っている。

今回の場合、対象を叱ることで同席していた第三者を納得させる形に流れを作る趣旨が強かったこともあって、慣れないことをしたに過ぎない。
(あまりにも慣れないことをしたせいで、こんな記事を書いてしまうほどだ

そういう意味では、怒れる刑事、なだめる刑事を一人二役やったようなものだが、果たして目的は達成し
叱った対象は、縁を切ることが確定したのだった。


閑話休題。


記事をお読みになった方は、最近感情的に誰かを叱る、もしくは怒ることはあっただろうか?
それは、意味のある叱りだっただろうか?自分が悦に浸るための感情論になってはいないだろうか?
逆に、叱るべき、怒るべき時に叱ったり、怒ったりできているだろうか?

適切なタイミングや内容で叱ったり、怒ったりできないのは
感情」が下手な証拠だと思う。

もはや、現代病の一つかも知れない。


自己観測も大抵の場合は間違っていると思った方がいい。
冷静に第三者目線から客観的に相手と自分を認識し、なぜ叱ったのか、なぜ怒ったのか。それは本当に必要だったのかを問答する必要があると思う。

叱る、怒る、が現代においてスキルと化しているならば
習得するためにも復習は重要だ。


これを自らの課題として、綴りたいと思う。



では。

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