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ハワイの日本人移民が工夫したアロハシャツは「ありあわせ」の傑作である

                写真:アロハシャツ(Wikipediaより)

 夏が近づいてきた。「アロハシャツの季節」の到来である。
 このアロハシャツこそ、日本を遠く離れた異国で日本人が創り出した「ありあわせ」の傑作にほかならない。

 素材は、ハワイに移民した日本人が日本から持っていった、派手な和柄の着物の生地である。それを開襟シャツに仕立てあげ、身に着けた。これが、アロハシャツの原型なのだ。

 この開襟シャツに、ホノルルの服飾店「ムサシヤ・ショウテン」が「アロハシャツ」の名をつけて商品化した。
 その広告が1935年6月28日づけの『ホノルル・アドバタイザー』紙に掲載されている。
 ただし、その2年後、中国系商人エラリー・J・チャンが「アロハシャツ」の商標登録を申請。結果、20年間の独占使用を認められた。

 このころになると「ありあわせ」では、布地の供給が追いつかない。
 それで、アメリカ本土のほか、いろんな柄を染めた品質の良い多品種の生地を、少量ずつ供給することのできた日本の京都から、布地が輸入された。

 そういうわけで、太平洋戦争の戦前戦後には、アロハシャツの生地が大量に日本で生産されることになった。

 やがて戦後も、1950年代を迎えると、従来のシルク素材にレーヨンが加わる。
 このころ、アロハシャツ生産を主体とするアパレル産業は、砂糖、パイナップルにつぐハワイ三番目の産業となっていた。アロハシャツの黄金時代を到来したのだ。

 当然、デザインも多様化する。着物地に好んで描かれた花や金魚、虎や鶴など、東洋風のモチーフのほか、フラを踊る女性やパイナップル、ハワイの植物や魚など、トロピカルな図柄が取り込まれるようになった。

 さらに1960年代、洗濯が簡単で、しかも丈夫なポリエステル素材が登場する。同時に、開襟シャツのほか、プルオーバー、ボタンダウン、さらに生地を裏返しに縫製したものなどが商品化された。

 こうしてアロハシャツは、ハワイのさまざまな生活シーンに進出していった。のみならず、オフィスやレストランでも着られる「ハワイの男性の正装」としての地位を確立する。

 日本人移民が「ありあわせ」の素材で作り始めたアロハシャツが、単なるリゾートウェアの枠を超えて、現代ハワイの民族衣装のように扱われるようになったのだ。

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