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日本人の「ありあわせの知恵」を再考する

                写真:からくり人形(Wikimediaより)

 現代は「専門」の時代だ。
 巨大な力を発揮する原子力、生活を便利、かつ豊かに彩る自動車や家電製品、健康維持に必要だとされる配慮、先端的な医療による病気治療など、みな、さまざまな分野の「専門家」の「専門的な知識や技術」によって支えられている。

 しかし、それらをすべて手に入れるには、莫大な金銭支出と時間が必要となる。
 それに、少し故障したら使いものにならない品物の、なんと多いことか。その修理に、また「専門家」の助けを借りなければならない。「専門」に頼る暮らしは、けっこう面倒なのだ。

 それに比べると、昔の日本人は「ありあわせ」の活用に長けていた。その知恵と能力で、ふだんの暮らしを巧みに「うっちゃってきた」のである。

 ありあわせの素材で料理を作り、食事を済ます。高価なおもちゃなど買わなくても、男の子たちは木の枝でちゃんばら遊びをし、女の子たちは残り布で人形やお手玉をこしらえた。

 そんな知恵は、今も随所に健在なのではないか。
 山野の草木の根や葉から卓効ある薬を作る「漢方」、喫茶店での味わいに際限なく近い美味を提供する「缶コーヒー」などは、その一例だろう。それだけではない。

 もしかすると「からくり」の伝統を引く現代日本のロボット工学、日本料理の粋ともいえる「だし」なども、どこか「ありあわせ」につうじる日本特有の考え方や感じ方を映し出しているような気がするのだが……。

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