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彼は誰時のシナリオ

オリジナル小説になります。ホラーというか、ファンタジーと言うか、どちらともとれる小説だと思います。簡単なあらすじは、下記の通りです。あらすじを読んで興味を持たれましたら、是非一読してください。

少しでも楽しんで頂ければこれ以上の喜びはありません!

【あらすじ】

羽田蜜は、脚本担当として演劇部に在籍する高校生。文化祭の今年のお題は「怪」。全くオカルトに興味がない蜜は、脚本が書けない。ネタを求め、神社で怪異が起きるというまじないをする。出てきたのは猫又・寝古子。猫又に連れて行かれた交番の奥に、警視庁妖怪係なるものが存在していた。そこにいた警察官は、人間嫌いの青鬼・青山。しかし、蜜は、寝古子も青山も信用せず、記入を求められたカードにも、名前以外全てうそを書く。
 翌日、昨日の事は夢だったと思う蜜を、青山が訪ねてくる。青山は、蜜のまじないのせいで、時空に穴が開いたと説明する。やはり青山もその説明も信じない蜜だが、青山が面倒なので、茶番に付き合う事にする。まじないに必要な蝋燭を買いに入ったコンビニで、コンビニ強盗に遭遇。しかし、その強盗は、穴から出てきた餓鬼に取りつかれた只の人間だった。
 青山と蜜は、青山の『水』という口パクを『金』と聞き間違える、とんちんかんなタッグを組みながらも、何とか餓鬼を撃退。コンビニを出ると、既に黄昏時に掛かっていた。コンビニの周囲には低級霊や餓鬼がはびこっている。青山のフォローで、包囲を脱出すると、蜜は神社に急ぐ。まじないの途中で、色々な声色で話しかけられる。最後に青山の声が呼び掛けるも、それを偽物と判断しまじないを完了させる。無事に穴は塞がり、本物の青山と合流した蜜は、青山に親近感を覚えてハイタッチする。
 数日後、いつもの日常生活。蜜は、差し入れを買って青山を訪ねる。青山に、何故いつも通りなのか尋ねる。修復班が居ると答える青山。『ヒトならざるモノが居る、という事に耐えられない人間が居る』という青山の言葉に、深く納得する蜜。青山は、差し入れを、感謝だと受け取るが、蜜はこの出来事を脚本にしていた。差し入れは、脚本のお礼であったが、単純な青山は素直に感謝する。蜜は、青山は素直だと思いながら、訂正せずに差し入れを食べる。



 井戸から湧き上がる白装束の女。
「恨めしや、青山殿……」
この世の物とは思えぬ声でそう言うと、女は振り返った。菊の模様の着物は無残に破れている。乱れた髪が掛かったその顔は青白く、鬼気迫っている。ふわりと、女の周りに鬼火が舞う。
「だっさ」
 そう言って、夏希は読んでいた原稿用紙を机に放りだした。その拍子に、机に置いてあった『演劇部・部員大募集!』のチラシがひらりと床に落ちた。
「言うな」
 あたしは、チラシを拾うと、夏希にそう言ってやる。自分だって分かってるんだ。
「あんた、なにこれ。こんな古典的な幽霊話、あんたは鶴屋南北か」
「番町皿屋敷は南北じゃね~し。大体、文句なら、文化祭実行委員会に言ってくれや」
 あたしは、ポッキーをがりがりと噛んだ。
「今年のお題は「怪」だって。何だよ「怪」って!もっと青少年らしく、健全で夢のあるお題があっただろうが!」
 あたしは、夏希に向かってまくしたてた。夏希は、にやにやしながら、あたしの言い訳を聞いている。長い、ストレートの黒髪が、グラウンドから吹き込む風にたなびいて、夏希のお人形さんの様に綺麗な顔を縁どっている。流石は我が演劇部の主演女優だ。どうってことない制服を着て、佇んでいるだけでサマになる。
「あんた、怪談とか興味無いもんねぇ」
「目に見えないものは信じないのよ」
 あたしは、そう言って頬杖をつく。演劇部の机の上は、グラウンドからの砂で、ひどく埃っぽい。
「で、どうすんのよ。天才脚本家羽田蜜。あんたのデビュー戦でしょうが。このまましっぽ巻いて逃げ出すわけ?」
「まさか」
 あたしは、強く否定した。今まで脚本を書いていた先輩が今回はパスしたので、やっと回ってきたチャンスだ。これを物にしない手は無い。
 と、夏希には言ったものの、中々現実は厳しい。
あたしは、昨日の夏希との会話を思い出してため息を吐いた。授業が終わった教室は、タガが外れたような喧騒だ。しかし、あたしにはのんびりしている暇など無い。
「は~、中々いいネタが無いなぁ……」
あたしは、実話系怪談の本をぱたんと閉じた。それなりに愉しめるが、芝居に仕立て直すのは難しい。文化祭までに道具から衣装から演出やらを考えると、締め切りまで残された時間は後二週間。『脚本仕上がりませんでした~!』とでも言おうものなら、演劇バカの部長にぶっ殺される事間違いなしだ。うちの部長なら、あたしを舞台の上に吊るす位する。脚本家がお菊にされるなんざ笑い話にもならない。
「……あそこの神社、妖怪が……」
 なんかようかい。妖怪!?
 うっかり頭の中でダジャレを飛ばしてしまった。あたしは、後ろから聞こえてきた『妖怪』というキーワードに振り返った。教室の後ろで、数名の男子生徒が会話している。思い出した、こいつらはオカルト研究部だ。いっつも、どこで何が出ただの言っている。
「ちょ~っといいかな?その方法って?」
 素早く立ち上がったあたしは、オカルト野郎共の会話に無理やり割り込んだ。普段、必要事項以外で女子と会話する事無い連中が、びっくりした顔であたしを見る。恥も外聞も知るか。こちとら締め切りと首が掛かっているんだ。
***
 あたしは自転車をこいでいた。西の方にわずかに赤を残した群青色の空には、満月がぽっかり、異世界へのワームホールみたいに浮かんでいる。塾の帰りである。
 黄昏時の街は不思議な雰囲気だ。早めの街灯が、ぽつぽつと夜道を照らす。昼間、オカルト研究部の連中に聞いた話を、頭の中で反芻する。
 行くか、行かないか?
 ハムレットみたいなセリフが、頭をよぎった。行ってみるか。塾でも、勉強そっちのけでプロットを練っていたが、イマイチ纏まらない。ちと、オカルト研究部に乗っかって見るのも面白いだろう。どうせ嘘だとしても。
ちょうど、通り道にあるコンビニで、必要な物を買うと、あたしは、神社の前で、自転車を止めた。神社に続く石段を上がる。たどり着いた神社の空気は冷やりとして、流石のあたしも、ちょっと敬虔な気持ちになる。
 鳥居をくぐる時、ちょっと目礼したのは、神様とやらに敬意を払ったつもりだ。ついでに、痴漢が居ないかの確認も兼ねる。
 オカルト研究部の連中に教わったやり方はこうだ。まず、地面に八角形を描く。それから、その八角形の角それぞれに、一本ずつ蝋燭を立てる。
「何気に熱いじゃん……」
 あたしは、そんな独り言を言いながら、蝋燭を立てていった。
そして、仕上げだ。
あたしは真ん中に一本蝋燭を持って立つと、周囲に建てた蝋燭を一本ずつ吹き消していく。
「ひとつ……ふたつ……」
 そして最後、自分の手にした蝋燭を吹き消す。そうすると、何かが起こる、らしい。
「ここのつ……」
 あたしは、ふうっと蝋燭を吹き消した。心臓の音が、耳元で鳴っているみたいにうるさい。思わず、ぎゅっと目を閉じた。
 しばらくして、あたしはゆっくり目を開ける。恐る恐る、周囲を見回す。神社の森はしんとして、何も聞こえない。遠くの道路から、クラクションの音が聞こえる。いつもと変わらない夕暮れだ。
 あたしは、ふっと息を吐いた。緊張が解けて、思わず笑いが浮かぶ。
「はは、やっぱりね」
 あたしは独り言を言って、振り返った。
「うわっ!」
 思わず声を上げる。あたしの後ろに、いつの間にか三毛猫が座っていた。猫は、金色の瞳をぴかぴかさせてあたしを見上げている。
「な、何だ猫か。……おいで猫ちゃん」
 あたしはほっとして、猫を呼んだ。猫は、あたしを見つめている。まるで、意思があるような目だ。しっぽが、猫の丸っこい足元でひよひよ揺れているのが可愛い。猫のしっぽは可愛いな。あ、肩の方でもしっぽがひよひよしてる。……肩の方でもしっぽがひよひよしてる?
「あ……」
 あたしは、自然界ではまずありえない事実に、声を失った。しかし、それは序の口だった。絶句したあたしに、三毛猫は口を開くと、はっきりとこういった。
「なんかようかい」
「うっひゃああ」
 悲鳴ともつかない間抜けな声が、あたしの口から飛び出した。
「ででででで」
 よろけながら、あたしは一目散に神社を飛び出した。石段を、転げ落ちそうな勢いで降りると、停めておいた自転車にまたがる。
「ちょいと」
「うわぁ!」
 自転車のかごに、さっきの三毛猫が座っていた。一体いつの間に。
「落ち着きなって」
 三毛猫は、あたしにはっきりとそう言った。ゆらゆら揺れるしっぽは、二本に分かれている。
「呼び出したのはあんたなんだから、連れてっておくれ」
「連れてく?どこへ」
 あたしは、思わず猫に問い返した。声がヤバい位に震えている。
「警察」
 猫は、艶っぽい流し目であたしを見る。
「け、警察?」
「そ。あそこに交番があるだろ?」
 猫が言っている交番の事はすぐに分かった。何だか陰気な雰囲気の交番だ。
「そこまで、宜しく」
「へ」
「いいから早くしなっ!」
 ぴしっと、しっぽがあたしの手を叩いた。
「は、はいっ!」
 反射的に返事をすると、あたしは自転車にまたがる。がくがく震える足に鞭打って、半べそをかきながら、自転車をこいだ。大体、喋る猫なんか、交番に連れて行ってどうなるのだ。
 言われた通りに陰気な交番まで自転車を飛ばす。途中で何度か転びそうになり、その度に猫に叱られた。どう考えても正気ではない。
 交番は、相変わらず陰気だった。何と言うか、交番の赤い電灯ですら、暗くくすんで見えるのだ。
「こ、ここ?」
「そ、ここ」
 猫は満足そうに言う。
「じゃ、あたしはこれで」
「待ちな!アタシを抱っこして連れて入んな!全く、最近の若いもんは……」
「え、嫌」
「生意気言うんじゃないよ!」
 言いながら、猫はひょいっとあたしの胸に飛び込んできた。悲しいかな、うっかりキャッチしてしまう。
 猫は、ふわふわで柔らかくて温かくて、何と言うかちゃんと生身の猫みたいで、あたしはちょっと安心する。
「で、どうしろって?」
「入るんだよ」
 猫は、はしっと、あたしの顔をしっぽで叩く。交番の中を覗き込むと、顔色の冴えない中年のお巡りさんが一人。猫なんか連れて入ったら、めっちゃ怒られるんじゃないだろうか。しゃべるけど、猫。
「あのう……」
 あたしは、恐る恐る一歩を踏み出し、お巡りさんに声を掛けた。ぎろっと、お巡りさんの目があたし、ではなく猫を睨む。
お巡りさんは、無言で奥の扉を指さした。まるで当然の事みたいに。
「どうも、お世話様」
 返事をしたのはあたしではない、猫だ。しかし、お巡りさんは動じた風もなく、また正面を向いた。まるでロボットみたいだ。
 奥の扉……開けて良いのか分からなかったが、どうせ四の五の言ってもしっぽではたかれるだけだと、あたしは覚悟を決めて開けた。
 薄暗い廊下だった。廊下の向こうに、よくある役所のドアが見える。
「どこ行くの?」
「その戸を開けな。こんな廊下に居たってしょうがないだろ?」
「はいはいごもっとも」
もう逆らう気力も失せて、あたしは、大人しくドアを開けた。
 ドアを開けると、カウンターがあった。そこから見える室内は、役所の住民票カウンターの雰囲気にそっくりだ。机には、制服を着た担当者が一人、こちらに背を向けて座っている。制服の背中がパツパツで、小山のように盛り上がっている。随分大柄だ。
「ちょいと、許可証貰いに来たよ」
 猫は、そう言ってあたしの手からぴょんと抜け出した。
「はーい。人間界滞在許可で良いですか~?」
 大柄な体に似合わず、のんびりとした返事をすると、座っていた担当者が立ち上がった。
 あたしとそいつは目が合った。青い皮膚に、ぎょろりとした目。ずんぐりした鼻に、パンチパーマみたいな頭。そしてその頭には二本の角。典型的なその姿は、絵本とか絵巻物とかでよく見る……。
「お、鬼っ!」
「に、人間~っ!」
 鬼は、丸い目を更に大きくして悲鳴を上げた。がたたっと椅子を倒しながら、奥へと逃げていく。逃げる、あたしからか。
「ちょ……!!人間じゃないですか!勘弁してくださいよ!」
デスクの裏に逃げ込んだ鬼は、抗議の声を上げた。あたしと目が合うと、ひっと小さい悲鳴を上げて顔を隠す。オイオイ、こいつ一体何なんだ。
「逃げ隠れすんじゃないよ。いい加減に慣れな」
 猫は、しっぽをぴんと立てて青鬼に言った。こいつら、知り合いか。
「ここの勤務になってもう何ヶ月だい?何一つ仕事してないだろうこの給料泥棒が!」
「痛い所付かないで下さい!だからって人間だけはマジで勘弁してくださいよ!寝古子さん、俺、人間嫌いって知ってるでしょ~」
 ねここ。この猫の名前か。それにしても安直だ。モブだってもうちょっとマシな名前を付けるだろう。
「何か言いたげだね小娘」
「いいえ。猫で寝古子なら、アイツは青山とでも言うんですか?」
 あたしは、青鬼を指さす。
「何で分かるんだよぉ!だから人間って嫌なんだよ!」
 青鬼が悲鳴を上げる。当たりなのかよ。
「うるさいね!早く書類持ってきな!」
 寝古子さんが、流石にいらついたらしく、しっぽでデスクをばしっと叩いた。
「ちょ、待ってくださいよぉ。上司に聞きますから」
「何聞くって言うんだい」
「人間ですよ!人間の処遇ですよ!もう!」
 青山はそう言うと、デスクから電話を自分の膝に引き寄せ、どこかに電話を始める。
「あ、もしもし、あの、俺です。ちょっと、俺ですって知り合いは居ない、とか言わないで下さいよ!青山です!あの、人間来てるんですけど、対応は……?連絡先書かせる、それ俺がやるんですかね。それ俺が、あの、今すぐ誰か来てもらえませんかね。あの、いや今肉が焼ける所だから無理って、それそっちの都合ですよね、あの聞いてますか?ねぇあの」
「うるさいねぇ、ごちゃごちゃ言わずにやんな!」
「あのう」
 あたしは、寝古子さんに向きなおった。
「根本的な事聞いていいですか?ここ、何?」
「見りゃあわかるだろ?」
 寝古子さんは、上を見上げた。あたしも釣られて上を見る。そこには、白いプラスチックの板に、『警視庁妖怪係』と書かれていた。
「よ、妖怪係?」
「そ。人間界に来る妖怪の管理をする所さ。妖怪の事なら、駐車違反から殺人まで対応するの」
 寝古子さんはそう言って、ぱちんとウィンクをしてみせる。
「と、言いながら、そうそう人間界に来る妖怪も居なくなっちゃったけどねぇ」
「どうしてですか?」
「過ごしにくいからさ。夜だってのに、どこもかしこもやたら明るくってさ。あたしだって、アンタが呼び出さなきゃ来なかったよ」
「あ、あのおまじない、一応ホンモノだったんだ……」
 あたしは思わず呟く。オカルト研究部の奴、ホンモノなのに誰も試してなかったんかい。
「妖怪係、ねえ……」
 あたしは呟いて、案内板をしみじみ見上げた。青鬼こと青山の電話はまだ終わらない。……青鬼が電話。喋る猫。はっと気づく。
「いやいやいやいや、騙されないぞ!これは夢、これはきっと夢だ!」
 あたしはやたらに頭を掻きむしった。
「覚めろ覚めろ!これは夢っ!」
「落ち着きな小娘!」
 ぱしっと、しっぽがあたしの顔を叩く。
「痛い……」
「現実だよ。あんたが望むと望まないとにかかわらず、これが現実なんだよ」
「寝古子さん……猫の癖に良い事言う……」
 あたしは、ほっぺたを押さえてそう言った。寝古子さんは、ふんと鼻を鳴らすと、まだこそこそしている青山に激を飛ばす。
「ほら青山っ!いつまで待たせるんだい!しっかりしな公僕」
「は、はい……。お待たせしました……」
 青い顔を更に蒼くした青山が、カウンターから目だけ出して、書類を差し出してくる。お前は現実なのか。夢じゃないのか。紙を差し出す青い手が、ぶるぶると震えて、カウンターに当たってカタカタ音を立てているのが、夢の癖にリアルだ。
「正確にお願いします」
 あたしと目が合うと、青山は、ひっと小さく息を吐いて、カウンターの陰に隠れた。
 差し出された紙には、『訪問者カード(人間用)』と書かれ、名前や連絡先を書く欄があった。ご丁寧に、※お預かりした個人情報は、妖怪関係以外の用途には使用いたしません。と、欄外に注意書きまで書いてある。
 やっぱりこれは夢だ。
あたしは、真面目なような根本的にふざけたようなその用紙を見た瞬間にそう思った。
***
 放課後の学校は、やっぱり拍子抜けするくらいいつも通りだった。グラウンドから聞こえる、運動部の掛け声。それに負けずと、発声練習の声が、コンクリートに響いている。
「やっぱ、昨日のは夢だったんだよな。絶対」
 進まないシナリオを前に、あたしは独り言を呟いた。あれから、交番を出て家に帰ると、母はあっけらかんとした顔で、「ちょっと遅かったわね」と言った。いつもと違うところは、それだけだった。夕飯を食べてお風呂に入って寝たが、金縛りにも会わず、変な夢も見なかった。
 あたしが、真っ白な原稿用紙を前に、そんな事をつらつら考えていると、夏希が入ってきた。もさいジャージ姿もサマになっている。
「ねぇ、蜜~。先生呼んでるよ?」
「へ、何だって?」
 あたしは首を傾げる。万引きもせず満点も取らず、あたしは極めて中程度の生徒なのだ。
「何かね、お巡りさん来てるって」
「へ!?」
「あんた何したの、万引き?カツアゲ?」
 にやにやしながら問いかける夏希に構わず、あたしは、慌てて鞄をひっつかむと、ダッシュで職員室に向かった。
職員室の前で、あたしの担任と、お巡りさんが話をしている所だった。制服がパツパツの、やたらにガタイの良い背中に、何だか見覚えがある気がする。いや、まさかね。
「あ、あの、先生!」
「お~羽田。お巡りさんがお前に会いに来てるぞ?何した」
 公家にでもしたいようなのっぺりした顔の担任が、振り返ってこう言った。
 釣られたように、お巡りさんが振り返る。やたら顔色の青いそいつは、やっぱり昨日の青山だった。角は帽子で隠れて見えないので、まあそれなりに人間っぽい。
「あ……」
 青山が口を開く前に、あたしは素早く頭の中で、ストーリーを組み立てた。はったりは得意なのだ。
「青山さん、昨日の猫ちゃんの事ですよね?うわぁ、あたしも気になってたんですよ!」
「猫ちゃん?」
 担任は、首を傾げる。こいつ、あたしが万引きか何かしたと思ったんだろう。
「寝古子さんの事?」
 余計な一言を言う青山を『コロス』の睨みで黙らせ、あたしは話を繋ぐ。嘘をつくコツは、必ず本当の事を織り交ぜる事だ。
「昨日、迷子猫を拾ったので、交番に届けたんです。青山さん、飼い主が見つかったら教えてくれるって言ってたんです~」
 決して早口になりすぎてはいけない。そして、喋り過ぎてもいけない。あたしは、担任と青山の顔を交互に見ながら話を続ける。
「青山さん、飼い主さん見つかったら教えてくれるって言ってましたもんね」
「え、飼い主?」
 黙れ貴様。一体今まで何を聞いていた。あたしは青山におっかぶせるようにダメ押しをする。
「わざわざありがとうございます!じゃ、行きましょうか。先生、失礼しま~す」
 あたしはそう言うと、青山をぐいぐいと押して職員室を出た。下校する生徒が、ちらちらとこちらを見ている視線が痛い。
 全て無視して、校門を出た所で立ち止まる。あたしは、ぐい、と青山を睨んだ。
「何しに来たのよ」
「ちょっと待って……」
 青山は、停めてあった自転車に寄り掛かると、ふうう~っと大きく息を吐いた。
「あ~死ぬかと思った」
 何がだ。
「あんた、そう言えば人間嫌いなんでしょ。大丈夫なの?」
 青山はあたしを見返した。心なしか、昨日よりげっそりとしている気がする。
「大丈夫な訳ないでしょ。見てよこの青い顔色」
「いや……えっとごめん、全然分かんない」
 青山は、再び大きなため息を吐いた。汗をかいているんだろう、帽子を軽く上げて、額の汗を拭いた。そんなに汗をかく陽気ではない。やっぱり緊張してるんだな。
「大体、何で学校になんか来たのよ」
「俺だって用事がなきゃ人間の所になんか来たくなかったよ。ああ、寿命が確実に百年は縮まった」
 青山はそう言うと、もう一度深々とため息を吐いた。息を吐くと、大きな体がしぼんだように見える。げんなりした顔で、あたしを見ると、青山は説明した。
「羽田さん、君に用事があって、電話をしたけど繋がらないし、住所に行ったら池だった」
 だろうな。名前以外全部嘘だもん。
「だからって……良く学校が分かったわね」
「制服で分かったよ。名前だけでも正確に書いてくれて良かった」
「何アンタ、制服マニア?」
 あたしは、思わず身構える。警察官までこんなか弱い女子高生を狙うなんて、寒い時代だ。
「あのねぇ、人を変態みたいな目で見ないでくれるかな。俺は警察官だよ?」
「嘘つけ。偽警察官の癖に。良くその自転車で来たわね」
 あたしは、青山が寄り掛かっている自転車を顎で示した。白くて、後ろに黒い箱が付いていて、本物そっくりだ。
「疑り深いなぁ、ほら、これ」
 青山は、あたしの前に身分証を差し出した。確かに、本物そっくりだ。中に貼ってある写真が鬼でなければ。
「あ~、どれもこれも良く出来た小道具だわ」
「本物だって!」
「だって、本物なんか見た事無いもん!」
「あ~、もう!どうしてそう人を信じないのかね?」
「人って、あんた鬼なんでしょ?どうせ自称だろうけど」
 あたしは鼻で笑った。
「あ~、もう疑り深い!人を何だと思ってるんだ」
 だからお前は人じゃないだろ。この自称鬼野郎。
「そう言えば、あたしに何か用事?」
「そうだよ!」
 青山は、ぽんと手を叩く。仕草が古い。
「羽田さん、昨日穴を開けただろ?」
「いや、何にも掘ってないけど」
「ちが~う!寝古子さんを呼び出した時に使った術の事!」
「あ~、あれね」
 あたしはぼりぼりと頭を掻いた。
「地面に絵を描いただけで、穴までは開けてないわよ?」
「地面から離れて!それ、閉じてないから時空に穴が開いてるの!」
「マジで?カッコいい~!漫画であるよね、そう言うの!で、あたしは何代か前の先祖が超霊能者か何かで、その能力を引き継いでるの!そっかぁ、この溢れ出るシナリオの才能以外にも、そんな才能があったのかぁ~」
 あたしは思わずそう言った。青山は、しらっとした顔で聞いている。
「盛り上がっている所悪いけど、君に特殊能力とか一切無いから。とはいえ、時空の穴は閉じないと大変な事になる」
「大変な事って?」
「君の開けた穴は、時空のヤバめの所に開いているんだよ。だから、早く閉じないと、魔物がわっさわっさ出てきて大変な事になる!」
「まったまたぁ」
 あたしは、鼻で笑った。与太話をするのなら、もっとましなネタで嘘をつけ。
「信じてないね?」
「いえ、シンジテマスヨ」
 青山は、疑わし気にあたしを見たが、気を取り直して言った。
「とにかく、穴を塞ぎに行くよ。場所はどこ」
「あそこの神社。じゃ、あたしはこれで」
 さっさと離れようとしたあたしを、青山が慌てて引き止める。
「いやいやいやいや、閉じるの君だから!」
「え?あたしは関係ないでしょ?大体、さっきあたしに霊的な才能は無いって言ってたじゃない」
「才能とそれは別問題で、これは君じゃないとダメなんだよ。開けた人間が閉じる、それが呪術の鉄則だよ」
「呪術……ねぇ……」
「信じてないね?」
「シンジテマスヨ」
 同じ会話を繰り返して、あたしと青山は見つめ合う。青山のどんぐりまなこは、酷く真剣だった。取り敢えず、あの儀式をもう一度やるまで、こいつは絶対あたしから離れないだろう。
「分かったわよ」
 あたしは、ふうとため息を吐いた。
「儀式って何すりゃ良いのよ」
「昨日やった儀式の逆だよ」
「だったら、蝋燭が要るんだけど、持ってるの?」
「いや、持ってない」
「小道具忘れないでよ」
「芝居から離れてくれない?」
 済まない、これはもう職業病だ。
「しょうがないわねぇ。ちょっとコンビニで買って来る。あ、あんたに請求するからね?」
「ちゃっかりしてるね」
「意外と高いのよ、アレ」
 あたし達は、そんな会話を交わしながら、昨日蝋燭を買ったコンビニに向かった。
「あ~、早く閉じないと。ちょろちょろ雑魚が湧いて来ちゃってるなぁ」
 青山は、うっとおしそうに目の前で手を振る。虚空には何も無いが。
「ああ、そう言う見えるんですアピール、要らないから」
「見えるんですじゃなくって、居るんです~」
「はいはい。ね、そう言えば、鬼と妖怪ってどっちが偉いの?」
「難しい質問だね。そもそも鬼とは何か。辞書では、想像上の怪物と書かれているけれど、それは間違いだ。我々鬼は、基本的にあの世の裁判所に所属しており、閻魔大王の元で職務を全うし……」
「うん、ありがと。分かったから黙って」
 早く蝋燭を買って、さっさと茶番を終わらせよう。
「四時か……。夕方までには終わらせないとね」
 あたしの心を読んだかのように、青山は、時計を見て呟いた。
「夕方までに?」
「そ。彼は誰時は、一番妖魔が人間界に出現しやすい時間帯だ。それまでには閉じておかないと、大変な事になる」
「はいはい」
 コンビニが見えてきた。青山は、一緒に入るつもりなのか、コンビニの駐輪場に自転車を停める。
「すぐに終わるわよ」
「いや、領収書が要るから」
 変な所で細かい。警察官と一緒にコンビニかぁ、誰かに見られたら嫌だなぁ、と思いながら、あたしはコンビニの自動ドアの前に立つ。
 聞きなれた、陽気なチャイムが鳴る。
「っらっしゃいませ~」
 レジに居た茶髪の店員が、あたしに向かってそう言った。そのちゃらい顔が、一気に固まった。
「へ?」
 人間の表情って、こんなに変わるんだ。
 あたしは、一瞬そんな場違いな事を思った。
 背中に衝撃。
 あたしは、背中を押された勢いで、店の床に転がった。持っていた鞄が、手から離れて床を滑る。
 床に手を付いて、振り返る。
 押したのは青山。
 どんぐりまなこが吊り上がっている。
 その後ろに、人影。
 人影は、中年の男だった。
 薄い緑色の作業着の上下。突き出たお腹に、頭髪はやや寂し気な、普通の中年サラリーマンに見える。
 そいつが、口を開いた。
「動くなぁ!金を出せぇ!」
叫ぶ。大きな声だ。強盗、の二文字が、頭に浮かんだ。
「刺すぞ!こいつを刺すぞ!」
 青山の首筋には、安っぽいカッターナイフが押し当てられていた。典型的な強盗が人質を取るパターンだ。
「あ……」
 レジの兄ちゃんは、パクパクと口を動かしている。そりゃそうだ。あたしだって心臓がばくばくしているんだもん。
「あ、青山!」
 青山は、どんぐりまなこで、ぎろっとあたしを見て、口をぎゅっとつぐむ仕草をした。どうやら、黙れと言いたいらしい。
 あたしは、青山の真似をして、ぎゅっと口をつぐんだ。沈黙は金。
 しかし、あたしはある疑問に気付く。
普通、警察官人質にするか?
 青山は、男に押されて店内に入った。あたしは、床の上で体勢を整え、後ずさる。スカートの下に、ショートパンツを仕込んでおいて良かった、と思うのは乙女心だ。
 中年男は、どろりと昏い目をしていた。まるで、悪意というものを具体化して、はめ込んだような瞳だ。
「金!金出せ!」
 中年男は、何かに取りつかれた様にそう喚く。自分より頭一つ大きい警察官に向かって、怖くないんだろうか。
 あたしは、男がレジの方を向いているのを良い事に、じっとその背中を見た。
 そして、見えてしまった。
 男の背中には、黒い影がうっそりとのしかかっていた。
「え?」
 思わず目をこする。
 中年男に被さった影は、消えるどころかはっきりとその輪郭を露わにした。まるで、絵で見た事のある餓鬼みたいな姿だった。
「あ、あれって……」
思わず呟いていた。餓鬼は、こちらを振り返る。あたしに向かって振り返ったそいつは、実にいやらしい笑みを浮かべたのだった。
 ごくり、と自分が唾を飲む音が、妙に耳に残る。
「金!」
 男は、レジに向かって吠えた。店員がレジを開ける。男は金を掴んだ。
「足りない!もっと持って来い!」
 掴んだ金を、紙吹雪の様に飛ばした。ひらひらと舞う札。万札より千円札の方が多い。そりゃそうだ、コンビニのお金なんか、そこまで大金である訳がない。
「もっとだ、もっと!」
 男は、獣の様に吠えると、カウンターにカッターナイフを突き立てた。怖い。あの背中の餓鬼のせいだろうか。気のせいか、男が騒ぐ度に、餓鬼の体が大きくなる気がする。
「は、はいっ!」
 店員が、戸惑ったように言った。もう一台のレジを開いた途端に、男が飛びつく。
「金!金金!」
 そう言ってレジを漁るその姿は、間違いなく餓鬼だった。ちゃりちゃりと、小銭の飛び散る音がする。店員は、その鬼気迫る姿に圧倒されて、煙草の棚に体を押し付けて硬直している。
 青山は、と言うと、じっと男の傍に立っているだけだ。つと、あたしを振り返る。青山の口が動いた。
 二文字。
何かを伝えたいらしい。
 あたしは、青山の口の動きを真似た。
 青山は、あたしの口の動きを見ると、頷いて見せる。ちらと視線を棚に向けた。そこには、常温の飲み物のペットボトル。その上に一万円札が引っ掛かっていた。
 あたしは、指でOKとしてみせる。
 レジを夢中で漁る男の後ろに立ち、青山はゆっくりと腰に手を回した。腰のホルダーに差していた警棒を引き抜く。
 あたしをもう一度振り返って、頷いて見せる。あたしも頷く。
「離れろ!」
 青山はそう言うと、男に向かって警棒を振り下ろす。
 と、同時に、あたしはダッシュで一万円札を手にする。
「うぎゃぁぁぁっ」
 男の口から、人間とは思えない叫び声が上がった。背中に被さっていた黒い影が離れた。
「あ」
 男が、こちらを振り返った。その顔は、驚いた表情を作っている。禍々しさが消えた、普通の顔だ。
「羽田さん!」
 青山が叫ぶ。
「ほら、金!」
 あたしは、青山に向かって握った一万円札を放った。
「へ」
「カネ~ッ!」
 男が吠える。一瞬離れた黒い影が、また男に覆いかぶさった。
 青山にタックルして突き飛ばし、あたしの投げた一万円札に飛びつく。
「う、うわっ!」
 あたしは思わず後ずさる。男は、一万円札を握りしめて、吠えた。
「もっともっと寄越せ~!!」
 びりびりと鼓膜を震わせる、獣じみた声。その声に合わせるように、床の上を複数の影が這いずって来る。
「何、何これっ!?」
 あたしは、影を振り払うように飛び上がった。
「ちぇっ、集まってきた!」
 あたしは、落ちていた鞄を拾って、自分をガードした。棚の陰に隠れながら、カウンターの前に居る青山に駆け寄る。
「ちょっと、これどうなってんの!?」
 男の背に乗っているモノは、床から這いずって来る影と一緒になって、更に大きく膨らんできた。
「これ、妖怪?」
「いや」
 青山は、警棒を構えたまま否定する。
「これは、餓鬼だ。それと、餓鬼に引きずられた、この辺の浮遊霊や人の思念の類だ」
「餓鬼?」
「そう。だから水って言ったのに!」
 青山は、あたしを軽く睨んだ。
「餓鬼はいつも渇いている。人から離れた瞬間だったら、水に飛びついたはずだ」
「あ、あれ水って言ってたんだ。金かと思ったわ」
「金じゃないよ!水、水って言ったの!」
「え、絶対金だと思ったのに~」
「母音全く違うじゃないか!」
「そんな事言っても」
 あたしは、肩を竦める。
「全く。しかしどうするか……」
 青山は、ぼりぼりと肩を掻いた。
「どうすんのよ、アレ……」
 あたしは、顎をしゃくった。
 店の真ん中で仁王立ちになり吠えているのは、もはや人間ではなかった。全身を黒い影がすっぽりと覆い隠し、元の二倍くらいの大きさになっている。餓鬼と言うより、祟り神だ。
「カネ~っ!!寄越せ~!!」
 その醜悪なモノが、野太い声で叫ぶ。商品の陳列棚がガタガタと鳴り、床に商品が散乱した。コンビニの蛍光灯が、何度か明滅し、消えた。
「餓鬼はまだ何とか離せそうだけど、人間の方が問題だな」
「人間が問題?あのおっさん、やっぱり危ないの?」
「彼は普通の人間だ」
「普通の人間?そうはとても思えないけど」
 あたしは、祟り神と化した餓鬼に向かって顎をしゃくる。
「大方、金の事でも考えてる時に、たまたま出会った餓鬼に取りつかれたんだろ。人間の欲望って言うのは、思っているより強力だから。そんな事より、問題は俺だ」
「何、あんたの問題って」
「人間に触れない」
「餓鬼は大丈夫でも、人間に触れないの?鬼ってそうなんだ」
「いや、只のアレルギー。触ると蕁麻疹が出る」
 治せや。だから肩を掻いていたのか。
「ちょっと持ってて」
 青山は、警棒をあたしに渡す。細いそれは、見た目に反してずしりと重い。青山は、拳銃を抜いた。
「お、おおお~!拳銃だぁ」
 思わず興奮するあたし。拳銃なんか見るのは初めてだ。
「人間用じゃないよ」
 青山は、拳銃を構えた。
「妖怪用だ」
 餓鬼が、くるりとこちらを向いた。目が、赤くらんらんと光っている。見ているだけで、こっちまでおかしくなりそうだ。
「目を見るな」
 青山はそう言うと、餓鬼に向かって発砲した。
 餓鬼が咆哮を上げる。ぱっと黒い影が爆ぜ、中身のおっさんの作業着がちらりと見えた。
「効くな」
 青山は、満足そうに一つ頷いた。
「とにかく、核になっている人間を、餓鬼から引き離さないと」
「そうね」
 あたしは、鞄を抱えなおして頷いた。
「そこでだ、作戦がある。俺が発砲して、餓鬼を蹴散らす。で、君は、餓鬼が離れて、あの男性の姿が見えたらダッシュでタックルして救い出す。どう?」
「絶対嫌」
 あたしはきっぱりと断った。青山は、苦々しい顔をする。
「その警棒を貸すよ。それは、妖怪用だ。持っていれば取りつかれない」
「こんな重いモン、か弱い乙女が持てる訳ないでしょ」
「じゃ、どうやってここから出る?」
「あたしが拳銃撃ってあげるから、あんたがタックルしなさいよ」
「無理だよ、だって人間だもの」
 お前は相田みつをか。
 あたしは、大きくため息を吐く。餓鬼がまた吠えた。こちらに向かって、唸り、犬が獲物を追うみたいに、足を蹴りだす仕草をしている。無事に敵として認識されたようだ。あたしは覚悟を決めた。それしかないなら、やるしかない。
「しょうがないわね。タイミング合わせてよ」
「任せとけ」
 青山が力強く頷いた。さっき、全くタイミングが合わなかったのを思い出したが、頭を振って忘れる事にする。
「大丈夫。上手くいく」
 自分に言い聞かせるようにそう言った。鞄を床に置くと、警棒を両手に持ち、目の前に構える。
「いい心がけだ。行くぞ!」
「おう!」
 餓鬼がこちらに向かって来る。青山が発砲した。
 一発、二発、三発。
 餓鬼が吠える。ぱっと黒い煙が散った。男性の上半身がはっきりと見えた。
「今だ、行け!」
 あたしは、ダッシュした。迷っている暇は無い。思いっ切りタックルする。
 餓鬼の体をすり抜けた瞬間、何とも生臭い、嫌なにおいがした。
 おっさんの体もろとも、店の端まで滑り込み、コールドドリンクのケースにぶつかって止まった。
「う~ん」
 おっさんはうめく。あたしは、その顔を見た。
 脂が浮いて、小鼻の毛穴がぱっくり開いて、眉毛に白髪が混じっているが、それはちゃんと人間の顔だった。目はつぶっているが、明らかにさっきと表情が違う。
 あたしは、ほっと息を吐くと振り返った。
「青山!」
 思わず声を上げていた。餓鬼は、青山とがっちりと組み合っていた。餓鬼の方が体が大きい。青山の手が、餓鬼をしっかりと捕まえている。
 餓鬼が、一声大きく吠えた。びりびりとガラスが震える。その声に応えるように、黒い影があちこちから集まって来る。ぐん、と餓鬼がその大きさを増した。
「青山!」
 どうしよう、青山がやられたら。あたしは、警棒を握りしめる。
「ふうぅ」
 青山が大きく息を吐いた。だん、と一歩踏み込んだ。まるで、仁王の様に力強い動きだ。餓鬼の背中に手を回し、がっちりと締め上げた。青山の腕にぐぐっと力が入るのが、あたしからもハッキリと分かった。体が歪むほどに締め上げられて、餓鬼が苦しそうに吠える。
「はっ!」
 青山が鋭い喝を入れると、餓鬼の体が弾け飛んだ。
「うっわ!」
 四散した餓鬼の体が、こっちにまで飛んできた。あたしは思わず顔を背ける。生臭い。
 光が明滅する。蛍光灯が再び点いた。
「羽田さん、無事~?」
 片手を振りながら、どこか呑気な調子で、青山があたしに聞いてきた。
「あたしもおっさんも無事!おっさんは伸びてるけど」
 あたしはそう答えると、おっさんを置いて、青山に駆け寄る。重い警棒を青山に返すと、床に転がっていた鞄を拾い上げた。
 店の中はぐちゃぐちゃだが、白い床にさっきまで這い回っていた不穏な影は、もうどこにもない。明るく清潔。いつものコンビニだ。
「ふう、終わったのね」
「ここはね。さ、神社に行かないと」
 青山に言われて思い出す。うっかり安心してしまったが、あたしが開けた穴とやらを閉じないといけないのだ。
「そうだ、蝋燭!」
 あたしは、店の中ほどにある棚から昨日も買った蝋燭を出す。ついでにライターも。カウンターを覗き込むと、お店の兄ちゃんも床に伸びていた。
「あの~お金」
 あたしは兄ちゃんに話しかけるが、起きる気配がしない。
「後で払うから大丈夫」
 青山は、言いつつ、レジ横にあった月餅を掴むと、包装を剥がして一口で食べる。
「あ、泥棒!」
「良いんだよ。あ~、疲れた体に糖分が染みる」
 幸せそうな顔で月餅を頬張る青山。切羽詰まっているんだか、呑気なんだか分からない。あたしは蝋燭とライターを鞄に入れると、「行くわよ」と青山を促した。
 幸い、自動ドアは生きていた。修羅場の店内と場違いな、陽気なメロディーが流れる。一歩外に出て、あたしは息を呑む。
「なにこれ」
 思わずあたしはそう呟いた。
 まだ太陽は西の空にあると言うのに、外は、妙に薄暗かった。何と言うのか、まるで空気に薄めた墨汁を垂らしたような、不自然な暗さだ。そして、何より、人の気配と言うものが無い。車すら、一台も走っていない。その癖、そこここの茂みや薄暗がりから、何かがこちらを伺っている、薄気味悪い気配がするのだ。
「まずいな、急ごう!思ったより時間がない」
 急に真顔になった青山は、早足で歩きだした。自転車は置いていくつもりらしい。神社までは目と鼻の先だ。
「分かった!」
 走り出そうとしたあたしの足を、何かが掬った。
「うっわ!」
 たたらを踏む。青山が、あたしの足元に居たモノを踏んだ。ぱっとアスファルトの上に、より黒い影が飛び散る。
「くそっ、集まってきたな」
 青山が、周囲を見回す。ぞわぞわと、黒い影がこちらに向かって集まってきた。地面を這う影は、やがて立ち上がり、ヒトみたいな姿を取り始める。
「う。気持ち悪っ!」
 あたしは、思わず声を上げた。奴らは、あたし達の道を塞ぐように集まり始めた。
「行かせないつもりだな」
 青山は、警棒を抜く。襲い掛かってきた一体を、警棒で切り裂く。同時に後ろから来た奴を、返す刀で切り裂いた。しかし、どんどん影は増えていく。
「ちぇ、らちが明かない」
 舌打ちをした青山は、片手で見事に警棒を操りながら、拳銃を引き抜いた。影を切り裂くその姿は、まるでターミネーターみたいに決まっていた。構えた拳銃の引き金を引く。
「あれ?」
 間抜けな音をたてて、拳銃は沈黙した。
「ちょっと~!!」
「あ、弾切れ」
「信じらんない!うわ、うわ!」
 あたし達の正面から、影が覆いかぶさって来る。あたしは、目をつぶって鞄を振り回した。
 耳障りな声を上げて、影が消えた。
「へ?」
 あたしは鞄を見る。鞄に付けたお守りの鈴が、ちりんと小気味よく鳴った。
「サンキュ。ナイスお守り!」
 ちまちま弾込めをしている青山が、振り返ってにかっと笑う。
「サンキュじゃないわよ!さっさと弾込めなさい!」
 あたしはぶんぶん鞄を振り回した。ありがとうお守り。『交通安全』だけど、餓鬼にも効果あるんだな。あたしはお守りをくれた母方のじいさんに感謝した。
「よし、完了!」
 弾込めを終えた青山は、そう言うと、あたしを振り返る。
「ここは防ぐから、早く行け!儀式の手順は分かってるな?」
「昨日の逆でしょ?」
「そうだ」
 青山は、簡単に説明してくれた。あたしは頷く。
「分かった。大丈夫」
 影たちは、じりじりと距離を詰めてきた。青山は、拳銃を構える。
「それから、一番大事な事だ。どんな事があっても返事をするな!」
 影がうわっと押し寄せてきた。
 青山は、拳銃を構えると、正面に向かって発砲する。
 影が散る。道が開けた。
「行け!」
「分かった!」
 あたしは、猛ダッシュで神社に向かった。西の空に、夕日が落ちかかっている。その空の赤が禍々しい。
 息を切らせながら、神社の階段を駆け上がる。
 神社の境内は、不気味な位に静まり返っていた。人一人、猫の子一匹居ない。
昨日、地面に書いた八角形が、まだくっきりと残っている。昨日、そんなに力を入れて書いていないのに、残っているなんて。
 あたしは、鞄を下ろすと、取り出したライターで蝋燭に火を点ける。手がぶるぶると震えていた。しっかりしろ、あたし。
 手順は昨日と逆だ。
 八角形の中央に、火のついた蝋燭を持って立つ。そして、角ごとに、火の付いた蝋燭を灯していく。違うのは、今日は十本の蝋燭を使う事だ。
「ひとつ……」
「ねぇ!お姉さん、そこで何してるの!?」
 明るい男の子の声。
 あたしは、心臓が止まるかと思うほどびっくりした。
 顔を上げようとして、青山の警告を思い出す。
 どんな事があっても返事をするな。
 あたしは、ぐっとお腹に力を込めた。二本目に火を点ける。
「ふたつ……」
「ねえねえお姉さん!下着見えてるよ?」
 黙れ、こちとらショートパンツを履いているんだ。パンツなんか見えてたまるか。
「みっつ……」
 火を点ける。薄暗がりを、小さな蝋燭が照らす。蝋燭の光が、これ程力強いとは思わなかった。
「よっつ……」
「返事しないねぇ。返事してよ」
 嫌な事に、その声は夏希のものだった。夏希がこんな所に居るわけがない。あたしの背中に、冷たいものが伝う。
「いつつ……」
「蜜~、返事しなさい!」
 今度は母親の声だ。八角形の外で、何かざわざわした気配を感じる。その癖、一切地面を踏む音はしないのだ。
「むっつ……」
 落ち着け、落ち着け、あたし。体勢を変えるために足を動かすと、ざり、と靴音がした。
「蜜ちゃん、おばあちゃんだよ~。返事をしておくれ」
 祖母だと言う声は、逆に記憶の祖母の声とは全く違う。こいつら、どうやって声色を確認しているんだろう。
「ななつ……」
 あたしは、わざと現実的な方に考えを飛ばした。後一本だ。
「蜜ちゃん!」
 あたしは、八本目に灯そうとした手を止めた。この声は、青山?
「終わった、終わったよ蜜ちゃん!」
 あたしは、大きく息を吐く。終わった、のか?
 微かな違和感が、頭の片隅にこびりつく。何だっけ。
「蜜ちゃん、もう大丈夫!」
 青山の声が、なおもそう言い募る。
 蜜ちゃん?
 あたしは、青山の口調を思い出した。
 違う。
「やっつ」
 あたしは、顔を上げずに、蝋燭に火を点ける。
 八角形の角全てに火を灯し、あたしは顔を上げる。もう、神社の境内は薄暗い。誰も居ない境内の、そこここの木下闇で、何かが蠢く気配がする。
 八角形の中心に立つ。
「蜜ちゃん!」
 青山の声が、あたしの後ろから聞こえる。
「ここのつ!」
 無視した。
あたしは、八角形の中央に九本目の蝋燭を立てる。そして、十本目の蝋燭に火を点ける。もう、手は震えていなかった。
「とお!」
 あたしは、九本目の蝋燭の前に立ち、十本目の蝋燭を手にして、高らかに宣言した。
 何も起こらない。
「……へ?」
 あたしは思わず、足元を見た。土の上で、九本目の蝋燭がゆらゆら揺れている。……失敗した?
 一瞬そう思った。
 ゆらっと、あたしの手にした十本目の蝋燭の炎が揺れた。風だ。
 あたしの立つ八角形から、風が立った。
 ふわぁっと、淡い光が八角形の八つの角から立ち上る。光が柱となって上へ上へと昇って行く。思わず、その光を目で追いかけた。
 光が天に届いた。西の端に、少しの赤を残して、空はすっかり群青色に染まっている。
 光の柱は、その群青色の空に、木が枝を伸ばすかのように広がった。天を覆いつくすばかりだ。
「綺麗……」
 あたしは思わず呟いていた。まるで、天に網を打ったみたいだ。
天に広がった網は、今度は投網を引くみたいに縮み始める。
「わ、わわっ!」
 凄い勢いで、あたしの立つ八角形の中に光が吸い込まれていく。その途中に、おおん、おおんと言う、獣とも赤子の泣き声ともつかない声が混じる。
 光が眩しい。
 あたしは、蝋燭を握ったまま目をつぶっていた。耳元で風が鳴く。
 どのくらいそうしていたのだろう。
「羽田さん!」
 名前を呼ばれて、あたしは目を開ける。
 青山が、八角形の外に立っていた。パツパツの制服、人間にしては青すぎる顔。丸い大きな鼻に、どんぐりまなこが印象的だ。
「青山……」
「お疲れ。終わったよ」
 ふう、と言って、青山は帽子をずらして額の汗を拭いた。
「あ~、しんどかった」
「あたしも」
 あたしは、八角形の陣から外に出た。遠くから車の音が聞こえる。どこかから、夕食の匂いが漂って来る。いつもの夕暮れだ。
「青山、手出して」
 あたしは、顔の高さに片手を上げて、同じ仕草をするように青山に指示した。
「こう?」
「そ」
 あたしは、ぱん、と青山の手にハイタッチをする。青山はきょとんとした顔をする。
「何、今の」
「人間界で、『良くやったな相棒!』って言う時の仕草よ」
 あたしは、そう言うとにっと笑った。青山は、きょとんとした顔をしている。
「あ~、疲れた!帰ろ帰ろ!シナリオも書かなきゃいけないし」
 あたしは、そう言って鞄を拾い上げる。
「あ~、俺も顛末書書かなきゃ」
 青山も、ぼやきながらのそのそ付いてくる。神社の石段を下りながら、あたしは大事な事に気付いた。
「そう言えば、青山、人間アレルギーだったっけ。蕁麻疹は?」
「あ」
 青山は、手のひらを見る。
「出てない!」
 大きな手のひらをあたしに向ける。そこには、人間と呼ぶには色の青い皮膚があるだけだった。
「良かったじゃん。感謝しなさいよ」
「ありがとう!」
 青山は素直にそう言った。しかし、石段を二・三段降りた所で、ふと首を傾げる。
「あれ、でも今回の事って、羽田さんが穴を開けなきゃ始まらなかったんだよね?」
「あ、あたしこっちだから!じゃぁね~!」
 神社を出たあたしは、青山が根本的な事に気付く前に、さっさと別れを告げるのであった。
***
 数日後。
 あたしは、コンビニの袋を手に、陰気な交番の前に立った。
「あのう……」
 無表情なお巡りさんに話しかける。お巡りさんが、ぎろりとあたしを見た。
「あ、青山さんに会いに来ました!」
「どうぞ」
 相変わらずの無表情で、彼は奥の扉を指した。
 扉をくぐる。中は相変わらず、役所の廊下みたいだった。よくある役所のドアを開けると、『妖怪係』のプレートが目に飛び込んできた。
 そして、机に座るパツパツの背中。
「青山~」
「わっ、人間!」
 がたっと、青山は椅子を鳴らして立ち上がり、あたしの姿を見るとふうと息を吐く。
「何だ、羽田さんか」
「何よその言い方」
 あたしは、コンビニの袋を持ち上げる。
「せっかく差し入れ持って来たのに」
「差し入れ?」
「そ。月餅」
 青山は目を輝かせた。いそいそとカウンターに寄って来る。現金な奴。
「ようこそいらっしゃいました」
「うむ」
 あたしはそう言うと、袋から月餅を取り出し、一つを青山に差し出す。青山は嬉々としてパッケージを開けた。
「あ~、月餅って良いよね。色と言い形と言い、至高の芸術品だよね。しかも食べたら美味いし」
どれだけ月餅が好きなんだ、青山。月餅だって、そんなに褒め称えられたら本望だろう。
「あのコンビニで買ってきたんだけど、いつもと同じだったよ。一体何したの」
 そう、例のコンビニは、全くいつもと同じだった。兄ちゃんは、あたしの顔を見ても何の反応もせず、淡々と『210円です』と言っただけだった。そして、極めつけにあのおっさんが、あたしの後ろに並んでいて、何事もなかったかのように缶コーヒーを買って行ったのだ。
「あ~、あれね」
 青山は、前と同じように一口で月餅を頬張ると、口をもごもごさせながらあたしの質問に答える。
「うちの狐狸班の仕業」
「こりはん?」
 あたしは、首を傾げる。
「ほら、狐狸。狐と狸って書く奴」
「あ~、狐狸。で、狐狸班って?」
 青山は、名残惜し気に指を舐め舐め説明する。
「ほら、何か意味不明な事が起こったら、『狐か狸に化かされたような』って言うだろ?」
「え、ちょっと待って。じゃ、あの騒ぎも狐に化かされたみたいだね~って事で終わったの?」
「そ。関係した人間にそう思わせるのが、妖怪係所属の狐狸班の仕事。良い仕事してるだろ」
 あたしは、コンビニの周りを、狐と狸がちょろちょろしている図を想像した。どうやっても漫画だ。
「ちょっとちょっと、じゃあ、あんたの食べた月餅代は?あたしの蝋燭とライターのお金は?」
 青山は、にやにや笑った。狸が、木の葉をお金に変えてレジに入れている様を想像して、思わず頭を振る。
「全部話したら面白くなくなるだろ?結局、何事も無かったかのように世の中が回ってる、それが答えだ」
「何その答え。狐につままれたみたい」
 あたしはそう言って、はっと口を押える。これじゃ、あたしが狐狸に騙されてるみたいだ。しかし、そんな子供騙しみたいな言い訳でこの世の中は収まるもんなんだろうか。実際、収まってるけど。
「だってさ、ヒトならざる者がこの世に居るって言う事に、耐えられる人はそんなに居ないだろ?同じ人間同士でさえ、肌の色がどうした、信じるものがどうしたで争っているのに、これ以上この世をややこしくする必要はないよ」
 青山は、どんぐりまなこをぐるりと回してあたしを見た。こうやってよくよく見ると、こいつの顔はお寺にある仁王像にそっくりだ。人にしては青い顔色に、頭にはしっかり角が生えている。ああ、青山は鬼なんだなぁ、と、あたしは心の底から納得した。
そして、こいつが鬼という事を受け入れて、当たり前に会話しているのが何だか不思議な気がした。
「ま、それもそうね」
 あたしは頷くと、半分に割った月餅を頬張る。
「おや、先客かい」
 聞き覚えのある声に振り返る。三毛猫が入って来る所だった。ぴんと立ったしっぽは二本に分かれている。
「あ、寝古子さんだ」
「元気だったかい小娘。この前はエラい騒ぎだったけど」
 寝古子さんは、そう言うとぴょんとカウンターに乗った。
「あ~、大変でしたよ。次の日足が筋肉痛になったし」
「若いのに何言ってんだか」
「寝古子さん、お陰様で無事に解決しました。俺の初仕事ですよ」
 青山は、胸を張ってそう答える。
「ふん、少しは人間に慣れたみたいじゃないか。アタシがこの小娘連れてきて正解だったろ?」
 寝古子さんは、そう言うとひげを震わせる。
「あ、寝古子さんに会えたらと思って、煮干し持って来たんだ。食べる?」
 あたしは、鞄から煮干しを取り出す。寝古子さんは、嬉しそうに喉を震わせた。
「随分気が利くじゃないか。頂こうかね」
「羽田さん、俺にも寝古子さんにも差し入れなんてサービス良いね」
 青山は、そう言ってあたしを見る。あたしは、にこりと笑う。
「まぁ、何と言うか、お礼?」
 そう。あの日帰ってから、この出来事をネタに脚本を書き上げたのだ。無事仕上がった脚本を部長に見せたら、いたく褒められ、無事に採用と相成ったのだ。今日はそのお祝いなのだ。
「お礼?」
「そ」
「そんな~、助けて貰ったお礼とか良いのに~」
 まんざらでもなさそうに、頭を掻く青山。完全に勘違いしている。精々、そう思わせておくとするか。こいつ、鬼の癖に素直な奴だなあ、と思いながら、あたしは月餅を頬張るのであった。



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