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カニバリストの告白 ~輝ける悪徳 あるいは背徳のキリスト?

【まずは表面をカリっと】

 ハンニバル=レクターが好きだ。
 彼を知ったのは、羊たちの沈黙を家族で観た時だった。私は13歳だった。彼の圧倒的な知性と教養、貴族的な立ち居振る舞い、それでいて相反する残虐さは、私の心をがっちり掴んで離さなかった。それ以来、彼は輝けるダークヒーローとして、私の中に存在している。……とは言え、もし彼が現実に存在していたとして、彼がどんなに魅力的で、彼の作る料理がどんなに美味であっても、決してお近づきになりたくないし、一緒にディナーを囲もうとは思わないが。

 よって、図書館をふらふら歩いていた私が、本書を手に取ってしまったのは、内なるハンニバル=レクターに突き動かされたからに他ならない。

 生まれて真っ先に渇望したのは肉だった。
 この一文から始まる、衝撃的な告白小説は、期待を裏切らなかった。主人公は、オーランド=クリスプ。シェフである。元女優で美貌の母に似た美青年。どの位美青年かと言うと、少年時代に、彼のお尻を叩いた父親が、性器を弄んでしまう位の美青年。(オイオイ)
 オーランドが心から愛し、『ハイゲートの女王』(ハイゲートとは、彼らの家のあったイギリスの土地の名)の名を奉った母は、オーランドが子供の頃に病死している。それは、梅毒による死であった。母が娼婦まがいの生活をしていた事に、ショックを受けるオーランド。
やがて、彼は、料理の才能と美貌を武器に、シェフとしての地位を築いていく。そのためには、太った醜い師匠や、老いさらばえたパトロンの老婦人との性行為もいとわない。
 そして、パトロンの力で店を構える。そこに居た従業員が、美しい容姿と自分たちの欲望に忠実な双子。彼らの協力によって、店のオープンセレモニーは大成功。彼のレストランは、イギリスの一流レストランの仲間入りを果たす。しかし、そこに立ちはだかる一人の男。グルメ評論家のトログヴィルだけは、彼の料理を酷評するのである。
トログヴィルを不快に思いながらも、オーランドは双子を文字通り自分の両腕とし、少年の時から薄っすらと欲望を抱いていた、人肉食へと走るのである。
 最初の被害者は父と、その結婚相手。金の無心に来た父は、自分がオーランドの実の父親では無い事を告白。オーランドが誘うとあっという間に陥落し、そして肉になる。結婚相手の方も、勿論オーランドにメロメロ。そしてやはり肉になる。その肉を使って、トログヴィル一行をもてなす料理を作る。しかし、その料理は、美味であると同時に、人を野獣のように錯乱させる危険な一皿だった。
 事件により店から逃げ出したオーランドは、師匠に泣きつく。師匠の持つレストランの雇われシェフとなった彼は、イタリアへと跳ぶ。勿論、双子を伴って。そして、ここでも大成功を収めるが、やはりトログヴィルが追って来る。
オーランドは、かの悪夢の一夜の生き残りである歌手のエルヴェにたかられるが、彼の手引きで『ゲルマニア友愛会』という俱楽部を紹介される。それは、男性同士のSM俱楽部であった。オーランドは、エルヴェを殺害、更にゲルマニア友愛会のメンバーの一人を殺害し、『ゲルマニア友愛会』の会合で肉として提供する。
結局、そこが破綻のきっかけとなり逮捕され、精神分析を受ける事となる。精神分析医のDrバッレッティは、オーランドを『悪』と嫌悪し、彼の影響を受けすぎて肉食を受け付けない菜食主義者となり、最後は精神崩壊を起こす。彼の告白がどんなにおぞましいか、本書に時折挟まれるレシピが如実に語っている。何が恐ろしいと言って、レシピがいちいち美味しそうなのだ。
そして、最後のどんでん返しがあるのだが、これがまたミステリー的に面白い。

……と、ここまで来て、私は肉を食らう手を、嫌、キーボードを打つ手をぴたりと止めた。カニバリストがめくるめく悪行の果てに逮捕され、最後にミステリー的などんでん返しがあった。ああ、面白かった。……これはそんなに単純な話だろうか。
 作者の略歴を見てみよう。デヴィット・マドセン。哲学・神学者である以外の経歴は謎と言う、大変ミステリアスな人物である。これは、単純な輝ける悪徳の物語に集約して良い話では無さそうだ。

【しっかり中まで火を通そう】

 率直に言って、私はキリスト教に関して、知識ゼロである。キリスト教の知識は、聖☆お兄さんで仕込んだ程度のものである。知識のある方、または信仰のある方には大変失礼な文章になってしまうかも知れないので、予めお詫び申し上げておく。
 では、思い切ってずぶの素人が切り込んでいこう。

オーランドを分析する上で重要になるのが、女王たる母と、影の薄い父である。
母は、美しい女優、結婚するまでは勿論純潔であった聖なる女性、とオーランドは思っているが、実際は、娼婦まがいの事をしていた女優である。そして、父はオーランドの実の父ではない。これは何を意味するのだろう。
聖なる女性と、幼子と養父。これは、聖母マリアと聖ヨセフの物語を、ひっくり返した話ではないだろうか。と、すると、オーランドは聖なる存在であるキリストではなく、悪の存在・悪徳のキリストと言い換えられるのではないだろうか。

 さて、もう一つ。本書で何度も出てくる、最重要キーワード『肉』についてである。キリスト教、または聖書における肉の意味を検索すると、『神に背き、生まれつき罪に傾く性質を帯びた人間またはその性質』と出てくる。オーランドは、生まれて真っ先に肉を渇望している所から、生まれながらの罪、宿命的な悪人、ともいえるのかも知れない。
 となると、彼の精神分析をした挙句、精神崩壊するDrバッレッティが肉を拒絶し、菜食主義、かつ二元論主義に陥っていくのは偶然ではない。
更に調べていこう。『肉』の性質から人間を解き放つ事は可能である。それは、キリストが十字架に架けられた贖罪に基づき、精霊の『全き清めわざ』とされている。これを経た人間は、アガペーに生きる事となる、とある。
はい、率直に言いましょう。分かりません!辛うじて理解できるのは、オーランドは生まれながらの悪であり、Drバッレッティはそれに気付いて『全き清めわざ』を成そうとし、成せずに精神崩壊に陥る、と言う構図である。作中で、Drバッレッティはオーランドを悪魔と見なし、エクソシストを称賛している箇所があるので、この推測は当たっているのではと思っている。更に、作中では『グノーシス主義』に触れており、恐らくユングとの関連もあるとは思う。
作中では、男性同士の同性愛の描写、それも幼児愛好に近いものや、SM、聖職者による女装など、男性がメインとなるアブノーマル的性描写がこれでもかとばかりに出てくる。また、冒頭の部分で、赤子のオーランドが母の乳首を噛み切る場面が出てくる。一連の描写は、フロイトを強く意識させる。その視点で見ると、オーランド対Drバッレッティは善と悪、更にはフロイトとユングの対立なのでは無いだろうか。

と、推論立てたものの、残念ながら私の頭で深掘りするには、ここが限界であった。本当は、師弟関係や、双子の存在など、様々に暗喩らしきものが散りばめられているのだが、今の所、ここまで読み解くのが精いっぱいである。

 しかし、久しぶりに心の中がかき乱される一冊に出会った気がする。気になった方は是非、本書を手にして頂きたい。

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