Twitterを止めた一週間

【序文】
 生きているのが嫌になった。
 
 私には、Twitterで、友人だと思っていた人物が居た。知的で、小説に対する真摯な姿勢や、何気ない生活の一コマの文章が卓越した人であった。『そう言えば、最近あの人のツイート見ないな、忙しいのかな』などと呑気に考えていたら、ふとした拍子に自分が彼女にブロックされているのに気付いてしまった。
SNSの辛いところは、理由が分からない所である。彼女の地雷を踏んだのか、私が掛けてしまった言葉が彼女の何かを刺激したのか、謝る術も確認する術も、今となっては無いのである。
いや、別のルートで彼女とコンタクトを取る方法があるにはあるのだが、それをやった所で何の解決にもならないだろう。こういうのは、彼氏に振られたのと同じである。諦めるべきなのである。彼女の心は戻らないのである、例え私が今死んでも(エレファントカシマシ・翳りゆく部屋)。
二十代の頃、別れた元カレの誕生日に、復縁を狙ってカードを送り付けた経験がこんな所で生きるとは。とはいえ、彼氏に振られたのが辛いように、相互フォローからのブロックと言うのはなかなかに辛いものである。
 また、私は、pixivでとある漫画の二次創作を書いている。同じ界隈の仲間もいる。その仲間が最近アップした小説の台詞回しが、かつて自分が上げた小説の台詞回しとほぼ同じだった。しかも、それを指摘できず、当たり障りない感想を伝えてしまった。
相手だけが悪いのではない。
影響を受けるという事は少なからずある。かく言う私だって、中学生の頃書いていた小説が、ふと気付くとその頃はまっていたスレイヤーズの言い回しにそっくりで、我ながらぶっ倒れそうになった事がある。
言葉を選んで伝えれば、理解してくれる相手だった筈である。それを伝えなかったのだから、非はむしろこちらであろう。伝えるべき時に伝えなかった事で、私はずっとず~っとモヤモヤを引きずっているのである。
 そしてまたもや、二次創作絡みである。ええ、『同人女の感情』は笑えませんね。私はちらっと読んだけど、苦しくて最後まで読めませんでした。めっちゃ分かります。めっちゃ分かります。
同じ界隈の人が小説をアップしていた。(しかも相互フォロー)彼女が、『小説書くのは大変だけど、感想もらえて嬉しい』とツイートしているのを見てしまった。私も同じタイミングで短編をアップして、まだどなたからも感想を頂いておりませんが。
断わっておくが、彼女は悪くない。いや、本件に関しては、ハッキリ言って誰一人悪くない。悪く無いのであるがもやもやするのである。嫌、正直に言うと、私の中の嫉妬豚が嫉妬に狂うのである。

 ……とまあ、我ながら文章に直すと詰まらない事で心が折れるものだなと感心するばかりであるが、折れたものは仕方が無い。
 さあどうするか。
『え~ん、私の小説など誰も喜ばないんだ!このままpixivもTwitterのアカウントも全て消して、行方不明になろう!同じ界隈の住人達、私が居なくなってから後悔すれば良い!』と、アカウントを消すのもまた一興である。
 しかし、私は、瑞々しい十代でも無ければ、若さと不安に満ちあふれた二十代でも、社会と家庭の両立に悩む三十代でも無い。
 アラフォーである。堂々の氷河期世代である。もはや、傷付いたからと言って、この出来事をエッセイにして『かがみよかがみ』に投稿する事も出来ないお年頃である。そんなかまってちゃん丸出しの行動を取っても何の得にもならないどころか、他人様は私一人がアカウントを消したところで『あれ、居なくなっちゃった』程度で痛くも痒くもないと言う事実は、残念ながら経験で骨身にしみて知っている。
 それに、私は文章を書くことについては諦めている。諦めたと言うのは『私には文章の才能が無いから見切りを付けました。故郷に帰って見合いして結婚します』と言う意味では無い。例え、この世で誰も私の文章を読んでくれないとしても、私は書くことをやめられない、そういう意味での諦めである。
 どうせ、アカウントを全削除したとしても、絶対に何か書いてしまい、かつ絶対に『読んでくれなくても、薄目でも誰か見てくれるかな……?』と思ってどこかに投稿してしまうのだ。(4行前の文章と矛盾するが)それは目に見えている。
 ではどうするか。
 決めた。
 私は決断した。
 SNSと距離を置こう。
 9月某日の事であった。

【実践】

 まずはSNS断ちのルールを設定する。
全く見ない!とすると、却って見たくなる。人間はそんなものであるし、アカウントで繋がっている人たちが居るので、余り不義理をするのも悪い。
 かと言って『一日5分までOK』とすると、『今日はまだ見てないから見ちゃお!我慢出来そうだったけど』とつい見てしまうのが人間なので、それも無し。
 ルールは一つ。『SNSをなるべく見ないように。見るとしても、なるべく少なめに。そして、その状態を保つ事』
 『良く保つや否や』仏教の五戒を堅持する覚悟を問う言葉である。(余談だが、私は結婚式を仏式で挙げたため、この五戒を授けられた)『守る』ではなく、『保つ』と、緩みを持たせている所が、非常に人間を良くご存知で気に入っている。これで行こう。
 対象はTwitter。ついでにpixiv。PixivはSNSには入らないかも知れないが、『いいね』や閲覧数が出る仕組みである。しかも、他人様のいいねや閲覧数も見られると言う、私の中の嫉妬豚が暴れ出しそうな仕掛けが盛りだくさんである。どうせなら一緒に絶とう。
 ちなみに、私の日ごろ使用しているモバイル機器は三つ。スマホと執筆用ノートパソコン、そしてタブレットである。その三つのどれでもTwitterにすぐアクセスできる状況である。頑張れ私。

 一日目
 朝、通勤のバスの中で、いつもの癖でTwitterの青い鳥のマークを、ついぽちりそうになる指を必死で止める。
「誰か、私の事心配してるかしら?」などと甘ったるい考えが湧きそうになる。が、妄想を振り払い、ネットサーフィンのみとする。莫妄想。(もうそうするなかれ)
 いつも通り仕事をこなすが、不意に書きかけの二次創作小説の隙間を埋めるアイデアが降って湧く。
 帰宅して、あれこれがひと段落してからパソコンを開き、真っ直ぐにwordファイルを開くと、小説に加筆した。今日のSNS:0分。

二日目

 本って面白い。
 
 SNSをやらないと、通勤電車でも家でも読書が進むのである。Kindleで買って、放置しておいた『独学大全』にも手を付け始めた。(ちなみに『独学大全』は書籍版も持っている。そのくらいハードルが高かった)
 『独学大全』を読んでいる内に思い出して、家に帰ってから岡潔と小林秀雄の対談集『人間の建設』に手を付ける。15ページ目にして岡潔、ピカソをぶった切る。すげえ。
 本の魅力と実力を再発見した気分である。そう言えば、スマホにする前は、結構通勤電車で本、読んでたよなぁ。
 しかし、思わぬ処から刺客が現われる。Twitterと連動して登録しているメールアドレスに、Twitterからお知らせが届くのである。
『あなたのツイートが〇〇人に見られています。ツイートしませんか?』(キモは、見られています、だと思う。いいねの数ではない)
 悪魔よ、去れ!
 私は、誘惑を跳ね除けた。今日も0分。

三日目

 最初、Twitterを見ないと、手が震えたり飲酒量が増えたり(お酒飲まないけど)するのではないかと心配していた。
 ところがどっこい。
案外快適である。
色々捗るのである。
 食器洗い、洗濯物の片付け、娘の宿題の丸付け。ついでに公文の宿題まで見てしまった。
 ネットに接続するのは禁止では無いので、ネットサーフィンはしている。しかし、ネットサーフィンは楽しいが、しょせん一方通行である。(コメントでも書けば別だろうが)割と、サクっと離れられるのである。
しかし、SNSを一度見始めると、それを閉じるのには精神力が要る。諸説あるが『いいね』がもらえた時の快感は、お酒を飲んだり、性行為の快感と同レベルだと言う。そりゃ、いいねなんて頂いたら、ドーパミンがドバドバ出る筈である。うむ、やはり付き合い方は考えねば。
SNSを離れた利点はもう一つある。
 やたらとアイデアが浮かんでくる。
 今日は、140字小説のアイデアが浮かんだ。Twitterで応募しているコンテストに間に合いそうだったので、早速ネタを練ることにした。ついでに、今まで雑多に放り込んでおいたwordファイルの整理をして、すっきりする。
 断捨離効果か、するすると140字小説のネタが思い浮かんだ。早速書き留めて、Twitterに投稿。ついでに通知も確認するが、ほとんどはモーメントだった。
 正直に言おう。
 Twitterを開く時、『どうしたんですか?』『大丈夫ですか?』とか聞かれているかな~?と、一瞬自惚れ嫉妬豚は思った。だが、そんなに現実は甘くなかったのである。
 たはは、と思いながら、無事投稿完了。
 ついでにTLを見、フォロワー様達が元気そうにツイートしているのを眺め、いくつかいいねを押してTwitterを閉じる。
 投稿にもたついたので、滞在時間15分程度。

四日目

 YouTubeって面白い。
 
 評価されなかろうが、感想を頂けなかろうが、性懲りも無く書いている二次創作で、シェイクスピアの『マクベス』をモチーフにしようと思いつく。子供の頃、児童向けのシェイクスピアの本で読んだっきりで、ストーリーがおぼろ。
ふと思い立ち、YouTubeで『マクベス』ってあるかな~、と、普段余り見ないYouTubeを開いてみた。
 ありました。
 中田敦彦のYouTube大学。マクベス4部作。
 めっちゃ面白い。
 迫力の一人芝居で、するすると頭にストーリーが入って来る。(少し簡略化しているそうだが)
 余談だが、講談は昔、難しくて本が読めない人の為に、本の内容を分かりやすく嚙み砕いて伝えると言う娯楽だったと聞いたことがある。確かに、嚙み砕いて説明してもらうと分かりやすいし、ハードルが下がる。これは中々、いいものじゃわい。
 今日は、pixivをチラ見。
 ありがたい事に、先日の投稿に感想を頂いていた。狂喜乱舞し、熱い返信を送る。熱すぎて相手が引いていないか心配する。
 嫉妬豚が狂うといけないので、返信だけして、他の人の作品は検索せずに終了。滞在時間5分程度。

五日目

 主にメモ&YouTube及びアマプラkindle用として使用しているタブレット端末の方では、Twitterのお知らせが表示される仕組みになっている。(機能をオフにすれば良いのだが、敢えてそのままにしておいた)
 それが、6件を超えたあたりから、段々気になっていた。相互フォローさんから連絡が来てるのではないだろうか、DMが来てるかも……?
 いや落ち着け。先日の事を思い出せ、ほとんどがモーメントだ。私は深呼吸を繰り返した。
 開いてみた。
 少々のいいね、と、後はモーメント通知だった。
 ざっとTLを確認すると、相互フォロワー様が新作オリジナル小説をアップしているのを発見。早速拝読に走る。
 やっぱり、こう言う時には便利だな、Twitter。
 家人が、何故かエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を急に読み始めた。(彼もYouTubeから興味を持ったらしい)
 私は、実は大学で社会学を専攻していた。にも関わらず、フロムを読んでやしないというとんでもない怠け者である。物理学専攻の家人に後れを取る訳にはいかない。
 と、言う事でYouTubeにお世話になる。
 エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』・巨人の肩に乗るチャンネル様で勉強させて頂いた。
 ふんふん、分かりやすい!と言うか、1941年にこれを看破するなんてフロム凄い!(感想が小学生レベルなのはお許しください)
 成程ねぇ、フロムが言いたかったのはこう言う事ねぇ、と、15分ですっかり分かった気になって調子に乗っていた。しかし、翌日読んだ『独学大全』では、YouTubeに頼らずきちんと書籍に当たれと書かれていて、『済みません』と言う気持ちになる。ごめんなさい、ちゃんと読みます。今すぐ図書館で予約します。

六日目。

 今日は休日。娘は友達とがっつり遊びに行くと言うので、家人と二人で外出。
 久しぶりにちょっと良い店でランチをしたので、写真を撮ってTwitterに投稿。こうやって、日常のちょっとした出来事をツイートするのは、やっぱり楽しい。
 ツイートの反響が気になり、その後ちょこちょことTwitterを見てしまう。やっぱり、何かツイートすると、反響があるかが気になってつい見てしまう。で、見始めるとやめられなくなるのがTwitterである。
 今日の閲覧時間は、約30分くらい。

七日目。

 何だかんだで一週間が過ぎた。
 案外平気である。
 昨日、少し見過ぎてしまったので、今日また見たくなるかと思ったが、意外にそんな事も無かった。タブレット端末の通知の件数にも『あ~、モーメントね』と、平常心で居られるようになった。
 と、言うか、Twitterが私の中で遠いものになりつつあるのを感じる。心理的な距離が出来たと言おうか。
 例えていうなら『この人と一緒になれないなら死んじゃう!』と思っていた恋人と、距離を置くことになった。彼と別れるなんて無理!と思ったけど、なるべく彼を思い出さないようにしてみたら、案外平気だった。あれ~、そんなもんだったの?という感覚だろうか。今話題の内親王の話では無いが。
 この一週間を総括すると、思っていた以上に平穏で快適だった、と言う結論にたどり着く。インターネットに接続している時間は、恐らく以前とそんなに変わっていないはずだが、精神的には随分気楽である。
 SNSの良さと言うものは勿論ある。何かあった時に、TLがざわざわする感覚は、いかにも『地の声』と言う感じで、臨場感があって大好きだ。普段知らない人の日常を垣間見る楽しみもあるし、新しい発見もある。
 ただ、疲れるのである。
 見るだけで参加しなければ良いのだが、参加し、承認されたいと言う感情が入ると、疲れちゃうのである。
 多分、これからも私はSNSを続けるだろう。アカウントを消すことは、今は考えていない。
 だが、以前のようにどっぷりとSNSに浸る生活には、今の所なりそうもない。そう、二十代の頃、元カレと復縁出来ず、『ん~結果的に良かったかも』と思ったように。


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