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映画『シンドラーのリスト』

重かったよ。重すぎた。
本当は向き合うことも怖いのだけど、率直な思いを書き残します。

■はじめに(あらすじ&製作情報)
ナチス統一時代のドイツを舞台に、ユダヤ人への弾圧と虐殺の歴史を
ドイツ人・シンドラーを主軸に描く実話。
原作は同盟小説で、S・スピルバーグ監督がユニバーサル映画で映像化。

【ちな、wikiから引用するプチ情報】
*『ジュラシック・パーク』の製作を条件に、本件の監督を受託したスピルバーグ。同作の半分以下の予算で作ったため、古着を使用したり地元のエキストラを採用したりするなどして切り詰めて行われた(というのはもちろん劇中では全く感じさせない)。
*本編は基本撮り直しをしない方針で進められた結果、超長尺に
*打診から製作着手まで、企画に掛かった時間は10年

■鑑賞した理由
これ…前情報を知れば知るほど、いきなりのノリでは観れないでしょう?
・「人生の中で必ず観なくてはならない映画だろう」
・「でもきっかけがない(怖い、絶対1人では見れない)」
と身構え続けていたところを、
ふいに映画好きの先輩に先を越され、意を決しました。
(ここで言いたいのは、きっかけ自体はどんな形でもいいのだが
とにかく最後まで強い意思と集中力を持って
鑑賞できる環境があるとベストですね、という、
怖がりで挫折しやすい自分の独り言です)

■感想
重い、とにかく重い
・心臓がばくばく言うほどに恐怖を感じ
・薄っぺらい言葉を発することが躊躇われ
・これが現実なんだと受け止めた瞬間に思考停止
これが自分の感じた"重い"の言語化。

②筋書きの自然さ
映画は、物語や情緒だけではない。
伝えたい一筋のメッセージがあり、
そのメッセージを映像の中でどのような手法を使って伝えるか、に
最も作者のセンスが現れるのではないか、と、個人的につくづく思う。

その点において、この残虐すぎる史実を
どう鑑賞者に自分ゴトとして捉えさせ
"リアル"に感じさせることが出来るか、を
重要視して製作されたことが予想される。
(「ある一人種が600万人も虐殺されました」
この一文を聞いただけで自分ゴト化できる人間は誰もいない、
それが作品として存在する意味だと思う)

自分は、3時間超の本編開始から10分が経過して早々に
「あ、これやばいやつだ(まじでリアルに体感するやつだ)」
と確信した。
ストーリー冒頭、ドイツ人とユダヤ人の目線は、
同じ人間であることを認め合い、紛れもなく対等だったからだ。
若干の差別を描きながらも、それは今世紀に存在するものと何も変わらず、
彼らの社会の雰囲気はあまりにも平穏で、身近すぎた。
そばにあった小さな偏見が利用され、この先の大量虐殺に繋がるなんて、誰が想像できたんだろうーー
モノクロの映像がさらにリアリティを助長させる。

確実にそこに人権はあったのに、しっかりと足元から崩れていく
まるでモノのように、"生"のない目に変わっていく
気付いた時には、歴史で勉強したホロコーストのシーンが
目の前に写っていた。
それまでの流れが何も違和感もなく、
何も割愛することなく、ただただナチュラルに、
様々なロールの人間の視点から描かれる。
(その登場人物一人一人についても言及したいが長くなるので割愛)

③主人公の人間味、ゆえの納得感
シンドラーは、最高の褒め言葉として言うと、
初めから終わりまで人間だった。
ここでいう「人間」とは
 =完璧ではない、感情があり、時に信条も移り変わる
これはヒトを弱くする性質でもあり、
そしてヒトを救うことも出来るーー
という、本質を描いていたと思った。

変わる、なんて簡単な言葉だが
変わることが出来ることは則ち心の強さだと思う。
キービジュアルにも登場する赤い服の少女が現れたことを境に
仕事にだけ実直さを捧げていたシンドラーの心情に変化がもたらされたのでは、と
先輩が考察していた。
(そしてそんな彼の変化を、モノクロの荒野で決定的に目立つ、
赤い服の少女の存在感を通して描いたスピルバーグ巨匠に感銘、という話)

ナチスは対局だ。
独裁主義のトップを盲信するが故の番犬のような忠実さ、
軍隊や政党の思念統一によるアイデンティティの忘却、、
残虐な行為を続けることでやがて正常な感情を失ってしまう。
そんなとんでもない力を持った脅威に対して
シンドラーは人間らしさだけで我を通した。

彼の信念は、正義感ではないと思う。

「己を自制することが"力(パワー)"だ」と、
収容所を監督するドイツ軍の所長に強く諭すシーンがあった。
自制心を強さと言うのであれば、
この"力"を行使する場面は、必ずしも正義である必要がないと思う。
ナチスが"力"を行使したって良い。行使できるのならば。

シンドラーに諭された後、
所長は「許す」と口癖のように呟きながら
自制心を保とうと我慢を続けるも、
最終的には爪にゴミが付着したことをきっかけに
通り掛かったユダヤ人の少年を射殺する。
そんな些細なトリガーで、
顕れてしまったサガを抑えることが出来ないのだ。
これこそが、弱い人間は"力"を使いこなせないことを訴えたシーンだった。

手に入れた権力により、虫のように人を殺し、征服した気に陥り
あたかも"力"があると勘違いをして、自制心を無くしていく。
人を殺して自制心を無くすのか、
自制心がないから人を殺すのか、
どちらが適切な過程なのかはわからない。
ただし事実は、これが、
ドイツ軍が最終的に戦争に敗北した原因の一つだったということ。
権力の魔性とはこのことだと思う。
本当の"力"とは、強さとは、何なのだろう。

"彼の信念は、正義感ではないと思う。"
これを逆説的に言えば、
"力"を使える人間は強く、その姿自体が正義、
なのではないか。

主人公のオスカー・シンドラー
(リーアム・ニーソン)


■まとめ
・これだけ感情が入り乱れ、人としてのあるべき姿を省みることが出来る作品はそうない。真面目に鑑賞できた環境に感謝
・あくまでもシンドラーが主人公の映画であるのに、その背景の歴史に、これ以上ないリアリティを持って引き込まれる(残忍であるがゆえでもある)
・もしも彼がわかりやすい聖人であったらここまでの共感は生まれなかった

人間が人間らしくあることがどれだけ正しいのか
(そして人間だから間違いも後悔もある、
それでも1人を必死に救うことが世界を救う)、が
自分がこの作品から一番強く受け取ったメッセージだ。

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