見出し画像

〈実話前世👘17〉ついに、父の前世の“戦地”に来ました

こんにちは👋😃。椿あんこです。
今日も、父の前世をめぐる旅の続きを、
行ってみたいと思います。



⛩️減っていた、白虎隊士

新潟県新発田市から、いよいよ福島県に戻ろうとした午後、
車に乗り込もうとしたマミコがふと言いました。


マミコ「白虎の数が、減ってる。。。」


もともと、父トシオの前世である遠藤嘉龍二についてきた他の白虎隊士は、
誰が誰なのかわからないので、
誰が残っていて、誰がいなくなったのかわからないのですが。
気がつけば、ひとり減り、二人減り。。。



私は、彼らが視えないので、
全員いなくなったのかわからず、
定期的にマミコにたずねます。


私「白虎たちは? いる?」

マミコ「いるわよ」

私「何してる?」

マミコ「寝てる。疲れたみたい」


修学旅行のバスの中で爆睡あるあるだな(笑)。


赤谷(あかだに)の戦いの場所に行ったあと、
何人か消えた白虎隊。
私は考えました。
その地までいき、何か、納得したり、
満足したりしたのではないかと。




⛩️熊倉の戦いのあった、福島県熊倉

トップの画像は、熊倉の地図です

オレンジで塗ったところは、
幕末は宿場町があった通りです。

資料を読むと会津藩の連合軍は、この宿場町で待機していたそうです。
今は、現代の家が建ち並んでいます。
かつてここが戦地だったなんて、すっかりわからなくなっていました。



車を降りると、マミコは霊視をしています。
そして、画像の地図の♥️マークをつけたところを指差しました。


その家も、普通の現代の家でした。

マミコ「ここ、嘉龍二が傷の手当てをしていた家」


マミコの目には、幕末のその建物が映っていたのでしょうね。



⛩️墓地での戦い方


熊倉の宿場町の通りを抜けると、
田んぼに囲まれた墓地がありました。
地図の右上の位置になります。


この墓地には、この熊倉の戦いで戦死した、佐藤銀十郎の墓もあります。

マミコがまた霊視します。


マミコ「あのね、墓石を台にして、そこに鉄砲を据えて、固定して撃つのよ☺️。
墓石に隠れながら撃つのよ」

まるで見てきたようなことを、さらっと会話に挟み込むのがマミコです。



この戦い方は、その3年後、NHKの大河ドラマ『八重の桜』で、
似たような戦い方をしていたので、「このことかぁ!」と納得しました。


こんな感じで、視えない私は、
本当にそういうことがあったのかちまちまと調べ、
時差でやっと理解がマミコに追い付くのです😅。





⛩️何も言わない嘉龍二

私は、期待していました。
事件の実地見聞みたいに、嘉龍二が現場に同行して
あれこれマミコに教えてくれるのではないかと。

しかし、それはありませんでした。
ちょっとガッカリです(笑)。


マミコは、そこで視えたビジョンを教えてくれました。

その日はね、あまり激しい戦いではないの。
草原に座って、笑い話もしたりして、
寛いでいるわよ。

次にマミコは、
嘉龍二からみたビジョンを教えてくれました。


嘉龍二は、誰かについていったの。
その人に憧れていたみたい。
そうしたら、突然その人に切りつけられたの。
嘉龍二はあわててその人の腕を掴んで、
肩に縫い付けてある藩の札を確かめた。
「あれ?この人、会津藩の味方の方の人だよね?え、なんで?」と。
そこで、嘉龍二は倒れて、切りつけた人は逃げて、
会津藩の他の仲間に助け出されたの。

この熊倉の戦いは、
会津藩の他に、いくつかの他の藩の隊や、有志たちも集まっての戦いでした。
つまり、嘉龍二達からしてみれば、
数日前に知らないグループがたくさん合流しての、心強い戦いだったのですね。

後日、マミコの父佐一郎の霊が、
そのシーンを補足してくれました。

佐一郎の霊「嘉龍二は、“その人の奔放さ”に憧れていたんだよ。
しかし、その人は(やくざの親分的な人は)、
嘉龍二をよく思っていなかった。
育ちの悪い自分と違い、
武家に生まれ大事に育てられていて、
ちょっと小生意気な嘉龍二を、妬ましく思っていたんだよ」

今までの話を全てまとめると、
マミコが霊視した「そのシーン」は、
こんな感じです。



熊倉の戦いに参加したやくざの親分Aは、
敵側(倒幕軍)から来た偵察係だった。
会津藩軍の様子を一通り偵察したので、
そろそろ会津藩側からずらかろうと抜け出した。
そこを、嘉龍二がたまたま見ていた。
嘉龍二は、今までこのやくざの親分みたいなタイプにあまり会ったことがなく、
カッコいいなと憧れていたので、
その人がどこか行くなら、ついて行ってみたかった。
一方のやくざの方は、これからずらかろうとしているのに、
会津藩の小生意気な小僧がついてくる。めんどくさい。
まあ、殺すのもあれだから、軽く切りつけて、逃げてやれ、と。

この、「嘉龍二を切りつけてずらかったやくざの親分」の正体は、
令和現在、まだ確定できていません。


この地では昔、そんなことがあった。
しかし、そんな小さな事件を誰も知らない。
当時とはすっかり変わってしまった熊倉の町と、
墓地の後ろに広がる田んぼを、
私はしばし眺めていました。




続く!


椿あんこでした。
今日もお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?