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「スキを仕事に」へのモヤモヤ感の正体

Twitterをひらけば飛び込んでくる

「好きなことで生きる」「スキを仕事に」「ノマド」「フリーランス」

という言葉たち。

そういう生き方も良いなっと素直に思う反面、なんだかずっと自分の中でモヤモヤがあった。

昨年末ごろからどうしても「アフリカに呼ばれている」気持ちが強くて、タイミング的にも暗礁に乗り上げかけそうな仕事に見切りをつけ、再び旅に出る決意はしたものの、上記の生き方がどうもしっくりとこない。

少しでも今後につながる可能性があるのなら、とnoteの毎日更新を始めたり、クラウドワークスのライターに手を出してみたり、Twitterのフォロワーさんを増やすノウハウを買ってみたり。

とにかくそういった言葉たちにつながるような行動に挑戦してみた。

そしてようやく気付いたのだ。

「スキを仕事に」って私もう自分のやってきた仕事がずっと「好きな仕事」だった、ということに。

高校3年間の定食屋でのアルバイトも
大学4年間のライトオンでのアルバイトも
社会人になってからの5年半のバイヤーと営業の仕事も
イギリスワーキングホリデー中にやった
日本食レストランのバイトも
現地の留学オフィスでの仕事も
復職してからやっていたマレーシアの新規事業も

全部、ただただ「好き」な仕事だったのだ。

誰から強制されることもなく、嫌々続けているわけでもなく、いつでも自分で選び、自分の意思で続け、ワクワクしながらやってきた。

私は「会社」「チーム」「組織」に身を置いて仕事をすることがとても好きだったのだ。そこでの拘束が苦痛になるわけではない。

仕事は変えられる、自分の意思で。好きな仕事をまた見つければいい。

だから「スキを仕事に」の発信にモヤモヤしていた。勝手にそういったことは「会社や組織の枠外にいる」という思い込みがあったから。

そう、私は旅をしながら仕事をする、拠点を変えながら生きる、というよりは、ある一定の期間地元のコミュニティーに関り、根付き、暮らしたい。顔なじみの近所の人を増やして、お気に入りのレストランを増やして、気軽に誘いあえる飲み友達を増やしたい。

だから私の働き方の理想は、気に入った国で仕事を見つけて数年過ごして、また気になる国が出来たらそこに移動する。

数年単位での「移動型被雇用ライフスタイル」

「自由に駐在先を選べる駐在員」みたいなイメージが理想。

最初は自分にとってどこまでも非日常な世界が、年月とともになんでもない「日常」へと落とし込まれていく。気づけばあこがれだった国で、ただただ自然に生きている、これが私にとっては「贅沢な生き方」なのだ。

半年くらいは旅をする。

その後はインドかベトナム、もしくはチャンスがあればアフリカでの就業を前提に転職活動を行っている。

なお、ツイートのように同じく行動を共にしてくれる「恋人」も募集している。完全に面白いから、「現地愛人」に票が偏りつつあるが、私だって出来れば落ち着いた恋愛もしてみたい。叶うものなら。

個人的なボヤキはこれくらいにして。

なんだ、「スキを仕事に」って特別なことでもなんでもなかったんだよ。

本当はそんな生き方をしている人、いっぱいいるんだよ。

何が正しいとか、何を選ぶとか、そういうんじゃなくて、ただただ純粋に

「自分はどう生きるのが幸せなのか」を見つめなおすこと。

そしたら意外とあっさりと身近ななかに、見つかっちゃうくらいのものかもしれないよ。


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よくいく居酒屋のハイボールは、1杯190円です。もちろん深い意味はありません。