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待つことを愉しむ 待つことを思索してみる

ここのところ、待ち時間の過ごし方を変える ようなことをすることが増えているような気がします。
ここ数年間実践しているデジタル読書 もそうだし、その後の読書ノートの作成 もしかりだと思います。
そして、今回のトラベルルータの設定などもそれの一環かも知れない なと思っています。

待てない小理屈野郎

個人的には、待つことは非常に嫌い です。
遊園地(今はテーマパークといった方が良いかも知れません)や、はやりの店で行列をつくって待つ、というのは一番嫌なことの一つ であることは変わりません。
家内はこのあたりは対照的で、はやっていることとか話題のことなら少々待つのは当然だし待ってでも経験しておくべきだ 、という発想をしているようです。
おそらく待つ、ということにあまり躊躇しないのでしょうね。

私の場合は、なぜ待つことがそこまで嫌なのでしょうか?

行列をつくって待つ、ということは自分の貴重な時間が削られているという感じがすごくする こと、そしてそういう場合は得てして先を争っておなじ経験をしようとする場合が多いですので、なぜおなじ経験をするのに先を争ってしなければならないのか 、というある意味冷め切った発想 も根底にはありそうです。
人と違うことをすれば待つ時間の分も含めてもっと愉しるのではないか 、というのが小理屈野郎の根本的な考え方なのかも知れません。

「待たされている」から「積極的に待つ」へ

上記のように、待つのが嫌な小理屈野郎ですが、この頃、待つことは平気とはいわなくてもなんとなくいなすことが出来るようになっている と実感します。
例えば、例えば電車の中での時間。これは所要時間なので仕方がないですよね。だからその間デジタル読書をする、読書ノートをポメラで書いてみる、今の私であればそういう方向に行動します。その他の場合も、待つ代わりに何か代わりになることをしているようです。

これは、待つということが受動的行動から能動的行動への変容が起こっているのではないか と思われます。
待つ、ということは待たされる、ということでもあります。待たなければならない、というのはある意味与件でこちらの側ではなんとも出来ない のです。
待たされる受動的行動だから待つことが嫌になっているのではないか 。そこを少しひねって(視点を変えて)待ち時間を能動的に行動すれば少なくとも嫌な気分を覚えることは少なくなるのではないか 、ということなのです。
デジタル読書をするようになってから、あ、今から○○分あるから待たないといけない、となると、さっとKindle電子書籍端末を広げて、読みかけの本をどんどん読んでいって、向こうからお呼びがかかったらそこで切り上げれば良い、という風な感じです。この時(デジタル)読書をするというのは能動的行動 です。
また、前回のnote記事にあるように車の点検中はだいたいどれぐらい、とディーラーから時間が提示されるので、その間は待たなくてはならないです。それなら、今度の出張の時に困らないようにトラベルルータの設定の練習と、それが出来れば後はデジタル読書や読書ノートの作成をすれば良い、と能動的な行動に切り替えることが出来ています。
すべてを能動的行動にすることは出来ないかも知れませんが、このようなちょっとした工夫でイライラすることも減るのではないか (実際減っているのではないか)と考えています。

「何もやることがない時間」をいかに愉しむか

さて、能動的行動として個人的に考えられるのは以下のようなものでしょう

(デジタル)読書

電子書籍を使った読書です。文庫本や単行本は持ち運ぶ時にかさばるし、活字の大きさが老眼の小理屈野郎にはかなりきつくなっています。また、出版社によってフォントが少しずつ違うのも目が疲れる理由の一つではないかと思います。
そういう意味で電子書籍を使えば、非常に安定した環境で作品を読むことが出来ます。起動もすぐだし、中断もすぐ出来ます。

読書ノート作成

これはある程度まとまった時間が必要ですが、隙間時間にもしています。著作を読了後、読書ノートをまとめないとなんとなく落ち着かない感じがありますし、これは書き留めておきたい、ということがいくつもある場合もあります。そういうことをポメラを使ってまとめていきます。
ポメラも起動は5秒以下、そしてやめる時はそのままディスプレイを閉じれば終わり です。

note記事作成

これも、まずは電子ノートでキーワードを思索したり、その思索したキーワードから思索をさらに広げていきます。
ある程度思索が済んだら、ポメラのアウトラインモードで構成を考えます。
構成が整ったら、一気に書いていきます。
電子ノートもいわゆる紙のメモと一緒ですからすぐに記録(起動)できてすぐに離脱(中断)できます
そしてポメラで執筆していきますから読書ノート同様没入して執筆することが出来ます。途中で止める場合も、ある程度キーワードやキーセンテンスをアウトラインでまとめてありますので、後ろ髪を引かれるような感じはほぼありません後ろ髪を引かれそうになったらその内容を簡単にキーワードで書き記しておくとうまくいくようです。

トラベルルータ設定

今回、やってみて久しぶりに面白いなと思ったことです。
おそらく学生時代に海外旅行をしていた時に、旅先通信(ホテルの部屋の電話回線からパソコン通信に入って会議室の内容などを日本同様に追う)をしていたことがあって、通信の内容もさることながら、旅先(外出先)でちょっとしたテクニックを使ってパソコン通信の世界につながる、ということも非常に愉しいことだったのです。
それに近いような気がしています。
通信の規格がインターネットで統一されているので以前より悩むことも少なくなったし、良い時代になったと思ったりしています。
これも昔のようにつながるまでにそれほど時間がかからないし(昔もポイントをつかめばそれほど時間がかからず結果が出ました)、つながってからの行動もデジタル読書や読書ノート作成、note記事作成などやることがそれなりになるのでそこに止まってしまうことはないです。

あえてぼーっと思索する

今まで揚げたようなこと以外にあえてぼーっとする のもこの頃は良いなと思っています。あえてぼーっとしている時こそ良い着想のキーワードとか、思索が出てくる場合が多い ような気もします
昔は回遊魚のように常に何かをしていなければならない、と思い込んでいるところがありました が、最近はちょっとした緩さというかあそび、みたいなものが生活には重要ではないかな、思うことが多いです。

まとめ

今回は、待つことについて思索しました。
待つことが平気な人は、今まで通りに待てば良いと思います。待つことが嫌いな人は、少し立ち止まって、待つという受動的行為をその間に何かをするなどの能動的行為に変換してみるのが解決策の一つではないかと考えました。
この能動的行動については、すぐに始められて、すぐに中断できる、ということが非常に重要なキーを握っているのではないかと考えました。
また、受動的にしか動けないものでもその中で能動的行動に振り分けることが出来るのではないかという視点は非常に大切と感じました。
それが出来れば、退屈、ということはなくなるのかも知れないなと感じました。


思索をするようになって余裕が出てきて上記のような行動につながっているのであれば良いのですが、単に活動量が落ちてきてぢぢい化してきてはいないか、というところは少し心配の種です(苦笑)

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