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香港人は本当に敗れたのか を読んで 香港について考えてみた

今回は、前回の記事の中であげた読書ノートのフォーマットのうち一番最後より一つ前のものを使って書いた物をそのままアップしてみようと思います。
読了した本自身もかなりいい影響を受けた本です。


概略

産経新聞の書評を見て購入。
香港は、今回の議会の騒動や抗議活動を無理矢理収めたことでで本当に終わってしまったと、個人的にも思った。
実際にそうなのかを確かめてみようと思い、購入。
著者は産経新聞記者、出版社が産経新聞出版となっている。
その上で産経新聞の書評。
書評に広告的な誇張がないかどうかもチェックしながら読んでいきたい。

読了後の考察

自分の知っている香港が徐々に「赤子の首を真綿で締め付ける」ような感じで残念な方向に行っていることがレポートを読むと如実に分かる。

まずは自分の香港に対するイメージを書いてみようと思う

・自分の香港に対するイメージ

1992年

初めて香港に行った。
当時20歳。雰囲気としては猥雑な感じだが非常に元気。食べ物が非常にうまく、フカヒレの姿煮や点心など、食べ放題に食べた。
さらに価格も非常に安く(当時の日本の経済状況も影響しているかも知れない)、買い物をするよりいろいろなおいしいものを食べたり観光をしたりするのが非常に楽しかった印象。
なんだか活力のある町だと思った。

1995年

そろそろ香港の中国返還も近くなって来し行こうと言うことで行った。
前回あったフカヒレの姿煮のお店は跡形も無くなっており、点心の店も前は中国人ばかりだったのにいつの間にか日本人がたくさん来るようになってきて、ちょっと観光客ずれしてきたような感じがあって残念だったが、食べ物はおいしく、このときも朝がゆ、点心、中華コースというスケジュールで数日間食べまくった。
まだまだ元気だが少し心配な感じはした。

2002年

返還後、ある程度落ち着いた(と当時は思っていた)香港がどうなっているかを見てみるために訪問。
1997年前後はインド人が非常に多かったと言うことを聴いていたが、2002年は確かにインド人は少しいたがそれほど多くない印象。
前ほど活気はないようだが、まだまだ独特の猥雑な感じと活気のある感じが残っていた。
おいしい店で少し高級な店は全て無くなっていて、ホテルに付いても米系や欧州系のチェーン店のホテルが活況を浴びていた
自分もインターコンチネンタルホテルのエグゼクティブフロアに投宿したが、ホテルの中でも十分楽しく行けたという感じ。
ペニンシュラは一時の敷居の高さはなくなっていた
ちょっと期待外れな感じがした。

それ以降香港には行っていない。

2020年5月28日、中国の全国人民代表会議で、香港への国家安全法制が決定された。新聞で読んだが、まさか、という感じで呆然とした。
2020年6月30日、香港国家安全維持法が施行され、当日の産経新聞で「香港は死んだ」と一面のぶち抜き記事を見たとき、本当に悲しい気分になった
以前行ったときの香港はもう永遠に見ることができないと思うと、悲しくなった。
それ以降、おそらくもっと状況は悪くなっているだろうと思っていたが国内での報道はコロナ禍があってあまり詳しいことがなく、多分中国政府はコロナ禍を悪用するだろうという印象をもとに推測していたところ、今回の本に出会った。
読んでいくと、どんどん香港が悪くなっていく状況が手に取るように
分かった。
しかしその中で香港人(特に若い人たち・中高生も含む!)が自分たちの香港を潰さないでおこうという非常に真剣な戦いをしている所を見て、悲しいと同時に胸が熱くなった
また、香港だけではなく、このような政治問題に対する抗議行動は最初は穏当な所から始まるが状況は変わらず、どんどん闘争的になっていき、中でセクトができてきて分裂する。全共闘を時系列で追ったレポートを読んだ記憶があるが、それも同様な経緯をたどっていたような記憶がある。そのような状態が非常に克明に時間軸を見せながら記述されているところにも注目が行った。

今後、さらに悪くなるのか、よくなるのか?(独立も含めて)香港人の行動を見守りたいと思う。

大事なところのまとめと小さな考察

・現在の香港

→経済規模;1997年の返還前は中国経済の20%近くを占めていたが、2014年は中国全体の3%を割っている。
☆池上氏が、香港の経済規模は劣化してきていることと中国経済が隆盛を極めだしたこともあり、香港が目を見張るものではなくなってきた(他の地方都市の勃興があったと言うこと)。そういう面から考えると民主主義の根付いたと考えられる香港は潰しても経済に問題が無いと考えているので安易な管理の方法として中国化しているのではないかというのが当たっていると思う。
→2047年;中国政府とイギリス政府の間で取り交わされた覚え書きによると2047年、返還後50年は1国2制度を保つとしていた
→自分の香港人だと思うと答えた割合は2019年6月には52.9%と過去最高。2008年は18.1%。逆に自分が中国人だと思う人は2019年は10.9%、2007年は38.6%。

・香港の歴史

→1842年に歴史に初登場。アヘン戦争後の南京条約で英国植民地となる。南京条約では5つの港の開港を求められ、上海、香港、その他3行が俎上に上がっていた。
→不毛の島と言われていて、英国資本が進出し、アヘンの密貿易でまず発展の基礎が形成された。

香港と上海

香港と上海は互いに競争しつつ発展してきたと考えてよい。
香港はイギリスがドライブ、上海は中華民国・中華人民共和国がドライブ、という風に考えればよいと思う。

上海

列強各国が治外法権の地「疎開」をつくる。華やかな社交界が形成され、香港からアヘンが流れ込み、ギャングが暗躍して「魔都」と恐れられた。
1930年代には進出銀行が100行を超え国際的な金融都市になっていた。
共産主義国家が誕生したため、多くの上海資本が故郷を捨て、当時「小上海」と言われていた香港に移転する。
1990年代に再び目覚める。改革・開放政策で、浦東地区開発が始まる。
外資が優遇され、証券取引所も再会。江沢民国家主席などの「上海閥」が共産党指導部の中枢を占めるようになる。
アジア経済危機の影響で海外からの直接投資が減少する

香港

上記の移転してきた上海資本と大陸からの難民労働者が結びつき、中国への中継貿易基地から、輸出加工基地へと変化。
1970年代以降は、「政治的安定、定率の税制、放置祝儀、通信・交通のインフラ整備」等を背景に、香港政庁の積極的不介入政策と相まって国際金融市場の機能が整備された。
97年の変換ブーム行こう観光客数が急速落ち込み、マイナス成長が続く。
その頃香港と上海はディズニーランド誘致に動いていたが、香港のGDPは中国の8倍あったので香港に誘致された。
ここらあたりまでは香港が優位
徐々に中国政府が1国2制度を潰そうとするも、直接選挙をしっかりと行うように香港人が動いたり、政府の要職の人(最後の提督・パッテン氏に見いだされた女性など)が香港の自由を守るように働いていたので、中国政府も及び腰だった。
中国の経済発展が進み自信が出てきたため、徐々に国際的な批判もものともせず大胆な行動をし出す。それが今回の国家治安維持法や、立法会議の民主は締め出し、そして同法の施行によって、さらに1国1制度に近づくことになる。

・香港の民主主義は、最後の5年のみ

英領時代は1842年方155年続いたが、民主主義が持ち込まれたのは最後の5年間のみ
返還後の中国共産党統治への恐怖感の裏返し。
☆イギリスの植民地政策はまだましだが、イギリスは先のことについてはあまり考えていなかったことが露呈した感じである。歴史にifは、無いがもっとしっかりと民主主義を植え付けておけば違った展開があったかも知れない。
ただししっかりとした官僚機構は残していったようだ

・1国2制度の大前提

1.台湾独立の拠点とならないこと
2.中国共産党政権の転覆の基地にならないこと

☆これを中心に考えているが、民主主義的な運営をすると1.もさることながら2.が犯されることは自明の理。徐々にそのようになってきたため中国政府が締め付けをきつくしてきたという風にも考えられる。

・元気な若年層

非植民地の香港に生まれた彼らには移民意識がないので、自分たちの場所と認識している。
さらに返還後、「夢がない、希望もない、お金もない、可能なら大学に行きたいけど、(香港人と言うことだけで)就職のチャンスも狭まってしまう」と言うことでつらかったのもある。
なのに、域外住民の移住が毎日150人ずつある。これにより香港人の就職難や中国マネーによって不動産価格が高騰しマイホームを諦めざるを得なくなっている。
☆なんだかアメリカのラストベルト地帯の白人のような心境だろう。

それが今回の闘争にも大きく影響していると思われる。

・返還後に進む方向は?

中国の香港化?香港の中国化?
☆おそらく後者だろう。もちろん香港人が抵抗をしっかりしているのは十分知っているつもりだが残念だがそうなるような気がする。
少なくとも今までの方向はそのようだ。
香港は宗主国が英国から中国に変わっただけで以前、植民地状態にある
→☆香港人の実感としては、いつわざる所だろう。

香港でのデモでの要求点

5大要求と言われる
1.逃亡犯条例改正案の完全撤回
2.デモを「暴動」と認定した香港政府の見解の取り消し
3.警察の暴力に関する独立調査委員会の設置
4.逮捕されたデモ参加者らの釈放
5.行政長官選や立法会選での普通選挙の施行

補足;返還後も香港で認められていたもの5つ
1.蘋果日報(リンゴ通信・アップルデイリーとも。香港政府に対して批判的な立場で報道を行っている報道機関)
2.デモ
3.民主派
4.天安門事件の追悼集会
5.コモンロー(英米法)

アメリカの影響

トランプ大統領が、中国に香港の1国2制度を守らせるように圧力をかける香港人権民主法が成立せた
☆意外や意外。トランプがまともなことをしていると思われるwww

国家安全法施行後の香港

教育面

日本で言う「探求授業」(=通識教育)が無くなり、中国共産党を翼賛する授業に変更された。
補足;通識教育は英両時代から続く科目。2009年に高校の必修となっている。社会問題など様々な課題を生徒に与え考える力を育成する。

愛国教育、国家安全教育の推進
中国共産党を批判するような意見が出ないように教員は授業に注意を払うようになり萎縮しだした。
香港の「準国家」を歌うことが禁止となり、中国の国歌「義勇軍行進曲」を歌うようになった。

言論・報道など

蘋果日報の社長が拘束されたり会社をガサ入れされたりした上、最終的に休刊となった。
言論、報道、集会、デモの地涌制限拡大

天安門事件について

触れることは厳禁。追悼集会などもなくなった。

宗教

宗教の中国化を習近平政権は進めている。ほぼ民族改造に近い

公務員に対して

中国・香港政府への忠誠の強制

公民権など

香港政府による立法会議員の資格剥奪
司法の独立に対する親中派の圧力

文化活動

言論や表現の自由が侵されるため香港映画が衰退した。

密告制度

文化大革命などでもあった中国の悪名高き密告精度だが、やはり施行するとと家族でも密告してしまうのが中国人のすごいところ。ここでもそうなってしまっている。

・国際機関の撤退

アムネスティ・インターナショナルも香港支部を閉鎖。

チャップリンの「独裁者」の中の台詞

「絶望してはならない!」
「独裁者は死に絶え、権力は民衆の手に戻るだろう」
「人間は必ず死が訪れる。だから自由が滅びることはない」

中国政府は独裁者ではなく独裁機構。滅びるだろうか?

香港の変化を簡単にまとめると…

・香港メディアが元気→死に体(香港メディアも自己検閲)
・中国にもの申す香港政府→中国政府に牛耳られてしまって太鼓持ちになっている(中国にいいなり)
・慎重な中国政府→尊大な中国政府(直接介入)
・政治に無関心な香港→政治にすごく関心がある人が増えたが現在は、無関心を装い仮面をかぶっている)

まとめ

現在の香港と中国の関係を歴史を含めてまとめてあり、よく理解ができた。
自分も訪問しているところだけあって、非常に細かいところまで分かった気がする。
今後の香港も意識してフォローしていきたい。


読書ノートのフォーマットをテンプレートにするだけでどんどん書くことが出来ました。
また、時期を見て最新のフォーマットで書いたものを投稿しようと思っています。

今後もフォーマットに磨きをかけていきたいと思います。


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