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落合博満氏に関する本を読んで リーダー論・正義論について考える

日経ビジネスの書評で出ていたと思いますが、ちょっと引っかかったので、読んでみることにしました。

・今までの落合氏についての小理屈野郎の持っている認識

かなり癖のある人物。(失礼な言い方になるかとは思いますが)奥さんもかなり変わっているように思う。しかし一定(一定以上か)の社会的評価はあると思われ、どのような人間像かについては小理屈野郎か細かくは知りませんでした。

・読後の落合氏についての認識

☆読了後の一番の感想としては、非常に引き込まれて読めた、ということです。
☆著書は新聞記者で中日担当となり、落合という一人の監督をずっと追い続けてきた、その中から落合氏の本当の人間性や考え方を考えた、というものです。
リーダー論として読んでも、一人の人間の哲学として読んでも非常に実りのあるものだったと感じました。
監督という仕事を引き受けた限りは、必ず(どんなことがあっても)勝利に結びつけるような発想をするところは鬼気迫るものがあります。その一端として、日本シリーズ中にノーヒットノーランをおそらく達成できた投手がいたのですが途中で交代を言い渡し、継投させたこと。これについては本人が申告して交代となった、ということでしたが確かにそうかもしれないが、シーズン中ずっとその投手をしっかりと観察して、変化を捉え、その上で、決定をサポートした上で最終的に本人が決断を下した、という話だったようだ。その決定で本人が不利益を被らないように落合氏が守っているという感じを受けました。
☆勝敗にこだわるのも一つですが一人一人の選手を非常に綿密に見ており、さらにその見ている視線が凡百の指導者とは全く違うところが目を引きます。
その技法を本人は「独学」と著書内では言っていました。
その独学とは、いつも自分の正しいことを突き通そうとして「孤独」になっていき、その孤独の間に自分の内面と非常にたくさんの深い会話をしたのだと考えます。だからこそ、緻密な観察眼も出てきたのでしょう。これこそが落合氏の言う「独学」なのではないかと思いました。
☆さらに、落合氏本人のフィジカル、かなりすごいと思います。ノックをしても全然息が上がったところを見せないし、普通のバットではない変形バットで打ったりしています。
おそらくこの変形バットも自分で考案して作ってもらったものでしょう。ここまで自分の意思を通すことのできる落合氏という人間はすごいと思います。
就任してから1年間は首を切らない、と約束をしたとのこと。その間に前代未聞のキャンプ初日の紅白戦をしたり、(ここでも選手に自分の内面との対話をしてほしかったようだ)、公式戦や公式スケジュールが全て終わった瞬間から馘首を始めたり、としています。


引退の時もその選手に判断させるがその場所を大舞台を用意するなどキメは細かいと思います。

落合氏にとって正しいことは、ある意味感情論を完全に捨てた理論的バックボーンのみで構成されています
たとえは、若い選手を重用するのではなく今まで実績があって安定しているものを登用する等しています。
もちろん実績が出なくなった場合はすぐに切る。ただしちょっときっかけを与えれば改善しそうな場合はきっかけを与えるが大概の場合はそれは本人たちにとって非常に苦しいこと。また、それができなければそのまま引退になるという非常に厳しい選択でもあったようです。

・落合氏とは

いくつか心に残った言葉をあげつつ、落合氏という人を考察していきます。

「俺は一人で来るやつにはしゃべる」


→一人で格闘しているものたちには落合氏は非常に門戸が広いようです。落合氏もそうなのだろう。その厳しさや、ひたむきさをしっかりとわかっているのだろう。

「この世界、好きとか嫌いを持ち込んだら損をするだけ」「俺は野球と人間的なものは区別すると決めた」


→いろいろと迷った上での選択。この言葉は守るのも大変だがそれを守り抜いた落合氏もすごいと思いました。

スポーツは強いものが勝つんじゃない。勝ったものが強い」

→これもけだし名言だろう。常に現実のみを鋭く見据えていると思います。

「選手が訊いてくるまでは教えるな」「選手と食事には行くな」「全体に選手を殴るな」


→厳しい中にも本当の愛情を感じる気がします。自分で本当に悩めば手を差し伸べる(しかしなかなか厳しいが)、人間的なものと勝負を分ける(これは佐藤優氏の職場の人との付き合い方でも書いてありました。それをさらに徹底したものと思います)、高校野球部で殴られていやな思いをしたことなどから出てきた言葉でしょう。

☆こんな調子だから、劇的な勝利というのはほとんどなかった。淡々と勝ち、淡々と仕事をするという感じ。野球を娯楽、人間ドラマと捉える人たちからはさぞかしひんしゅくを買っただろう。

「落合はいつも、正義と決められていることと、悪と見なされていることの狭間に石を投げ込み、波紋を広げる」

→自分で考え抜くから矛盾点が見える。そこを的確に自分の考えで自分が正しいという方向に押し通していく。だからこそ結果が出るのだろうけど、それだけ反発も受けたのだろうと考えます。

「大勢の人間が唱え、当たり前のように跋扈する正義とは本当に正しいのだろうか?そもそも、万人のための正義などあるのだろうか?」

→これは本書が読者に突きつけた一番大きな問題だと思います。こういう風に突き詰めて考えないから皆がなあなあになってしまうのでしょう。


・星野氏と落合氏の違い


→よく俎上に乗る比較ですが、本書でも非常に面白く対照的でした。


「フォルティッシモで感情をぶつけてくる星野に対し、落合はピアニッシモで明確な職分の線を引いた」

「星野は勝敗を超え、球団の未来を語った。人々が希望を託すことのできるスターを自らプロデュースした。球団の一部となり、ある意味そのものになった。だから勝ち続けなくても愛された。」

「落合は今しか語らなかった。意図的にスターを作ろうとはせず、集団の象徴として振る舞おうともせず、あくまで契約に基づいた一人のプロ監督であることを貫いていた。だから破れれば孤立し、勝手も感動は少なかった」

☆これはどちらがいいかどうか言うかという問題ではなく人生(生き方)に対するスタンスの問題でしょう。どちらが好きか、という問題ではないとおもいます。

☆ここまでいろいろと考えて監督をしているので、監督を長く続けるのが苦しいというようなことを著者にも語っています。

「落合の世界に踏み入って感じたのは、その利というのはほとんどの場合常識の反対側にあった」
「落合は常識を疑うことによって、一つ一つ利を手に入れてきた。そのためには全体にとらわれず、こでありつづけなければならなかった」


→だからこそ選手を駒としてみていた、というわけですね。見下しているという意味ではないと思います。

「一より習い十を知り、十から帰るもとのその一」(千利休の言葉とのこと)

ある選手が本を読んでいて、感動した言葉らしい。やはりこれだけ孤独になると自分の中で本などと対話しながら深く考える必要があるのでしょう。そういう姿勢が選手にもついてきているのはすごいことだし、きつい練習や試合の中で本をしっかり読んでいる姿勢にも感動しました。

「心は技術で補える」

→技術がないから不安になる。なるほど。

「落合というフィルターをとおしてみると、世界は劇的にその色を変えていった。この世にはあらかじめ決められた正義も悪もなかった。列に並んだ先には何もなく、自らの喪失をかけた戦いは一人一人の眼前にあった。孤独になること、そのために戦い続けること、それが生きること」

☆いい言葉だと思います。彼ほど極められないけどこの言葉は自分の心に灯りををともすと思います。

著書としては、リーダー論としても読めるし、人生論としても非常にたくさん教えてくれることがあると思います。また、著者の仕事に対するひたむきな様子を見て仕事のやり方についても考えさせられるところがありました。

まとめ


落合博満氏についての著作を読み、考えてみました。
小理屈野郎が元々持っていた氏のイメージを大きく覆す興味深い本でした。
著作として、リーダー論としても人生論としても仕事のやり方論としても読める非常に奥の深い本だったと思います。

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