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有限性の効用 締め切りについて思索してみました

今回は(時間)の有限性について考えたいと思います。
要するに行動をするに当たって「締め切り」の重要性についてです。

というのも最近、仕事が忙しくて休日は休憩するのが精一杯の状態で、なかなかnote記事の執筆が順調ではなかったと言うことが背景にあったのです。

最近のノート投稿について

小理屈野郎はnote記事の原稿について、できるだけ1週間分ぐらい(毎週月・水・金曜日に投稿するので少なくとも3つの記事)の下書き原稿をもって投稿するように心がけています。

下書きが3つを下回るようであれば、土曜日の午後、仕事から帰ってから一段落してから、もしくは日曜日の午後(午前中はまったりと読書をしたいという気持ちが強いのです)にネタの断片を見たり、読書ノートを振り返りながら大体2つ、できれば3つの原稿の下書きを仕上げるようにしています。
同時に記事の下書きを書いている時もアイデアが出やすいので、「ネタの断片」にちょっとしたキーワード持たせることが多いです。

下書き原稿のストックを持っておく理由として、ぱっと思いついて、ぱっと投稿すると、推敲や思索の時間が減るので記事のクオリティーが落ちてしまう可能性が非常に高い(いまの記事のクオリティーについては不問としてください)と考えていることが一つの理由です。
もう一つの理由として、「1週間分ぐらい下書きがある」と言う状態は精神的にかなり楽だということです。
つまり、ある程度の原稿(下書き)ができているので、それを推敲したら、記事になる、というゴールが見えているからです。

仕事が忙しくなるとどうなるか

しかし、仕事が忙しくなってきたときはそれを守るのが難しい状況になることもあります。
2月に入ってからは、連休があったりしましたが連日所定外の仕事が入って仕事をしなくてはならなかったり、その他飛び入り案件も多く、ゆっくりと思索をする、という時間がなかなかとれませんでした。
ここまでの所、大体週初めには3件かそれ以上の下書き原稿があったのですが底を突くことが多くなってきました。

やはり少し落ち着かない感じがありますね。

そんなときに役に立つのが、「締め切り」の発想

こんな時に役立つのは「締め切り(=時間の有限性)」の発想です。

締め切りがなかったら、個人的なルールとしての投稿間隔ですから「今回はパス」という感じで定期的な投稿が止まってしまうことになったと思います。
しかし、noteでは毎週月・水・金には記事を投稿する、と宣言しているし、読者の皆様がいるのでそう簡単に止めるわけにはいかないと考えています。
中には(いらっしゃるかどうかは分からないですが)、その曜日を楽しみに待ってくださっている読者の方も居るかも知れません。その方たちを「裏切る」訳にはいかないなと思うのです。
ですので、なんとかポメラの前に座っていろいろと考え出すことが始まります。
そうすると、「火事場の馬鹿力」的に、それまでネタが思いつかない状態でもいろいろなことを結果的に思いつくことが多いようです。(もちろんあまりいいネタではないこともありますが)

そうこうしているうちに、少し時間がとりにくいときでもやりくりする自分のスタイルが出てくるのではないか、と期待しているところです。

ネタを思索するときでも時間を区切ってやった方が結果が出る。

締め切りでもう少し思索を広げてみたのですが、たとえ時間的に多少余裕がある場合でも時間を区切ってやった方が結果が出ることが多いようです。
「ネタの断片」ファイルに書き出すキーワードでも漠然と考えているときはなかなかこれと思うものが思いつきません
しかし帰宅時の車の中では、通勤にかかる時間というのは大体いつも一定です(到着が締め切りと考えられます)ので、その中で考えるので一番思いつくのではないかなあと考えます

また、何もない一日でも軽く予定を立ててそれに向かって動く方が結果が出ているような気がします。
もちろんその予定通りにいくとは限りませんが、ある程度「遊び」のあるスケジュールを立てておいて、少々の時間の狂いを吸収するようにしておくと、少なくとも計画していたことはクリアしてしまうことが多いようです。
この締め切りは突然外部から強要されるような環境だとうまく働かないと思います。それを吸収するのが上記の「遊び」ではないかと考えます。

「勉強の哲学」で言及されていた有限性の効用

以前書評でもあげました、「勉強の哲学」(千葉雅也著)でも有限性についての言及がありました。

無限の可能性の中では、何もできない。行為には有限性が必要」
「有限性と付き合いながら、自由になる」
(「勉強の哲学」)
限界があること、つまり、「有限性」がなにかを生み出す
(「メイキング・オブ・勉強の哲学」)

要するに何もない殺風景なところに放り出されてもなかなか具体的なことを考えることができない。ある種の枠をはめることによってその中で想像を働かせることによって思索が進むという考え方ですね。
そのとっかかりの真っ正面にあるのが「思考の範囲」なんですが、これだけではフラグが少なすぎるのかも知れません。そういう意味で「締め切り(=時間の有限性)」を入れることによって、結果が出るのではないかと考えました。

まとめ

ここのところ少し仕事が忙しく、ノート原稿の下書きのストックが少なくなってきたことから、締め切り(=時間の有限性)について思索してみました。
note記事やブログ原稿の定期的なアップは個人の精神的な強靱さだけでは難しい場合もあると思われます。
それを含み置いた上で、別のアプローチ(今回は時間の有限性)から原稿を書けるようにしてみるというのもいいアプローチだと考えました。
積み重ねができてくるとしばらく立てば収穫は思った以上になるのではと考えますので、コツコツと思索やnote記事のアップを続けていきたいと思います。

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