夏祭りと練習嫌いな自分
今年もめんどくさい練習と本番当日の高揚感を味わえる。
コロナとやらが出る2019年まで、毎年地元の夏祭りで行われるパレードに参加していた。
鳴子を持ってチーム独自の音楽と振り付けで大通りを踊り歩く楽しさにすっかりとハマってしまい、毎年夏が楽しみにもなっていた。
普段目立ちたがらない性格なれど、子供の頃から注目を浴びながら踊る人たちに憧れはあったのだろう。誘われた時に二つ返事で参加を決めた。
なぜ目立ちたがらない性格なのに毎年参加するのか。
それはきっと自分が無意識に持っているブロックが取り払われるからかもしれない。
本当はもっと輝きたい。けれど自信がなかったり恥ずかしかったり失敗が怖かったりして引っ込んでしまうことが、お祭りのムードと衣装と音楽と振り付けと、そして同じチームの仲間たちのおかげで取っ払われてこんな自分でも前に出ていくことができる。
大勢いる参加者の中の一人なのだから、別に自分一人が目立っているわけでもなく誰にも顔を覚えられたりもしていないだろう。
それでも自分の中のブロックを取り外してスポットライトの下に行けることは、本来の自分を解放できる良い機会だ。
ここまで読むと、さぞかし祭りを楽しんでいる一人に見える。
けれど問題がある。
僕は、練習嫌いなのだ。
週数回ほど集会所や公園などにメンバーで集まって振り付けの練習をする。
パレード本番でちゃんと踊るには絶対に必要なことで、それも祭りを通じて味わえる楽しい時間でもあるのだろう。
でも、とてもめんどくさいと思ってしまう。
汗だくになるし間違えたら恥ずかしいし仕事終わりには一度スイッチオフになっててテンション上がらないし。
とは言えその練習をしなくては本番でミス連発して楽しむどころが恥かいて終わるのだ。となれば行くしかない。
そのめんどくさい練習を乗り越えて訪れた本番当日には、とても心臓が高鳴る。
会場に到着すると、パレードのスタート地点には様々なチームが集まっており、大きな飾りを持っている人や、生演奏をするのか楽器を持っている人、そして衣装やメイクにもとても個性がある。
参加者ばかりが集まるこのスタート地点の雰囲気は、これから自分も祭りに参加するんだという実感を与えてくれる。
時間が来ると順番に音楽を流しながらパレードに出発していく他チームを見送りながら、自分たちの出番を待つ。
その時間はワクワクと高揚し、今年も祭りに参加できたことを感謝する。
パレードが始まってしまえばあとは勢いのまま。曲に合わせて練習した振り付けを踊りながら前に進む。
沿道から応援してくれる人もいてくれたりして、踊り終わりには思わず一礼してしまう。
そしてそのまますぐまた同じ曲が最初から始まり、また振り付けを1個目から擬えつつ前に進んでいく。
目立ちたがらない自分が一年に一度スポットライトの下に自ら出向くこの時間は、めんどくさい練習を乗り越えた後に特別な高揚感を与えてくれる。
お祭りというのは、いつもの生活の中で溜め込んだものを発散する良いイベントなのかもしれない。
去年から再開された地元のお祭りに、今年は参加を決めた。
また始まる練習がとてもめんどくさいが、本番当日を楽しむために行ってみようか。
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