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人はみんな何をしても、結局は日々をゆっくり死んでいくんだから

ゆっくりと自殺していくことが生きることだと思う
生きてるというのは、やたらゆっくりとしたロシアン・ルーレットをしているのと同じだ

普通の人は意外と徐々に消えるように、または突然、あっさりと死んでしまう。

だから、せめて死んだ後でも、誰かの記憶に少しでも残って

「あー、そういえば、あんな人いたな」
とか
「あの人があんなことを言ってたな」
とかとか

かすかな砂の一粒のような痕跡として、誰かが思い出してくれて、死んだ後でも、誰かの人生に少しでも関われたら、勝ちではないかと思う

普通は自分が生きていた記憶を残してくれるのは、自分の子供や家族だったりするけど、このご時世、自分の痕跡をネットを使って不特定多数に発信できる。

これは、私がこんな下らないことでもnoteを書く理由の一つでもある。

生きること、死ぬことは、それぐらい日々の生活と密接にカジュアルに結びつけて、過ごしたほうが気が楽だと思う。


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