2023年6月27日

ジブチ8日目、エチオピア1日目。


6月27日。この日はジブチの独立記念日の日らしい。前日にきいた情報によると、この日から5日間ほど、ジブチはフェスティバル状態らしい。私も参加したかったが、資金的な面でもかなり厳しい状況になっていたので、この日にエチオピアに入国することがベストだと判断し、フェスティバル状態になる前にエチオピアへと向かう列車の駅までタクシーで向かった。また、数年、数十年以内にジブチを訪れ、次ジブチに訪れたときは独立記念日を盛大に祝い、フェスティバルに必ず参加すると誓い、エチオピア行きの列車に乗った。


今回乗車した列車の終着点はエチオピアのディレ・ダワ駅というところまでだ。私の最終目的地はエチオピアの首都であるアディスアベバという都市までで、このディレ・ダワ駅で一度乗り換える必要がある。Nagad駅(ジブチ)〜ディレ・ダワ駅(エチオピア)、ディレ・ダワ駅(エチオピア)〜アディスアベバ駅(エチオピアの首都)といった流れでディレ・ダワ駅で一度乗り換える必要があった。各区間で約10時間ほどかかるため、アディスアベバ駅(エチオピア)に着くまでは2日間ほど要する計算だ。


列車は中国製の列車だが案外綺麗で快適だった。同じ席になった30~40歳ぐらいのジブチ人の男性とときおり喋っては景色を眺めるいい時間だった。その男性が、「エチオピアのコーヒーはうまいぞ、飲んでみるか?」と言ってくれ、車内で販売しているコーヒーをご馳走していただいた。砂糖が増し増しだったが、エチオピアの本場のコーヒーは格別に感じた。


ジブチの人はほんとうにフレンドリーで親切な方が多いなあとジブチの良さに浸りながら、車窓から広がる草原を眺めた。車窓からはどこまでも広く続く草原、ときおりみえる野生のラクダや牛の群れなどが見え、私は文字通り窓に張り付いて、まるで小学生かのようにただひたすら目の前の景色に感動していた。自分でもびっくりするぐらい無意識で笑顔で「わぁ〜〜!」と感動していて、「ああ、自分は世界を旅することが心から好きなんだな」と確信した。大変なことも多いがそれ以上に新しい人と交流したり、新しい景色をみたときの感動が上回るので「世界を旅することをメインに生きていこう」と心から思った。



Nagad駅(ジブチ)〜ディレ・ダワ駅(エチオピア)間の眺め


夕方17時40分頃、約8時間の乗車時間を終え、エチオピアのディレ・ダワ駅に到着した。


入国審査が完了するまでにさらに1時間ほどかかり、時刻は19時前で日が沈み、あたりは真っ暗である。現地通貨は持ち合わせておらず、携帯電話も使えない。宿も決まっていない。どんな場所なのかほとんど知らないアフリカのディレ・ダワという地でどのようにして一晩過ごすか。絶体絶命のピンチである。


まずはタクシーの人にドルで支払いさせてくれないか、と交渉をすると、受け入れてくれた。優しい。次に事前にGoogle翻訳で翻訳し、スクリーンショットしていた画面を駅の人に見せ、「この辺りでおすすめの安い宿はありますか」ときく。すると、「このタクシーの運転手が知っていると思うよ。伝えてみる」と言ってくれ、運転手の方がその宿まで案内してくれることに。


タクシーの運転手は、ハイエース(タクシー)に10人ほど乗せ、ディレダワの街へと車を走らせた。街中の道はでこぼこで、牛?のような動物も道の真ん中に当たり前にいる。でこぼこ道の影響を受け、アトラクションのように揺れる車内で夜のエチオピアの街を眺めながら、「これがエチオピアか!」とワクワクして楽しんでいる自分がいた。


20分ほどで宿の前につくと、タクシーの運転手の方と一緒にいた1人のおじさんが「明日アディスアベバ(エチオピアの首都)に行きたいのか?とりあえず今日の23時にもう一度同じ場所に集合しよう」とよくわからない提案をもらった。「夜行列車があるの?」ときくと「Yes,Yes!」と内容がしっかり伝わっているのかわからない微妙な返事をもらった。ひとまずアディスアベバに着くと空港もあるし、SIMカードショップもあると思っていたので、1日でも早くアディスアベバに行く必要があった。おじさんの提案通り、私はもう一度タクシーの運転手の方とおじさんと集合する約束をした。


このときはまだ現地通貨を持っておらず、ATMを探してお金を下ろす必要があった。街中にいた男性にATMの場所を尋ねるとATMは200mぐらいまっすぐ歩いたところにあるみたいだ。なんとかATMを見つけ、現地通貨を下ろすことに成功した。


さっきのおじさんと約束した集合時間の23時まで1時間30分ほど時間があった。とはいえここはアフリカの夜。まだ治安がマシなほうのエチオピアとはいえ、常に警戒心は緩めてはいけない状況だった。


ディレ・ダワでの様子1
ディレ・ダワでの様子2
実際は車も頻繁に通っていて人通りもあるし、商店や街灯もあり写真で見るよりは明るい


ベンチで休んでいると20歳?ぐらいの女性がきて、葉っぱのようなものを持って「これを買え、買え、買わないならお金か食べ物をくれ」と言ってくる。強引になにかをしてくるわけではないが、ひたすら同じことをいってくる。私も疲労が溜まっていたので「Sorry,I really don’t have money and food.」とキレ気味で何度も伝えたが、ベンチを離れて歩いていても2,300mぐらい付いてきた。正直気味が悪かったし、おそらく薬物に近い葉っぱを売りつけているのだろう。そのときは自分は感情的な言い方で言い返してしまったが、ジブチでも似たことは多くあった。ジブチやエチオピアはこのような部分はまだ統制が取れていないのかもしれない。


22時頃、集合場所の前で立っていると、6,7名いるパトロール隊のような人たちが私のもとにきて「何をしているの?今日の宿はあるの?あなたは日本人?」といった質問を受けた。


人を待っている途中であること、今日の宿はまだ抑えていないことを伝えると、「ちゃんと話をきかないといけない。交番の警察官を呼ぶわ。」と警察官を呼んでくれ、警察官にも事情を伝えた。するとパトロール隊の方々が「アディスアベバ行きの夜行列車はないわ。」と私に言った。私の頭の中は「???」だった。正直疲労もあり、状況を整理しきれずにいた。事前に夜行列車があると記載していたインターネットの情報があった、タクシーの運転手の方達は夜行列車がある(?)と言っていた、しかしパトロール隊の人たちは夜行列車はないと言っている。また、その後も10~20歳ぐらいの4~5名の男性から「アディスアベバまでの夜行列車はないよ。ほんとうだ」と情報をもらった。どれが正しくてどれが正しくない情報なのかわからなかった。


そこで私は、[私がタクシーの運転手の方達に騙されていて、車で知らないところに連れて行かれ、パスポートやクレジットカード、お金を盗られる]といった最悪のケースを避けるために、約束していた集合場所には行かないことにした。今思い返すと疲労困憊の状況下でよくこの正しい判断ができたと思う。幸運にも警察官の方に近くの安い宿を紹介してもらえ、情報量と疲労がMAXの中、宿に着いた。このとき時刻は22時40分頃。


すると宿にいた男性が「なにかわからないことはないか?大丈夫か?わからないことがあったらきいてくれよ」と言ってくれた。「宿代の支払いは先払いしてもいい?」ときくと「いいよ、○○burr(現地通貨の単位)だよ。」と言ってくれ、その男性にお金を渡すとお会計も済ませてくれ、レシートまで持ってきてくれた。「なにかこのほかに困っていることはないか?いつでも頼ってくれよ。電話番号も書いておくからなにか困ったことがあったらかけてこいよ。今日はゆっくり休むんだ。」と言ってくれ、何から何まで親切にしてもらい、世の中捨てたもんじゃないと心からその男性に感謝した。


疲れすぎていた、かつ次の日の電車の駅に午前5時には着いておく必要があったので、午前3時には起床していなければならない。このときの時刻は23時10分頃。シャワーも浴びず、すぐに寝た。


現地で正しい情報を把握するために、現地の人脈を作っておくことが重要だなと身に沁みて気づくことができた日だった。

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