時々、時事ネタ#1 基地問題への違和感

ひろゆき氏が、10月3日に投稿したツイートが炎上した。その投稿内容は、沖縄県辺野古を訪問していたひろゆき氏が、「座り込み抗議3011日」の看板の前で、「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」というものだった。さらには、満面の笑みも添えられていた。

普天間基地の移設先として新しい基地が作られようとしている名護市辺野古では、基地建設工事を断念させようと、長年、抗議活動が続いている。その抗議の蓄積を「0日にした方がよくない?」というのは、揶揄にしても、あまりにも程度が過ぎてる。その後、辞書の定義云々という、ほぼ基地問題と無関係な論点に汲と々する態度からは、物事の構造とか非対称性を見る視点が決定的に欠落しているようにしか思えなかった。

ところで、今回のひろゆき騒動に端を発した基地問題について各識者の発信をいろいろ聞いてみたのだが、どうにもある違和感が拭えなかった。その違和感は、私が高校生のときから感じていた違和感でもある。私は、普天間高校に在学していた。普天間米軍基地がある街にある高校である。米軍機の騒音で授業が中断されることも多々あった。大学は、米軍基地のすぐ隣にある沖縄国際大学に通ったが、この大学は、2004年に米軍機墜落事故の現場となった大学である。つまり、私の学生時代というのは、基地とともにあったといっていい。

米国のラムズフェルド国防長官(当時)が言ったように、普天間基地は「世界で一番危険な基地」である。住宅街のど真ん中に位置にし、万一、事故が起きれば、近隣住民は死を覚悟する必要がある。そんな場所である。2004年に米軍機墜落事故が起きてからは、頭上で飛んでいる米軍機を見ながら、「まさか落ちてこないよな」と怯えながら過ごすこともあった。こうした恐怖心も生活をしていくなかで慣れてしまうのが怖いところだが、それでも普天間の街で暮らすことは、背中に死が張り付いているような緊張感がある。

社会人になり、那覇市で数年間、働いていたのだが、そのときに思ったのは、那覇市では米軍基地を意識することなく日常を送れるということだった。普天間基地がある宜野湾市は沖縄県中部に位置する。また極東最大の米軍基地がある嘉手納も中部にある。一方、那覇などの沖縄県南部には米軍基地がない。騒音もなければ、頭上に飛ぶ米軍ヘリに怯えることもない。なぜ私がつらつらとこういうことを述べているかというと、米軍基地問題を論じるとき、日本国内に存在する米軍基地の七割を抱える沖縄と本土との基地負担の非対称性は取り上げられても、沖縄県内に存在する基地負担の不均衡はほとんど問題にならないからである。しかし、このことはしっかり可視化する必要がある。

私の違和感は、基地問題を論じるときに、主語が「沖縄」に拡大してしまうことにある。私は、普天間基地は、宜野湾市民が負担しているものだと思っていた。これを「沖縄県が負担している」と主語を拡大してしまうことは、宜野湾市民に失礼な話ではないのか。ひろゆき氏は「言葉は正しく使いましょう」などと言っていたが、たしかにそうだ。言葉は正しく使うべきだ。だから、私は「宜野湾市民が、普天間基地を負担している」と言いたい。これは言い換えれば、宜野湾市民以外、そしてその移設予定先の辺野古区民以外は、問題の当事者ではないということでもある。

今回の基地問題についてのさまざまな議論を聞いてもそうだが、本土対沖縄という対立構造がベースになっている。ただ、繰り返しになるが、沖縄県内でも基地負担の不均衡はれっきとして存在している。それを見えないようにしてしまう基地問題論争は多いに違和感を感じてしまう。私は、普天間基地問題に限っていうなら、宜野湾市と移設予定先の辺野古区民がお互いに納得するのであれば、部外者がとやかくいうことではないと考える。正直なところ、宜野湾市民と辺野古区民がこの移設問題を実際どのように考えているのか、私は掴めていない。県内のたらい回しになるから辺野古移設はダメだと思っているのか、とりあえず目の前の危機が去ってくれるなら辺野古移設で構わないと思っているのか。いずれにせよ、この問題の当事者は、宜野湾市民と辺野古区民だけであり、彼らの中で出た結論を我々は尊重する必要がある。

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