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いつかあの日の涙を超えて

子どもたちの運動会を観てきました。
うちにとっては、6年生の娘と1年生の息子の姉弟そろっての最初で最後の運動会。

コロナ禍にあってプログラムは短縮されていますが、それでも開催できたこと、観覧できたことに感謝です。もちろん子どもたちの成長ぶりを直に観ることができて、本当に良かったのですが、今回の運動会で印象に残ったシーンは、何度か見かけた子どもたちの「涙」でした。(これはウチの子じゃないんですけどね)

先ほども言いましたが、短縮されたプログラムでしたので、競うようなものは各学年ごとの徒競走、4〜6年生の選抜メンバーのリレーしかなかったんです。あとは、表現という名の曲に合わせてのダンスや集団行動。

そんなこんなで、プログラムが進んでいた中、徒競走を終えたあとで、観覧席に戻ってくるときに涙を流していた子を見かけました。けがをしているようではなくて、自分が思うような結果にならなかったことで泣いているようで、ひどく落ち込むような様子で、まわりの先生がフォローしていました。

「練習では1番だったのに、本番ではうまくいかなかったのかなぁ」
「いつもいい勝負している子に、本番では負けてしまったのかなぁ」

本当の理由はわかりませんが、自分の感情を抑えきれずに溢れた涙だったに違いありません。

そして、今回最も印象的なシーンは選抜リレーで起こりました。アンカーの猛烈な追い上げで1位でフィニッシュしたチーム。
ところが、結果発表で、レース途中のバトンパスのときに、ゾーンを超えてしまったということで「失格」という説明。

リレーではこういうことはあるので、「あぁ、残念…」そういう想いで、子どもたちの観覧席の近くで観ていると、リレーを終えた子どもたちが戻ってきました。

その中で、ただただ泣きながら戻ってくる子がひとり。先生が寄り添って言葉をかけていました。この子の涙を見て、私も思わず涙が出そうになりました。

運動会とはいえ、4年生から6年生の選抜メンバーで「ひとつのチーム」。練習もしてきたでしょうから、もし自分のミスで、本番で失格になってしまったのなら…やはり責任感じてしまうものだと思うのです。

でも、さっきの徒競走の子も、リレーの子も、一生懸命に練習して、本番も全力を尽くしたその結果が上手くいかなかっただけのこと。

人生40年ちょっと生きてきたオジさんからは、そんな涙した子にエールを送りたい。

これからの人生で、何かしらのアクションをしたときに「やっちまったなぁ」という失敗、ミスはつきもの。

それでも、自分ができるだけのことをやって、そのときは結果が伴わなかっただけのこともある。

だから、チャレンジすること、アクションを起こすことに消極的にならないで欲しいなと思う。

そもそも、チャレンジ、アクションを起こさない人には、失敗も訪れないわけですから。

あとオマケ。
漫画『あしたのジョー』の丹下段平が矢吹丈に語りかけるシーンを思い出しました。

「この橋はな、人呼んでなみだ橋という。

いわく・・・人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋だからよ。三年ほど前のわしもそうだった。おめえもその一人だったはずだ・・・

だが、今度はわしとおまえとで、このなみだ橋を逆に渡り、あしたの栄光をめざして第一歩を踏み出したいと思う。わかるか、わしの言うてる意味が・・・? 」

「拳闘界に生きようとするとすることは、辛いこともあれば苦しいこともたくさんある・・・涙はやっぱりつきものさ。だが、これは負け犬が流すくそ涙じゃねえ。厳しい精進のために流す立派な汗の涙だ!

ジョーよ・・二人で苦しみ歯を食いしばって、このなみだ橋を逆に渡っていこう」

今回の運動会で流した涙も、人生の中でのたったひとつの経験、出来事。

経験した人だけが知ることがある貴重な経験だったともいえるんじゃないかな。

これからも臆せずにやっていけば、あの日の涙を超える日がやってくるのだから。

だから、オジさんはオジさんで、そんな子どもたちから改めて学ばせてもらいました。自戒の意味を込めて。

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