見出し画像

好き嫌いは罪じゃない

よく「〇〇嫌いなの?意味わからない」とか「好きじゃないのか、まだまだだね」という言葉を聞く。
誰しも嫌いになろうと思って嫌いになっているわけではいないはずなのに。
そしてそういう人に限って自分のことは棚上げするし、嫌いな理由は説明できないものだ。
「なんかやだ」ということが多い。
もちろん本当に好き嫌いのない人もいるが、説明できる人は少数なのではないか?

好きな理由は言えど、嫌いなことの説明はできない人、そしてそこで嫌いなものを攻撃の武器として振りかざす人もいる。

しかし、嫌いな理由なんて突き詰めれば見つかるのである。

例えば食べ物だとアレルギーではないけど口のかが痒くなるとか。
臭いが気になる。食感が好ましくない。辛すぎる、甘すぎる。
どれにおいても、感情の問題ではない。

人には生まれ持っての体質がある。
嗅覚に長けた人、聴覚に長けた人。
聴覚は耳が良くても高音は聞き取りづらい、低音には敏感であったり。

食に関しても良く激辛料理が好き、激甘スイーツが好きな人に対して共感できないひと入る。
でもこれはその人の舌が生まれつき、辛みを感じやすいであるとか、甘味を感じやすいとかのもはや人間の個体差。自身でコントロールできるものではない。
因みになんでも食べられる人はどの味覚も均等に感じられる、もしくはどれにも鈍感だと思っている。
それを「理解できない」なんて否定するのはお門違いなのだ。
人種…というと大袈裟かもしれないが否定する限りは差別と変わらないだろう。


趣味においてもそう。
ロックが好きジャズが好きアニメソングが好き。
本で楽しむ、映像で楽しむ。
シリアスが好き、ギャグが好き。
その人が触れてきた環境によって受け入れやすさや感じやすさは違ってくる。
ひとりで生活できるようになるまで大体学生時代を終えるまで自身で環境を変えることは難しい。
趣味の好き嫌いという価値を否定するということは、その人の過去を否定するようなものかもしれない。

先日、作品を発表した際に匿名で
「強火ファンで〇〇が嫌いです。注意書きすら見たくないです!」
というメッセージが届いた。

わかるよ、好き嫌いあるよね。その感情は何も悪くない。
ただ、その苦手を受けっとたときにその感情の先の行動をコントロールできないのはその人の問題だ。

感情のコントロールではなく、行動のコントロール。
なにも言うなとは言わない。吐き出すことも大切だからね、それでスッキリすることもあるし。
ただそれを攻撃的に人へ向けるのはあまりよろしくはない。
本人に伝えるにしても、言葉は選ぼう。もし親しい仲だったとしても良く考えて自身で対策する方がいい。

先日の匿名メッセージについては正直、
「強火」と名乗られてもそんな炎上しそうなもの消化するか、距離をとるかである。
この手によく効く消化器を私は知らないけどね。
訳すると
「自分でどうにかできないので、防炎マットと消化器用意しておいてください!」
みたいに感じる……。勘弁してくれ、手配するのも大変なんだ。
この匿名さんにどうして嫌いなのと聞き返しても、「そう思ったから!」の可能性もある。

これもまた私が行動コントロールしろよと言われそうだが、攻撃意思がないものに攻撃をされると負のループに陥る。
次メッセージがきても咎めることもなく速やかにブロックボタンを押そうと思う出来事、学びであった。

私も嫌いなものについて、感情が暴れる。
ただ、どうして嫌いなのかと対策代替案も考えずに人に向けるのだけはしたくない。
そのさきには「自分で行動コントロールできていないから」という答えしか出ないから。
ブロックボタン、ミュート機能。それを【選ばない】という選択肢と権利。

今年一度やらかしたので、自戒の意味も含めこの記事に残す。
好き嫌いの壁に当たったときや否定されたとき、話し合いの余地があるのかも考えよう。
後で引きずることにもなる。
やれやれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?