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映画「ストーリー・オブ・マイ・ライフー私の若草物語」:2世紀前の古典を新たに語り直す意義

小さい時、私は祖父母に買い与えられたゲームボーイで「牧場物語」をするのに大熱中していた。もはや姉妹でこの音楽のBGMをずっと歌っているほどやり込んでいた。ただこのゲームについては、どうしても気に入らないところがあった。冒頭にプレイヤーとして少女を選び、一度男性と結婚すると、強制的に「ハッピーエンド」でエンディングにさせられるのだ。あらゆる少女のゴールは結婚で、牧場での労働は結婚前の時間つぶしに過ぎず、そして結婚の後の女の人生なんか語るに足るものではないと言われているようだった。だから私はキャラクターは男性にして、いつまでも働き続けることを選んだものだった。

アメリカの作家ルイーザ・メイ・オルコットによる自伝的小説(かつ世界的な古典少女文学)、「若草物語」の最新の実写映画である「ストーリー・オブ・マイライフ」は、もはやこの牧場物語の価値観が支配的だった19世紀アメリカで、女性の人生と「結婚」が果たす役割を探索し、そしてそれに21世紀的な解釈を加えた大変興味深い作品である。「牧場物語」で女性が農地を耕して自分が生計を立てることが許されないように、当時の女性にとって稼ぐすべは「娼館の経営か女優になること」(作中でのマーチおばさん談)しかなく、この中で唯一の「経済的機会」は結婚であり、この機会を取らないことは女性の人生にとってほとんど考えられないものだったと描写されている。この機会に迎合することに強い憤慨と拒否感を感じる、勇敢なレジスタンスたる主人公ジョー(=著者)、もはやその機会を積極的に活用し自己実現と家族の支援を求める現実主義者四女エイミー、結婚制度に疑問や葛藤を持つこともない長女メグのそれぞれの構図が、この時代における女性たちと「結婚」の関係性をわかりやすく描き出しているようだ。なお、長女メグの描写を通じて、結婚生活の難しさを描きつつ、この社会的な慣習を受け入れた女性を必ずしもネガティブではないトーンで取り扱っている点もバランスを追求していて好印象である。

若草物語の原作自体かなり読者に迎合しない展開が特徴的ではあるが、それでも当時の体勢的な思想を踏まえると著者が取りうる筆には制限が大きくかかっていた。つまり、女性主人公の結末は「結婚するか死ぬ」ことと決まっていたのだ。これに対し、著者の手紙や日記などを読んで再解釈したというこの映画のエンディング(つまり、主人公は結婚をしてハッピーエンドに向かうのか?という問い)は、この実写映画では、ストーリーテリングと、著者の思想の尊重と政治的なメッセージを両立させる極めて巧妙な作りとなっており、思わず手を叩きたくなるほどである。

この映画の妙はその脚本だけではなく、キャスティングであると思える。いまいち自意識が強くない長女メグと三女ベス、自意識や自己実現欲求の強さは共通しているものの、社会制度に対するスタンスが異なる次女ジョーと四女エイミー、それぞれの女優の演技が本当に素晴らしかった。特にあれだけ意志が強い女性としてのパブリックイメージが浸透しているエマワトソンが、結婚に憧れ自分のくだらない虚栄心に悩まされる長女に完璧に扮している様子、また主役を食うのではないかと思うくらいの存在感を見せていたエイミー役のフローレンス・ピューの迫力のある演技が心に残った。(それでも「ミッドサマー」は怖くて見れない・・・)

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(現代日本だったらSnidelやJILLSTUARTが掲載された雑誌を眺めていそうな、美しく保守的なエマワトソン(偏見))

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(主人公を食う勢いで存在感を放っていたフローレンス・ピュー。何者かになりたいが自分の才能に限界を感じて絶望する、自意識強い女子の野心と葛藤を表したその演技に感情移入してしまいました・・・)

同じ古典を何度も実写化することの必要性をこれまで感じたことがなく、プロダクションにとって所詮無難な収益向上策に過ぎないのではとてっきり勘違いしていたが、この映画は19世紀の映画を21世紀の今、新しい脚本と俳優で取り直すことの魅力をまざまざと見せつけてくれる、超良作だった。特に同世代の女性に勧めたい。

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