映画を好む人には弱虫が多い
「映画を好む人には、弱虫が多い。」と太宰治は言った。曰く、「私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい」(「弱者の糧」)
映画を好む人には、弱虫が多い。私もそう思う。たまらなく落ち込んでいたり、自己卑下の念にかられていたり、どうしようもなく不安な気持ちになっているとき、うす暗い映画館の片隅にある小さな席はこのうえない、居心地の良い逃げ場所だ。チケット代を払った私には、その席に座る権利がある。隣には誰かが座っていて、孤独ではない。しかしそして誰しの眼差しがスクリーン上に集中していて、私に関心を払うことはない。この上ない居心地の良さである。
映画は、私の存在を一時的に消失させてくれる。映画の登場人物たちが、2時間だけ私の世界の主人公に代わる。わたしの意識のすべてがスクリーンに、そのモノローグに集中する。フロムは「人間の孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいというもっとも強い欲求を満たすための人間による行動」はお祭りとかアルコールとかセックスとか恋愛だっていっていたけれど、映画や本が代表する物語たちはその役割を担っていると思う。そして映画は視覚と聴覚を占める分、私の集中をしっかりと掴んでくれる映画のひと時は、自分の悩みや悲しみで忙しく騒がしい意識が映画の中に溶解し、自分を手放すことができる。
そして、映画は多くの場合、弱者の人生にやさしい。社会的地位や成功、富といった強者が所有する事柄や社会の既存の構造への疑念のまなざしを向けるものが多く、また人間のあらゆる弱さや愚かさにそっと寄り添ってくれる。
映画を好む人には弱虫が多く、極めて弱虫な私はまさしく映画が大好きなのである。