なぜあの受験ブログは人気1位であり続けたのか
うちの子どもの中学受験が終わった。あらためて思うことは、中学受験は本人もそうなのだけどサポートする家族も大変なのだな、ということ。僕がしたことは妻に比べると本当にたいしたことがないのだけど、それでも夜には塾に迎えに行くこともあったし、休日には学校見学や模擬試験の付添などに行ったりしていた。
ブログ村の中学受験カテゴリーで1位であり続けたブログ
そんな中で読んでいたブログがある。「2020年 龍之介ちゃんが難関校を目指す」というブログ。
更新がとまって今はランキング1位ではなくなっているが、受験が終わるまで更新はほぼ毎日続いていて、人気も1位であり続けていたブログ。僕も更新されることを楽しみにして読んでいたのだけど、終わってしまったので龍之介ちゃんロスになっている。最終回のエントリーにはものすごい数のコメントが寄せられていたので、読者はみんな同じ気持ちだったのだろうな。
なぜこれだけ人気があったのか
なぜ人気があったのかを分析してみると、以下があったのではないかと思う。
・マウントしない
中学受験に関するブログやSNSを見ていて感じるのは、マウントする人の多さ。このブログではまったく感じることがなかった。
・自慢しない、適度に自虐的でユーモアがある
マウントしない、を感じさせたことと通じるのだろうけど、読んでいてクスッと笑えるところがある。微笑ましく、やさしい。自虐的なことが多いが、愛を感じるし、笑いに帰る文章のセンスがある。
・イラストを選ぶセンス
アイキャッチ画像にはフリー素材集「いらすとや」のイラストを毎回使われていた。画像を選ぶセンスが秀逸。内容とよく合っていて、やさしさの相乗効果があった。
・地雷を踏まない
受験ネタは人の機微に触れる繊細なところがある。それなのに、決して地雷を踏まずに書き続けることができたのは、結構すごいことなのでは。
・ほぼ毎日更新
ブログとしては、毎日の更新があることで読者が増えていく重要な要素だったのだと思う。いつ更新されるかわからないよりも、毎日更新されるとわかっていたほうがリピーターが増えるのだろうな。
一つ一つは特別に難しいことではないようにも思えるけど、全てを兼ね備えたブログを書けている人がいなくて、だから特別なブログになっていたんじゃないかと思う。これは中学受験というテーマに関わらず、ブログやnoteにも共通することなのでは。
中学受験をどう考えるのか
父親として体験した中学受験を僕自身はどう思っているのか。学歴と社会人になって成果を出せる人、の話に集約されていくと思っている。
社会人になって20年以上経つと、高学歴であっても仕事で成果を出せない人もいれば、高学歴でなくとも優れた成果を出し続けている人がいることがわかってくる。
社会人になっても成長し続けている人は、ぶつかった壁を課題と見立て、それを解決するための方法を自分で選び、その手段を学びたいと思い、自ら学習をしていくプロセスを繰り返せる人なのではないかと思う。テストで高い成績を出すことが目的となってしまってはダメだと思うけど、「もっと知る」ことの喜びを教える機会となり、「学び続ける力」の源泉となるのであれば中学受験はとても有意義なものであると思う。
立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんがどこかでおっしゃっていた『高学歴というのは、歳を重ねても学び続けている人材が「高学歴」である』というのは、その通りだと思う。受験勉強をどこまで自発的にがんばれたかは、この先の人生で、その子どもが目の前にある困難にどこまでがんばれるかを決めるのだと思う。
今の中学受験の準備は小3の2月からスタートする。3年間にも渡って一つの結果が出るとは、仕事のプロジェクトとして考えると、結構壮大なもの。しかも、その結果がどうなるかはわからない。来年の今頃も数万のドラマがあるのだろうけど、全ての中学受験生が幸せになれますように。
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