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唸り犬

 唸り犬という愛玩動物を飼う風習がその土地にある。
 唸り犬は成獣になっても、両のてのひらに乗るほどの大きさの動物だ。
 犬という名が付き、顔も狆に似ているが、犬ではなく、モルモットに近い動物らしい。四肢は短く、胴はぷくぷくと肥えていて、歩くにも腹がつかえる始末である。
 唸り犬は勿論唸るのだが、普通の犬のような威嚇の唸り声ではない。唸り犬は人が唸るような声で鳴く。「ううむ」とか「うぐむ」とか聞こえる声で鳴くのだ。困窮した人間が思わず上げるような唸り声、あるいは夢も希望も枯れ果てた人が最後に上げるような声で唸るのだ。中国ではこの動物を呻吟狗という。
 唸り犬を楽しむというのは、唸り声に込められた焦燥感や絶望感を観賞するのである。
 愛好家は呉竹で編まれた籠に自分の唸り犬を入れて、茶店に集う。同好の士が茶を楽しみながら、唸り台と呼ばれる卓の上に乗せた唸り犬に唸り合いをさせる。

ううむ。うむむ。

 その声の中にある風情を競うのである。困惑、悲嘆、焦燥、失望、絶望。唸り声を聞き入り、生きることの遣る瀬なさに感じ入る。涙を誘われることもしばしばだ。
 唸り合いで面白いのは、軽い、困惑に過ぎないような唸りよりも、絶望の唸りの方が重んじられるわけではないことかも知れない。深刻な唸りにより価値があるわけではないのだ。

ううむ。うぐぐ。

 唸り合いの競いの中には、絶望の唸り、死の手前の最後の一息のようなものもある。聞くものは胸塞がれ、憂愁の中に人の世の無情を見る。だが、一方でもっと軽い、ちょっとした失望、それこそ日常というものを構成するメインパーツであるような、些細なため息のような唸りもある。それもまた人生そのものの味わいだ。そのような唸りもまた珍重され、その唸り犬の主は称賛を集めるのだ。

ううむ。うむむむ。うぐむ。うぐう。はあううむ。

 今の唸りを聞かれましたか。重い、しかし重過ぎない。芥子粒のような小さな絶望ですね。一瞬の辛味がある。

うぐ。うっく。

 傾聴傾聴。まさに嗟歎なり。

うぐぐむう。ぐぬぬむう。

 この軽みは人生を止揚しますな。然り然り。火打ち石のような。

 腊肉を作る頃になると、茶店に唸り犬の主たちが集まり、大会を開く。その年を代表する一声は何か、繰り返し討議し、結論が出なければ、また一つ唸り合いをさせ、改めて討議する。
 そうして今年の一唸りに選ばれた唸り犬の唸り声を、主たちは謹聴し、その風情に、ままならぬ人生に、ありふれた絶望に、なくし続ける何かに思いを馳せるのだ。


(記: 2020-12-25)

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