見出し画像

溜池の子供

 実家の近くに溜池がある。森の際にあって、田んぼに水を引くためにあった。田んぼは住宅街の切れ目から森まで広がっている。
 子供の頃は溜池に近付いてはいけないと言われていた。溜池は子供の背丈よりも深く、一度落ちたら一人では決して這い出ることはできない。実際に水の事故が数年に一度は起きていて、子供が数人死んでいるという。
 それを知っているからかも知れないが、その溜池は不気味な場所だと思っていた。森の中で遊ぶことはあったが、溜池で遊ぶことはなかった。湧き水を集めた溜池の水は澄んで見えて、コンクリートのブロックで周囲を囲まれている。水底の方まで見通せて、浅く見えるし、魚が泳いでいるのも判る。
 しかし、一度落ちると、溜池を囲むコンクリートをよじのぼろうにも、生えた苔で滑って手がかり足がかりがない。水は冷たく。夏でも体温を奪われていく。声を上げても森の木々はそれを吸い取ってしまう。落ちて誰かを助けようとして、水に入っても同じように這い上がることはできないので、二重遭難になる。そうやって、この溜池では何人もの子供が命を落としたのだった。
 僕は一度か二度一人で溜池に行ったことがある。恐い物見たさというやつだ。
 夏休みの昼下がりで、森は厚く大きく、振り返れば緑の稲穂が広がって、人の姿は誰一人見えなかった。蝉時雨がひどかった。溜池は波一つなく澄んでいた。その水の美しさに気がつくと時間を忘れて、ずっと覗き込み続けていた。波紋が起こり、その向う側に何か見えそうだった。
 人の姿があった。ランドセルを背負った子供の姿が見えた。水底に子供が沈んでいたのだ。
 あ、誰かまた落ちたんだ。助けなくちゃ、大人を呼んでこなくちゃ。
 僕は立ち上がり、駆け出そうとしたが、そこで足が滑って、溜池の中に落ちそうになった。あやうく踏んばって、落ちることはまぬがれた。池に目をやると子供の姿はなかった。
 目の錯覚だったのだろうか。それともこの池で死んだ子供は、こうやって仲間を増やしているのだろうか。
 ぞっとしてまた池の底を見詰めていると、またランドセルの子供の姿が見えて、こちらを向いて笑った。


(記: 2021-10-14)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?