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懲罰者の仮面

 懲罰者の正体は伏せられている。
 町には古くから続く家系がいくつかあって、その家から代々懲罰者は出ている。懲罰者達は、町の始まりのときに定められて香盤表に沿って、持ち回りでその務めを為している。
 時が経ち、今ではその家系同士の連絡もなくなっているらしいが、懲罰者各々がその職責を全うすることで、この町の司法と刑罰は成立している。彼等は裁判所の一角にある懲罰者の部屋に、裁判が開かれるときには常に詰めている。懲罰者は判決に従い、咎人に科刑を下す。笞刑、打擲刑、剥刑、石打ち、まれには斬首や三斬首もある。言い渡しに従って、道具を使い、技を振るい、行刑する。その罪に応じた適量の苦痛を与えるというのは、極めて重要で、かつ難度の高い仕事である。
 その正体は世間に明かされることはない。彼らは仮面を着けており、言葉は発することなく、行動においてのみ存在価値を示す。複数名で従事していると思われるが、同じ仮面をかぶり、厚いマントを身に着け、にわかには誰であるのか、判別は難しい。
 面はのっぺりとした胡粉の白塗りに、星座の意匠が施してある。
 正体を探ることも町のタブーであり、そのような行いをした者には重罪が科せられる。これは、懲罰者の威厳を保持するためであり、復讐を避けるためでもある。
 しかし、こいつは懲罰者なのではないだろうか、という疑いが、この町で長く暮らしていくうちに一度や二度は頭に浮かぶことはなるだろう。
 高校のときの同じクラスだった燕麦がそうなのではないかと思っている。また、同じ会社の夥鏡という女もそうなのではないかと思っている。
 しかし、これは懲罰者であるとほぼ確信しているのは、我が妻である渠里だ。もちろん、妻にそのことを問い詰めたことはない。万が一そんなことをすればそれだけで犯罪だからだ。
 しかし、渠里は仕事以外にもたまに家を開けるのだが、そのタイミングは町の裁判のあるときであることが多い。そしてそういう日にはひどく疲労困憊して帰ってくる。ずいぶんと丁寧に手を洗う。特にスポーツを趣味としているわけではないのだが、日々何かのトレーニングを欠かさない。なにより、彼女の部屋の机の引き出しには二重底になっており、そこに懲罰者の面がしまわれているのを偶然知った。このようなことは彼女と結婚した後に気付いた。
 彼女の家はこの町の旧家だ(それを言うなら私の出身も旧家であるが)。彼女の実家の生業は懲罰者であることを思わせるものではない。しかし、懲罰者は代々秘されていることを考えれば当然か。私は妻が私に隠し事をしていることに、特に怒りはない。
 そもそもこの町の旧家の人間には、誰もが秘密を持っていると言っていい。誰でも『秘函』を呼ばれる小箱を持っており、これを本人以外が開けることは固く禁じられている。私も勿論秘函を持っている。中身はここでお話しできることではない。
 さて、私は今日町で裁判を受けることになっている。代言人は全力を尽くすと言っているが、全力を尽くしてくれても、笞刑の回数が減るか、打擲刑になるくらいだろう。私の犯したとされる犯罪は、私の秘函にも関わることなので述べることはできないが……
 裁判終了後、上告がなく、身体刑であれば速やかに執行される。私は諸事情から上告するつもりはない。懲罰者は誰であろうか? 燕麦かも知れない。夥鏡かも知れない。私のこれまで会ったことのない誰かかも知れない。小さな町とはいえ、普通の生活をしていて全員と顔見知りになるほどには小さくない。
 そして、渠里かも知れない。それを私は望んでいるわけでもない。しかし、期待するところはある。懲罰者は執行時には、罪人に一言囁くのだという。それは刑罰の一部であるというが、具体的なことは判らない。刑を執行された人々も、これに関して口を開いたことはないと聞く。あるいは、刑が執行された直後には完全に忘却してしまう秘術が込められているのだとも。私もそれを聞き、刑の執行を経て、それを他言することはできないのだろう。
 渠里は今日は一日外出することになっているので、裁判の傍聴にも来ない。私は懲罰者に耳元に囁く言葉を期待している。そして、その声がどこか舌足らずな、倍音を含んだ、渠里のあの甘い声であることを少しだけ期待している。


(記: 2021-01-14)

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