8月12日、余白に許される
余白、余白。
昨夜、寝る前に読んだエッセイで、“深夜とは余白”という表現があった。
(「眠らない夜のきらめき」、小原晩著『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』より)
眠れない夜について書かれた文章で、幾度となく過ごしてきたそんな夜を思い出しながら「ああ、あれは確かに余白だった」と思いながら眠りに落ちた。
余白、余白。
眠れない夜、悩める夜、焦る夜。
それらは全部、“余白”に起こっていることだから、まあいいんじゃない?と、肩の力が抜けるような感覚を覚えたのだった。
余白、余白。
いつか過ごしたあの夜もこの夜も、余白に存在した瞬間があった。終電逃して歩く道も、飲み会後に寄る静かなTSUTAYAも、家の陰から見上げる満点の夜空も、あの覚えている景色は、すべて余白の中にあった。その感覚は遠のいて久しい。
余白。忘れていた余白。今必要な余白。
余白、余白。
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