プリンセス・クルセイド #5 【魅惑のプリンセス】 2

 赤毛の少女の姿をイキシアが捉えた瞬間、すべては手遅れになった。折れたダガーの刃が宙を舞う。メノウはその軌跡を目で追ったあと、対戦者を見据えて静かに手を差しだした。

「いい勝負だった。私が勝てたのは、紙一重の結果に過ぎない」

「あ~……そうかな?」

 対戦相手の少女は曖昧に答えながら右手で頭を掻いた。彼女の黒髪のポニーテールが左右に揺れる。左手には、刃が折られたダガーの柄。

「……ま、盛り上がったっぽいし、いいか」

 1度深く息を吐いた少女がメノウの手を取ると、フィールドの景色がおぼろげになっていった。やがて二人の姿は穏やかな光に包みこまれた。

「……まったく、なっていませんわね」

 その様子が映し出されていた球形の水晶から目を離し、イキシアは呆れたように独りごちた。そしてカウンターの上に置いてあったマグカップに手を伸ばし、ココアを一口飲む。

「すげえ試合だったな!」

「シンシアちゃんもよくやったが、相手が悪かった!」

 背中から聞こえてくる歓声に引かれるようにして、イキシアは一旦マグカップを置くと、腰掛けていたスツールの座席部分を180度回転させた。歓声はテーブル席から上がっていて、その席を埋め尽くす人々(中には立ち見の客もいた)が、テーブルの上の水晶を食い入るように覗いている。水晶はイキシアの手元にあるのと同じで、やはり柔らかな光が広がっていく映像が映し出されている。やがて水晶から映像が消えると、人々は口々に感想を言い合い始めた。

「まるで消えたように素早い動きだったな」

「良いもん見たよ。いや、実際には見えなかったけど。とにかく得難い体験だ」

「シンシアちゃんの剣、途中で形が変わらなかったか?」

「……プリンセス・クルセイドは見世物じゃありませんのよ」

 イキシアはまた呟きながら、もう一度マグカップに口を着け、ココアを飲んだ。

「まあまあ、そうおっしゃらずに。しかし、便利なものですな、その水晶は」

 今度はカウンター側から、店の主人が話しかける。

「ご主人にとっては便利でしょうとも。おかげでこのように、お店は大繁盛なのですから」

 イキシアは振り向きながら主人に答えた。

「おっと……痛いトコ突きますね」

 主人はそう言って笑ってみせた。恰幅の良い彼の大きな腹が上下に揺れる。

「失礼いたしました。わたくし、少々気が立っていまして」

 イキシアはそう答えると、またココアを一口すすった。

「気が立っている? どうしてまた……」

「原因は……」

 イキシアはマグカップを置き、おもむろにスツールから降りると、突然何も無い店内の一角を手のひらで示した。

「貴女ですわ!」

 示された先に突然光が現れ、黒髪のポニーテール少女が現れた。

「私……?」

 少女は呆気に取られて自らを指差した。

「こっちです。イキシア王女」

 少女の隣から、別の声が聞こえた。イキシアはそちらに視線を向けると、手のひらをそのまま声の主であるか赤毛の少女、メノウの方向に向けた。

「貴女ですわ!」

「なかったことにしようとしてる……」

 ポニーテール少女が怪訝そうな表情で呟いた。

「お帰り、シンシア。その……残念だったな」

 店主がポニーテール少女に声をかけた。

「残念? パパ、冗談でしょ」

 シンシアはそう言うと、水晶を囲んでいた客の方に歩み寄っていった。

「シンシアちゃん!」

「惜しかったなあ。でもいい闘いだった」

「皆、応援ありがとう! どんどん盛り上がって沢山食べていってね!」

 シンシアが称賛に答えると、客たちが歓声を上げ、労いの手を叩いた。

「……大したものですね。この熱狂は」

 メノウはイキシアに話しかけながら、カウンター席に腰掛けた。

「ええ、そうですね。貴女はそうでしょうとも」

 イキシアはトゲのある口調で返事をしながら、メノウの隣に座った。

「随分と気が立ってらっしゃいますね。何かあったのですか?」

「別に。貴女が興行じみた闘いを行っていたこととは何の関係もありませんわ」

「そのことですか……」

 メノウは苦笑した。そして店主を呼び止め、アイスコーヒーを注文してから、またイキシアとの会話を再開する。

「……確かに私もやり過ぎだとは思いますが……いいではないですか」

「何がよろしいのですか?」

 イキシアは当てつけるように聞き返した。

「この闘いにも……価値がある。やる意味ってものを感じる……気がします」

「要領を得ませんわね」

 メノウの答えを、イキシアはばっさりと切り捨てた。

「そういう態度は不誠実ではありませんこと? まるで……王子のことをなんとも思っていないかのように」

「それは……誤解です」

 メノウはそう言ってわずかに表情を曇らせた。

「……なにが誤解か分かりませんけどね」

 イキシアは苛立ちを隠さずに立ち上がり、カウンターの上に飲み物の代金を置いた。

「曖昧な物言いで、いつまでも誤魔化せるものじゃありませんわよ」

 イキシアはその足で歩き出し、シンシアのもとに集まる客達の傍を横切った。そして入口の取っ手に手を掛けようとした時、扉が外側へと開かれ、新しい客が入店してきた。

「……あら、アンバー」

 入店してきた金髪の少女に、イキシアは声を掛けた。

「『あら、アンバー』じゃないよ……」

 イキシアの顔を見るなり、金髪の客はあきれ顔で呟いた。

「朝から勝手に出かけて……心配したんだよ」

「それは申し訳なく思いますが、なにせ気が急いていたもので」

 イキシアは悪びれることも無く答えた。

「いや、そうだとしても――」

「もし……できれば中に入れていただきたいのですが」

 アンバーが言い返そうとした時、彼女の後ろから女性の声が聞こえた。

「ああ、そうか。ごめんなさい、タンザナさん」

 アンバーが道を譲ると、薄紫色の髪をした長身の女性の姿が見えた。その顔だちは美しく、妖艶なまでに恵まれた体型をしている。

「……どちら様ですの?」

「タンザナさんだよ、イキシア。タンザナさん、こちらはイキシア」

 アンバーがイキシアとタンザナの間に立ち、両者を交互に紹介する。

「はじめまして、イキシア様。私はタンザナと申します。こちらのアンバー様に危ないところを助けていただき、今はこうしてお供をしているのです」

「はじめまして……危ないところ? お供? アンバー、わたくしのいない間になにがあったんですの?」

 イキシアは挨拶もそこそこにアンバーに尋ねた。

「話せば長くなる……こともないけど、先にお店に入ってもいいかな? お腹空いちゃって……」

 アンバーはそう言って困り顔を見せた。同時に、彼女の腹が鳴る。

「そのようですわね。では、さっさと済ませてきなさいな」

「……そうだよぉ、早くしてくれよぉ。後が詰まってるんだからさぁ……」

 タンザナの背後から、突然声が聞こえた。どうやら、また新しい客らしい。

「これは失礼いたしました」

 今度はタンザナが道を譲ると、黒髪の女性が現れた。髪型はショートカットだが、無造作にあちこち乱れている。

「なぁに……。アンタら立ち話してるんなら、先に入ってもいいかい?」

 女性は呂律の回らない口調でアンバーに声を掛けた。その息は酒気を帯びていて、イキシアの鼻にまで臭ってきた。

「ええ……いいですけど」

「うへへ……悪いねぇ、お嬢ちゃん」

 女性はアンバーに礼を言うと、覚束ない足取りで店内へと歩を進めた。ちょうどその時、店の奥からシンシアが接客のために姿を現した。

「いらっしゃいませ……あっ、アンバー!」

「シンシア、久しぶり」

 シンシアとアンバーがお互いに手を振り合った。2人は見たところ知り合いらしい。イキシアは漠然とそう思った。

「あのぉ……こっちが先なんだけどぉ」

「あっ……失礼いたしました」

 シンシアが女性に頭を下げる。

「えへへ、いいよぉ。ところでサ、酒飲めるかなぁ?」

 女性がだらしなく口元を緩めながら、シンシアに話しかけた。どうやら、彼女はまだ飲み足りないらしい。

「すみません。ウチは夜しかお酒出してないんですよ」

 シンシアはそう言って頭を下げた。

「え~っ……」

 女性は露骨に肩を落としながら、シンシアに詰め寄った。

「いいじゃん? お酒頂戴よぉ」

「そう言われましても……」

 困惑するシンシアの胸元めがけ、女性の手が勢いよく突き出された。

「えっ?」

 一瞬の出来事に、その場にいる誰もが反応できなかった。気が付くとシンシアが店の床に尻餅を突き、女性は声を荒げていた。

「ガタガタうるさいよぉ! 飲ませろって言ってんの!」

「貴女、いきなり何を――」

 イキシアが女性に向かっていこうとした時、その前に立ちはだかるようにしてタンザナの姿が現れた。

「何をするんですか。そのような狼藉は許しません」

「あぁ? あんたにゃ関係ないだろぉ?」

 女性がタンザナを威圧的に睨みつける。だがタンザナは全く意に介さず、女性の前から微動だにしない。

「私には関係ないかもしれませんが……」

 タンザナはシンシアのほうへと視線を走らせた。ちょうどアンバーが駆け寄り、抱き起こそうとしているところだった。

「アンバー様には関係のあることのようなので……覚悟していただきます」

 タンザナはそう言って静かに構えた。イキシアが見た彼女の後ろ姿には、憤怒の表情が見てとれるようだった。


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