プリンセス・クルセイド #5 【魅惑のプリンセス】 4
自分でも少しうんざりするようなきついアルコールの匂いを発しながら、ラリアは古びた屋敷の廊下に立っていた。
「なんだぁ……ここは」
まだ酒が残っているのか、はたまた酒が足りないのかと、ラリアは頭を振り、ここまでの記憶を辿る。
「あぁ……そうだった。プリンセス・クルセイド? あれをやってるんだったぁ……」
ラリアは虚ろな目で辺りを見回した。赤い絨毯が敷き詰められた広い廊下の脇に、等間隔で並ぶ窓とタペストリー。やや古風ではあるが、気品のある屋敷だ。
「あいつ……金もちなのかぁ? えへへっ、じゃあ倒したらお金がたくさんもらえるかもなぁ」
ラリアはニヤニヤとほくそ笑んだ。チャーミング・フィールドは心の内面が表現される空間だ。これほど見事な屋敷が現れるということは、対戦相手の正体は貴族か何かに違いない。
「お頭……喜んでくれるかなぁ。そうだといいなぁ……」
ラリアはふらふらとした足取りで、対戦相手を探すべく屋敷の中を奥へと進んでいく。廊下はいつまでも先が見えず、やがて何者にも遭遇しないまま曲がり角に達してしまった。
「なんだぁ……曲がるのかよ。メンドくせぇ」
ラリアはふらふらと流れるように歩いて、そのまま角を曲がった。目の前には、またもや同じ様な廊下が広がる。しかし今回は、通路の脇に飾られた甲冑と、薄紫色の髪をした長身の女性が彩りを添えていた。
「へへぇ……アンタ、ここにいたんだ」
ラリアの声色が急に冷ややかになった。先程まで病的なまでに覚束なかった足へ急に力が込もり、深く腰を落として戦闘態勢に入る。
「アンタみたいの……キライだよ」
「私もあなたのことはあまり快く思っていません」
タンザナは静かに剣を構えた。その立ち姿は、この奇妙な場所にやってきた時に変わった騎士の様な服装と相まって、気品に満ち溢れている。
「ほんっと、キライだよ……」
ラリアは舌打ちし、顔をしかめた。酒が足りないのか、はたまた酒が回り過ぎているのか、頭が響くように痛む。
「じゃあ、行くよ!」
こんなところはさっさとおさらばだ。とっとと勝利を収めて、また酒を飲もう。栄光の祝杯を求めて、ラリアはタンザナに襲い掛かった。
「はっ!」
タンザナは両足を揃えて跳躍し、身体を捻って空中で回転すると、ラリアの背後に降り立った。標的を失ったラリアは突撃の勢いを止められず、そのまま壁に置いてあった甲冑に激突した。
「いってぇ……」
バラバラになった甲冑を身体からどけながら、ラリアは呻き声を上げた。頭痛がさらに酷くなる。
「今度はこちらの番です……ウォンバットさん!」
タンザナが叫びながら剣を振った。すると剣の軌跡から斬撃波のようにして、灰色の毛のずんぐりとした丸い生き物が勢いよく飛び出した。
「……なんだそれ?」
「可愛いでしょう? 私は可愛いと思います」
タンザナはそう言ってその生き物を抱き上げると、その毛並みを撫でつけて整えた。
「ウォン」
彼女の豊かな胸元で、ウォンバットが満足気に鳴く。
「……さて、それでは行けますか?」
「ウォン」
女性の問いかけに応じるようにして、ウォンバットがタンザナの胸元から飛び降ると、ラリアに向かって突進していった。
「ハハッ、無駄なんだよ!」
迎え撃つラリアは、剣を斜めに一閃した。すると、刃が無数の小さな破片へと散開し、ウォンバット目掛けて飛んでいく。
「ウォン」
ウォンバットはそれを見て道半ばで足を止めると、180度旋回し、背中を見せて退却した。先程までウォンバットのいた所に、刃の破片が次々と突き刺さっていく。
「ウォン」
ウォンバットはタンザナの胸に飛び込むと、暫くそこで震えた。
「よしよし……怖かったですね」
「オイオイ……そいつから向かって来たんじゃねえのかよ」
ウォンバットを甘やかすタンザナを見て、ラリアは肩をすくめた。
「貴女の聖剣はそういう物騒な能力を持っているんですね」
「ん……あ、ああ。そうみたいだな」
タンザナに指摘されて、ラリアはようやく己の剣の変化に気付いた。柄だけの状態になった剣をもう一度振ると、地面に突き刺さっていた刃が再び結集し、元の剣の姿に戻る。
「……へえ、便利じゃん」
ラリアは感心するように頷いた。いつのまにか頭痛も消え、頭の中がはっきりしていた。今は聖剣の能力の使い方が手に取るように分かる。
「さあ、次が本番だよ!」
ラリアはもう一度剣を振り、今度は刃をタンザナに向かわせた。
「はあっ!」
タンザナはウォンバットを抱えたまま、床を蹴って勢いよく飛び上がった。
「甘いんだよ!」
その軌跡の後を、刃の破片が追跡していく。ラリアが操っているのだ。
「……なんの!」
タンザナは空中で身を捻り、同時に聖剣を一閃した。刃から飛びだした斬撃波が、迫りくる破片を撃ち落とす。それを見てラリアはほくそ笑んだ。
「……残念、そっちは囮だ」
「なっ……!」
ラリアに背を向ける形で着地したタンザナ目掛け、撃ち落とされたはずの破片が襲い掛かる。
「くうっ……!」
破片が背中に次々と突き刺さり、タンザナは悲痛な声を上げた。
「ははっ、無様だね!」
ラリアは笑いながら剣を一振りした。すると、タンザナの背中に刺さった破片と、さらに床に撃ち落とされた破片とが、再び剣の姿に戻った。
「……二つに分かれていたのですね。これは迂闊でした」
「どうだい、これがアタシの実力さ!」
ラリアは勝ち誇るように宣言した。先程までは知りもしなかった能力だが、そんなことは彼女にはどうでもよかった。
「……やはり、多少は物騒な手段もやむを得ないということでしょうか」
しかし、タンザナは冷静にラリアの方を振り返ると、足元にウォンバットを下ろし、静かに剣を構えた。
「……それでは、この場はこうすることにしましょう」
タンザナはもう一度剣を振った。
「サイさん!」
「……あん?」
剣から飛び出した巨大な物体を、ラリアはしばらく認識できなかった。灰色の皮膚に覆われた、いかにも頑丈そうな肢体。小さな黒い瞳の間から生える白く巨大な角。その姿を、ラリアは幼いころに読んだ動物図鑑で見たことがあった、
「……サイ? えっ、何で?」
ラリアは言葉を失った。頭痛は今や完全に消えているのだが、まだ酒が残っているようだった。タンザナが突如として現れたサイの背中から、妖しく微笑む。
「どうですか、これが私の実力です」
5へ続く
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