プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 2

 ウィガーリーの王都エアリッタは、街の中心に城を構えることもあり、周囲が屈強な壁で囲まれている。最近までは、街の外を魔物と呼ばれる正体不明の危険生物が闊歩していたこともあり、壁の外に出ようという者も、外から中に入ろうという者も滅多にいなかった。そうした理由から、エアリッタには生活に必要なものがほとんどすべて揃っている。病院、学校、図書館、宿屋、食堂に市場などがあり、この街から一歩も出ずとも、何不自由なく暮らしていけるほどだ。

 しかし、ミーシャにとってはこの街は不満だった。父の仕事の都合でファムファンクの王都、イラプスから引っ越してきて早三年。生活に慣れてきたと言えば聞こえは良いが、そろそろ飽きが来た頃だ。毎日学校と家の往復ばかりで、休みに日の楽しみといえば、市場にやってくる劇団の演劇を見るぐらいのものだ。それはそれで楽しい日々だが、たまには故郷に帰りたくなってしまう。この街には、否、この国には決定的に足りないものがあるのだ。

「あ~あ、エリカ姫……」

 学校からの帰り道、ミーシャはため息交じりに呟いた。エリカ姫は、ファムファンク王家四兄妹の麗しき末娘だ。彼女の気品あふれる姿は、ミーシャの憧れだった。国の王家が国民に顔を見せるイベントにはいつも参加していたし、姫のことが新聞や雑誌の記事になればいつも親にねだっていた。(いつも一つしか買ってもらえなかった。)ミーシャにとってエリカ姫はすべてだった。この国の、あの顔ばかり整った頼りない王子には代わりは務まらない。彼女はそう思っていた。

「あの……少しよろしいですか?」

「えっ……?」

 突然後ろから声を掛けられ、ミーシャは足を止めた。振り返ると、赤みがかった波打つような豊かな髪が目に入った。

「えっ?」

 ミーシャは目の前の光景に目を丸くした。気品あるドレスに身を包み、腰に剣を差した黒い瞳の麗しい女性が、エアリッタの街独特の石畳の通りに立ってこちらを見返しているのだ。身長163センチ、体重は不明。誕生日は七月七日。好きな色は赤、好きな食べ物はイチゴ、四人兄妹の末娘であるその女性は、こちらに向かって優しく微笑みかけていた。

「え……エリカ姫!」

「あら……あなた、私をご存知ですの?」

 エリカ姫は驚いたような声を出し、片手を口に当てた。気品あふれる姿だ。

「あ……あの、ええっと……」

 一方のミーシャは、驚きのあまり返事がしどろもどろになってしまった。だが、それも無理もない話だった。王都に住んでいたとはいえ、ファムファンクでは滅多に姿を見られなかった姫君が、このウィガーリーの王都で、自分の目の前に立っているのだ。ミーシャは、起きているまま夢を見ているような、不思議な感覚に包まれた。

「も、もちろん知ってます! 私、前はファムファンク……それもイラプスに住んでましたから!」

「あら、そうだったんですか? こんなところで会うなんて、奇遇ですね。貴女、お名前は?」

 エリカ姫がそう言って笑いかけ、手を差し出してきた。輝くようなその笑顔に、ミーシャは目が眩むようだった。

「ミーシャです……」

「素敵なお名前ですね」

 ミーシャはエリカ姫と握手を交わした。姫の手は暖かく、あたかも春の日差しのようだった。

「ミーシャさん、もしよろしければ宿のある場所を教えていただきたいのですが、ご存じありませんか?」

「あ、はい。宿……宿?」

 ミーシャはその時初めて、エリカ姫が傍らに馬を引きつれているのに気がついが。その馬の名はケンドール。艶やかな栗毛の姫の愛馬だ。

「そ、そうですよね。ファムファンクからですもんね。宿……分かりますよ。宿……」

 ミーシャは必死になって頭の中で宿場通りへの道のりを思い出した。旅の劇団などが泊まるような宿は、城の左手にある。外国の王家が泊まる宿はさらにその奥だ。ミーシャは一度深呼吸をして落ち着いてから、エリカ姫に告げた、

「このまま、まっすぐです。案内しましゅ……」

「……ありがとうございます。とても助かります」

 ミーシャは顔から火が出るほど恥ずかしかったが、エリカ姫はただ微笑んだだけだった。気を取り直し、姫の先導をして歩き出した。

「すぐそこですよ。大丈夫です……?」

 しかし、エリカ姫はついてこなかった。ミーシャが振り向くと、彼女は足を止め、街外れにある丘の上を見つめていた。

「どうしたんですか? あの丘に何か?」

 草原に覆われた丘の頂上には小屋が建っているが、今は誰も使っていないはずだ。エリカ姫が気に掛けるはずはなかった。

「……いえ、何でもありません」

 エリカ姫はそう言うと歩き出し、ミーシャに従った。

 この時、彼女たちはまだ気付いていなかった。エリカが丘の上に見たもの、正確には嗅ぎつけたものが、二人の運命を大きく左右することを。

3へ続く


サポートなどいただけると非常に喜びます。