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プリンセス・クルセイド #8 【決着の刻】 4

 離れていくタンザナの背中に追いつくのは、思いのほか難しかった。イキシアが腕を掴んだ時には、すでに二人は屋敷の反対側に回り込み終えていた。

「ちょっと……いきなりどういうことですの?」

「あら、イキシア」

 腕を掴まれたタンザナは、そのまま足を止めて何事もなかったかのように微笑んだ。

「貴女もこちらから行くんですね?」

「こちらからって……どちらに向かっていますの?」

「さっき言ったじゃないですか。裏口ですよ」

 そう言ってタンザナは屋敷の裏手を指差した。

「あそこから入るんです」

「あそこって……」

 イキシアはタンザナの指の先を確認した。そこはただのレンガ造りの壁で、勝手口はおろか窓すらついていない。ここから屋敷内に入るのは、余程の無茶をしない限り不可能だ。

「……タンザナ、アンバーが心配なのは分かりますわ。わたくしもそうですもの。でも、そのように取り乱してしまっては——」

「取り乱してなどいませんよ」

 タンザナがイキシアの発言を遮り、人差し指を唇に当ててイキシアの口を噤ませた。

「なっ……」

「私は……私はただ、私のするべきことをする。それだけです」

「……するべきこと?」

 口を噤まれたまま、イキシアは改めてタンザナの顔をまじまじと眺めた。薄紫色の長い髪が夜風に揺れ、金色の瞳が闇に輝く。透き通るような白い肌は、この世の者とは思えない程に美しい。

「タンザナ、貴女は一体……どうするつもりですの?」

 思わず口をついて出ようとした疑問を、イキシアは途中で強引に軌道修正した。さすがにそれを尋ねてしまっては礼儀に反する。ともすれば、人道にもとる行為とも取られかねない。プリンセスであるイキシアには許されないことだ。

「……まあ、見ていて……ください……」

 タンザナの声が、一瞬何かに脅えるように震えた。しかし、屋敷の背面に向かう彼女の足取りは決然としていて、イキシアには黙って見ている他なかった。やがて壁に辿り着いたタンザナは、心を落ち着かせるように深呼吸をする。

「……行きます……」

 そして消え入るような声で呟いた後、屋敷の外壁に触れた。すると、突然レンガが目も眩むばかりの明るさで光り輝いた。光は一瞬のうちに収まったが、そこに元のレンガの姿はなく、代わりに門の様なアーチ状の隙間が現れていた。隙間は屋敷の廊下に繋がり、その道中には丁重にカーペットまで敷かれている。これの隙間が裏口として使用されていたことは明らかだ。

「お待たせしました。では、参りましょう」

「お、お待ちなさい!」

 悠然と屋敷内に入ろうとするタンザナに駆け寄り、イキシアは彼女の腕を再び掴んだ。

「何故……何故この仕組みを——魔術と言うべきでしょうか——知っていますの?」

 イキシアが尋ねると、タンザナはゆっくりと振り返った。

「さあ……何故でしょう?」

 戸惑いが肌で感じられるほどの不安げな声と裏腹に、タンザナは妖しく微笑んでいた。まるで己が己でなくなっているかのような解離的な表情に、イキシアは恐怖すら覚えていた。

「貴女……何者ですの?」

 最早、礼儀も人道も知ったことではない。イキシアは先程飲み込んだ言葉を吐き出していた。それは今ここで抱いた疑問と言うよりも、彼女に出会った時からずっと感じていた謎だった。

「……私はタンザナです。正直なところ、何者なのかはまだ自分でもよく分かっていません。でも、私のことをそう呼んでいた人がいたことは覚えています」

「分かっていない? 覚えている? 一体何を言っていますの?」

「何とか説明はできると思いますが、今はそんなことを話している場合ではありません。アンバー様を救いに行かなければ。何事も終わるまで終わりではないのです」

「で、ですが——」

 イキシアの言葉はまたしても遮られた。しかし、今度はタンザナではなく、屋敷の中から放たれた炎の魔術が原因だった。炎は咄嗟に身を躱したタンザナとイキシアを一瞬で通り越し、遥か後方まで飛んでから自然に消滅した。

「……惜しいわ。あと少しだったのに」

 無念の言葉を口にしながら、屋敷の中から魔術の主が姿を現した。それは青い髪をした、口元にほくろのある女性だった。

「……曲者!」

 その姿を確認したタンザナは声を上げると、虚空から聖剣を召喚し、後方のイキシアとシンクロするかのように同時に鞘から抜き放った。

「曲者って……侵入してきたのは貴女たちのほうじゃない」

 女性はため息交じりに指摘しながら、魔術を放ったばかりの聖剣を構え直した。

「そういうの、言いがかりって言うのよ」

「貴女はメノウと闘っていた方ですね?」

「そうよ。ちなみに私の名前はアレクサンドラ。これからよろしくね」

「アレクサンドラ、貴女は私たちを待ち伏せしていたのですか?」

 タンザナの問いかけに、アレクサンドラは余裕の表情で鼻を鳴らした。

「半分当たりで半分外れ。確かに貴女たちを誘き出そうとはしていたけれども、まさかこんなところから来るとは思っていなかったわ。見回りもしてみるものよね」

「……アンバー様は……無事なのですか?」

「あの小娘のこと? そうね……」

 アレクサンドラの声が急に冷淡になった。タンザナの構える剣が僅かに動く。

「今のところは無事よ。正直かなりムカつく子だけど、生かしておいてあげてるわ。感謝しなさい」

「なるほど……良いでしょう」

 タンザナは一旦会話を止め、それまで押し黙っていたイキシアを振り返った。

「イキシア、この方の相手は私に任せて下さい。先程から言動が不愉快であまり好きじゃありませんし、何よりも……」

 タンザナはそこまで言うと、イキシアに向かってウィンクした。

「今の私では、傷付いているであろうアンバー様の心を癒すことはできません。ですが、貴女ならばそれができる。私はそう感じます」

「タンザナ……」

「アンバー様は地下に居るはずです。屋敷に入ったら、下を目指して下さい。分かれ道が見えた場合は、とにかく進んで下さい。そうすれば、アンバー様の元へ辿りつけます」

「分かりましたわ」

 未だ疑問は尽きない。むしろ会話の度に、謎が増えていく。だがイキシアは、タンザナの真っ直ぐな言葉を、自分を信頼してくれた言葉を信用することにした。そしてお互いに頷き合うと、タンザナはアレクサンドラに向き直った。

「……と、いうわけで……覚悟するのです、アレクサンドラ!」

「……ちっ、生意気な!」

 タンザナはアレクサンドラに斬りかかった。アレクサンドラも応戦し、斬り結んだ箇所から光が溢れて両者を包み込んだ。やがて光が収まり、二人の身体がその場から消滅した。イキシアはそれを確認すると、屋敷に入り、廊下を駆け出していった。

「……アンバー、今行きますわよ」

 屋敷の中は薄暗く、仄かに明かりが灯る程度だった。だがイキシアは、タンザナの言葉と、胸の奥に感じるアンバーの想いを信じ、迷うことなく突き進んでいった。

5へ続く

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