プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 9

 イキシア・グリュックス。マクスヤーデン国王女である彼女の二つ名は、太陽のプリンセス。その名の通り気高く、麗しく、そして情熱的なプリンセスである。

「……熱いですわね」

 しかしそんな彼女でも、当然ながら自分自身がが熱に強いというわけではない。もしも周りを炎に囲まれていたら、滝のような汗が出てしまうだろう。そのもしもが今、現実のものになっている。

「意外と余裕がありますね」

 そう口を開いたのは、イキシアの目の前に立っている女性、ファンファンクの姫であるエリカだ。彼女の右手には、炎の灯った剣、彼女の聖剣が握られている。そして二人のプリンセスの周囲にも、取り囲むようにして深紅の炎が燃え盛っている。これらの炎はすべて、魔術によって生み出されている。だが、ここチャーミング・フィールドでは、本来ならばこのような光景は有り得ない。この特殊な空間内には魔力の源であるエレメントは存在せず、そのためにいかなる魔術も行使できないからだ。イキシアはこの事実を十分に理解しており、昨日はまだまだ未熟なライバルであるアンバーに、わざわざ手ほどきしたほどだ。

(そうだと言うのに……まったく、面目丸つぶれですわね)

 嘆きたくなるような気持ちを抑えながら、イキシアは流れる汗を拭うこともせず、ただ目の前のエリカを見据えた。彼女の赤みがかった髪は、それ自体も既に燃えているのではないかと錯覚させるほどに鮮やかだ。瞳もまた同じ様に激しく燃え上がっているように見え、そこから放たれる視線と、自身の視線とがかち合うだけで、イキシアの中にも熱が生まれる。体中を血液が駆け巡り、鼓動は早まり、呼吸が乱れてくる。そんなイキシアの脳裏に、ふとある諺が浮かんだ。

『心頭滅却すれば火もまた涼し』

 この言葉は、読書家である彼女の友人から教わった言葉だ。

(しかし……この状況下で涼しくなったら、風邪を引いてしまうのではなくて?)

 そこまで考えて、イキシアは思考を停止した。圧倒的に不利な状況下で、せめて頭の中だけでも余裕を見せようとして、ただの現実逃避に陥ってしまったからだ。これはよくないパターンだ。そう感じていながらも、なかなか集中力を取り戻すことが出来ない。眼前のエリカの姿も、どこかぼやけてきた。

「はあーっ!」

 その時、エリカが気合いと共に剣を打ち払い、炎を発射した。

「……くっ!」

 イキシアがすんでのところで身を躱すと、炎は彼女の後方で別の炎と合流した。周囲を取り囲む炎が、迫りくるようにして勢いを増す。最早、このフィールドの庭園のような景色を望むことは敵わず、イキシアの目には灼熱の炎と、それよりも熱く燃えたぎるようなエリカの姿しか見えなかった。

「イキシア、そうやって避けているだけでは勝てませんよ」

(たしかに……)

 エリカの挑発的な忠告を、イキシアは妙に素直に聞き入れてしまった。まだ悪いパターンから抜け出せていないようだ。しかしそれでも、彼女はもう一度思考を始めた。今度は炎ではなく、聖剣の攻略法について考えを巡らせる。ここまでの経緯で得られた推測は、エリカが聖剣を振るたびに空間にエレメントが生み出され、それが一瞬にして炎に変わり、こちらに向かってくるのではないかということだ。チャーミング・フィールドにはエレメントが存在しないのだから、そう考えるのが一番自然だろう。周りの炎が消えずに空間に留まっているのも、これで説明が付く。そして包囲するような陣形を取っているのは、エリカがそのように配置したからだろう。どうやら、ある程度までエレメントの動きをコントロール出来るらしい。しかし、周りの炎で一気に攻めるということは出来ないようだ。

(とは言うものの……)

 だがここまで判明したところで、何か具体的な打つ手があるという訳ではなかった。一つ言えることは、このままでは勝てないということだ。こちらも聖剣の力を使う必要がある。イキシアはそう考え、手の中の聖剣に魔力を込めた。

「武芸十八般! 弓術!」

 そして高らかに叫ぶと、剣が光に包まれ、一瞬の内に弓へと変わってイキシアの左手に収まった。そして弓から別の光が飛び出したかと思うと、こちらはイキシアの右手の中に飛びこむ。光は矢の形に変化し、イキシアはそれを弓に番えると、胸を張って弦を引き、発射の体勢を整える。

「行きますわよ、エリカ!」

「……」

 あからさまな攻撃態勢を取っているイキシアに対し、エリカは微動だにしなかった。もちろん、イキシアには彼女が攻撃を繰り出してくれば即座に反撃する構えがある。エリカはそこまで読んでの行動なのかどうかは、判断が付かない。だが、何もしないと言うのならこちらも自由にさせてもらう。それが自分の流儀だ。イキシアはそう決意すると、弦から手を放した。光の矢が、風を切って飛んでいく。

「はあっ!」

 エリカは剣を一振りし、炎を放って迎え撃った。炎は光の矢を瞬時に呑み込むと、その場に留まって煌々と燃え上がる。

(……やはり)

 イキシアは弓を下げ、光の矢が燃え上がる様子を凝視した。すると、炎が徐々に弱まっていき、再び赤く変色した光の矢の姿が露わになった。赤い矢は飛ぶ勢いを完全に失ったようだが、不気味に空中に留まったまっている。

「お返ししますよ、イキシア」

 エリカがもう一度剣を振った。すると、赤い矢は方向を変え、飛んできた方向、イキシアの元へと戻っていく。

「くっ……」

 イキシアは半身になって攻撃を避け、同時に右手で飛んでくる矢を掴んだ。握った手の中から、強い熱が体に伝わってくる。

「あっつ!」

 思わず声を上げながらも、イキシアは赤い光に魔力を集中させ、手元で分散させて消滅させた。

「わざわざ飛んでくる矢を掴むなど……そのように無意味な真似をして何になるんですか?」

「わたくしは常に本気ですわよ。どのみち、矢を回収しないと弓を変化させられませんし」

 呆れるエリカに答えながら、イキシアは弓を光らせた。

「貴女のその炎。やはり自在に動かせるようですわね。そればかりか、このように物に取りついて操ることすらも可能であると……」

 話しながら、イキシアは弓を槍へと変形させた。

「となれば、下手な飛び道具ではなくこのような武器で闘うのが得策。そうですわよね?」

「そのようですね。槍は剣より強いと言いますし。ですが……」

 エリカが剣を構え直した。

「これで五分になったわけではありません。エレメントの力が破られたわけではありません!」

 エリカが叫びと共に大きく踏み込み、荒々しく剣を振った。一際大きい炎が、勢い良く飛び出していく。しかしイキシアはまるで回避の仕草を見せず、それどころか炎に向かって走り出していった。

「! 何を!?」

「はあーっ!」

 イキシアは走りながら地面に槍を突き立て、同時に強く大地を蹴った。槍が支柱となり、体を宙に浮かせる。そして体が頂点に達する瞬間、イキシアは曲芸師のように身を捩らせ、同時に槍を光らせた。

「なっ……そのような方法で?」

「武芸十八般、鉄扇術!」

 驚嘆するエリカの遥か上方で、槍が鉄の扇へと姿を変えた。エリカの発した炎が、先程まで槍の立っていた虚空を通過していく。上空のイキシアは扇を畳んだまま、大上段から落下の速度と共に打ちおろし、落下しながらエリカの振り下ろされたままの剣を狙う。

「くっ……」

 エリカは一瞬、剣で攻撃を迎え撃とうとしたが、思いとどまりバックステップに移行した。その直後、イキシアが鉄扇の一撃と共に激しく着地する。その衝撃で、辺りに土ぼこりが舞った。

「……槍は囮でしたか。しかし、飛び道具使うのではなく自分が飛び道具になるとは驚きですね」

「プリンセス・クルセイドは直接剣を折らなければ本当の意味で勝利を掴めませんから。それに……」

 イキシアはそう答えながら、扇を広げて優雅に仰いで見せた。

「ここは少し暑いでしょう?」

 イキシアは口角を上げ、不敵に笑って見せた。未だはっきりとした勝利への道は開けていない。しかし、エリカの手を一つ躱したことで、僅かに光明が見えてきた。闘いは、まだまだここからだ。

10へ続く




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