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プリンセス・クルセイド 番外編 【行く者、来る者】

 ウィガーリーの王都エアリッタとその隣の町であるサンドベウスを結ぶ一本道の脇に、一軒の酒場がある。見渡す限り荒野が広がる土地にぽつんと佇むその店は、名を「道の駅」といった。

 その「道の駅」の店主は、大柄で筋骨隆々な体格をした、スキンヘッドの中年男性だ。その威圧的な外見から、一見すると荒っぽい印象を受ける彼だが、実際には教養が高く、懐の深い人格者である(少なくとも彼自身はそう考えている)。店の名前「道の駅」も、彼の愛読書である『銀河よもやま話』という本から取ったものだ。彼の嫌いなものは長髪の男と食い逃げ。しかし、長髪の男が食い逃げをした場合はまた話が違う。大義名分の名のもとにボコボコにできるからだ。

 そんな彼が、午前遅くに店内のカウンターで黙々とグラスを磨いていた頃、入口の扉が開いて一人の客が現れた。

「いらっしゃいませ」

 彼は客を一瞥したあと、磨き終えたグラスを置いてからいつものように淡々と客を迎え入れた。

「こんにちは」

 やってきたのは小柄な少女だった。年は十代、それも前半といった程度で、それももしかしたら多めに見積もっているかもしれない。何せ背丈が低過ぎ、スツール型のカウンター席に着くと足が床に届かないほどだ。間違いなくこの酒場には似つかわしくない。

「何にしますか?」

 だが店主は、他の「道の駅」に来る客と同様に彼女に接した。なぜなら彼は教養が高く、こんな辺ぴな場所に来る少女が只の小娘であるはずがないと分かっているからだ。彼女は首から大きな十字架のアクセサリーの付いたネックレスを着用していて、そこからも何らかの事情を抱えた存在であることが感じられる。

「コーラをお願いします」

「……分かりました」

 少女の注文を聞き、店主は密かにカウンター下の冷蔵庫から取り出していたオレンジジュースの瓶を引っ込め、代わりにコーラの瓶を取り出した。

「……お客様はエアリッタに向かわれるのですか?」

 店主はいつものように、瓶を開けてグラスへとコーラを注ぎながら、少女への接客トークを始めた。

「そのつもりです」

「何か……目的でも?」

「少し探し物を。まあ、見つかるかどうかは分かりませんけど……」

「……そうですか」

 店主は話を切り上げ、グラスに注ぎ終えたコーラを少女に差し出した。彼女はどこかよそよそしく、こちらに心を開こうとしていない。ただ艶やかな黒い長髪(男ではないので店主の腹は立たない)を指でいじりながら、切れ長の瞳に憂いを湛えつつ、店主の質問に儀礼的に答えるばかりだ。教養が高い彼は、無理に話をしないことにした。ちょうどその時、再び入口の扉が開いた。

「ここ……ここなら安全? そうよね、もう朝だもの。大丈夫、大丈夫よ」

 その客は青い髪の女性で、入ってくるなり意味不明な言葉を口走った。

「……いらっしゃいませ」

 明らかに様子のおかしい客だが、店主はやはりいつもどおりに接した。多少様子のおかしい人間が入ってきても、彼は動じない。なぜなら教養が高いからだ

「何にしますか?」

「何にって……? あ、ああ! お店だものね。そう、何にするか……パンジーがいいかしら?」

「それは置いてないですね。ウチは酒場ですから」

 店主は無慈悲なまでに冷淡に女性の注文を却下した。そうすることで、彼女に冷静さを取り戻させようとしたのだ。これも高い教養のなせる業だ。

「え、ええ……酒場。お酒ね。ごめんなさい。私、動揺しちゃってて。分かる? 動揺。すっごく混乱してるってこと」

「分かります」

 店主は黙って女性に頷き、優しくグラス一杯の生姜ソーダを差し出した。

「どうぞ、これはサービスです」

「ああ、どうも……ありがとう」

 女性は生姜ソーダを受け取り、一口飲み込んだ。その際、グラス越しに僅かに見えた彼女の口元のほくろに、店主の心は僅かに揺れ動かされたが、彼は教養が高いのでそれを表には出さなかった。女性は少し息を吐くと、また口を開いた。

「ヴァンパイアなのよ! この目で見たの! 咬まれたの! それで、なんか笑ってて——」

「もう一口どうぞ」

 店主は女性を遮って生姜ソーダを呑むように勧めた。明らかにまだ気が動転しているからだ。ヴァンパイアなど、彼の愛読書である『銀河よもやま話』でも空想上の生物として描かれている存在だ。そんなものを見たと主張するなど、正気の沙汰ではない。

 だがその時、それまで沈黙を破っていた少女が、突然女性に話しかけてきた。

「……ねえ、今、ヴァンパイアって言った?」

「そうよ、ヴァンパイア! ホントにいたの!」

「どこにいたの?」

「あの街は……どこなのかしら? いえ、違うわ。あれは本当はあの街じゃなくて……エアリッタ! そう、エアリッタよ!」

「そう、ありがとう。助かったわ」

 少女は女性の胡乱な話に頷くと、グラスに残っていたコーラを一気に飲み干すと、服のポケットから金貨を数枚机の上に投げ出し、スツールの椅子から飛び降りた。

「ごちそうさまでした、店主さん。これで失礼します」

「ちょっと、お客様……」

 有無を言わせぬ勢いで話す少女を、店主は思わず呼び止めた。

「ヴァンパイアなんてエアリッタにはいませんよ。それに、何かを探してたんじゃないんですか?」

「ヴァンパイアはいますよ。それがエアリッタにいてもおかしくはないでしょう?」

 少女の答えは店主の予想とは大きくかけ離れていた。それを感じたのか、彼女は去り際にもう一言付け加えた。

「私が探していたのはそのヴァンパイアです。私はヴァンパイアハンターですから」

 それだけ言い残すと、少女は勇んで店から飛び出していった。店主はしばらく呆気にとられてその様子を見ていた店主は、自分と同じ様にぽかんとしている女性に気が付いた。

「お客様……何にいたしましょうか?」

「そうか……ヴァンパイアはあの子がやっつけてくれるのね。良かったわね、ジェダイト。私は……まだしばらく帰れないから」

 女性の返答を聞き、店主は黙って生姜ソーダをもう一杯入れ直した。あの少女はおそらくは徒歩でウィガーリーへと向かうのだろう。今からだと到着は夜中になる。泊まるあてなどあるのだろうか。店主の思考は、もはや彼の生活とは直接関係のないところにまで飛躍していた。そうでもしないと、目の前の女性に正面から接する勇気が持てないため、彼はあえてそうしていたのだ。そしてやはりこれも、彼の教養の高さが導き出した結論であった。

プリンセス・クルセイド 番外編 【行く者、来る者】 完

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