プリンセス・クルセイド #5 【魅惑のプリンセス】 3

 突然現れたその女性は、明らかに挙動不審だった。目は焦点がまるで定まらず、瞳が常に宙を泳いでいる。腕はだらんと垂れさがり、足を時折よろけさせては奇妙なステップで姿勢を保つ。端的に言ってしまえば、こうして立っていることがある種の奇跡にすら見えるほどに不安定な格好だ。

「えへへ……なんだぁ、お前。いい年こいて……英雄気取りかぁ?」

 舌が上手く回らないのか言葉を繋ぐことができず、息も荒い。しかしそれでも、声は威圧的に響き、目の前のタンザナを挑発する。

「たしかにいい年こいてますが、貴女のことは見過ごしておけません」

 タンザナは淡々と言い放つと、挑発に乗るように女性に一歩近づいた。

「これ以上狼藉を働くと言うのなら、容赦はしませんよ」

 彼女の後ろで座り込んでいるアンバーには、タンザナの表情を窺い知ることはできない。しかしおそらく、その瞳は女性を捉えて放さないのだろう。対峙する二人の醸し出す不穏な空気に圧され、アンバーは身動きが取れずにいた。隣に立つイキシアは臨戦態勢に入っていたが、やはりタンザナ達を見据えるだけだった。

「ちょっと、これって一体……何事なの……?」

 店内に居る他の人間達は一様に押し黙る中で、アンバーの胸に抱かれていたシンシアが、彼らを代弁するかのように声を上げた。

「アンバー、あの人たちは知り合いなの?」

「……分からない」

 アンバーにはそれだけしか答えられなかった。今朝は分からないことだらけだ。路上で倒れているのを助けたタンザナが、今はここで名も知らぬ女性と一触即発の状態になっている。

「へへっ……ろーぜきだって。ろー……って変な言葉だなぁ」

 それまでも怪しかった女性の発言が、ついに意味を為さなくなった。あからさまに危険な兆候だ。それを自ら証明するようにして、彼女は腰に差していた聖剣を突如として抜き放つ。

「でも……そうだなあ。いっそのことこの店、火だるまにしちゃおうかな?」

 その発想はまるで脈絡が無く、今思いついたことであるのは明らかだ。しかし、彼女は本気だった。その証拠に、彼女の持つ聖剣の刃に赤い炎が灯っていく。

「アンバー、あの人……おかしいよ」

「大丈夫……シンシアもお店もこれ以上傷つけさせないから」

 怯えた目で尋ねてくるシンシアを、アンバーは優しくかき抱いた。同時に、背後から剣が鞘から抜かれる音が聞こえる。メノウが戦闘態勢に入ったのだろう。隣ではイキシアが剣を光らせ、魔術の予備動作に入っている。この次に女性が不穏な動きを見せれば、即座に取り押さえにかかる構えだ。アンバーも立ち上がろうとした。しかし、そのいずれをも制するかのように、タンザナがおもむろに口を開いた。

「火だるまとは……火のだるまですか? それともひだの付いたるま?」

 タンザナはそう言ってしばらく考え込んだのち、女性に尋ねた。

「……るまってなんですか?」

「しるかよぉ……なんか、めんどくせえなぁ。おまえ」

 女性はあからさまに呆れていた。それは彼女だけじゃなく、その場にいた誰もが同じだった。張りつめていた空気が一気に緩み、アンバーは立ち上がるのをやめた。

「……アンバー、あの人もおかしいよ?」

 シンシアが顔を上げ、怪訝な表情で尋ねてきた。

「大丈夫……だと思う」

 アンバーは完全に気が抜けてしまった。イキシアも魔術を放つ体制ではいるものの、アンバーに手を貸す余裕があった。アンバーは彼女の手を取り、今度こそゆっくりと立ち上がった。

「……いずれにしても、この店をよく分からないものに変えさせるわけにはいきません」

 そんな周囲の空気を意にも介さず、タンザナは静かに虚空へと手を伸ばした。すると、腕の先から眩く輝く光が現れた。

「この魔術は……まさか?」

 イキシアが驚いたように呟く中、光は徐々に剣の形へと変わっていった。やがて光が晴れると、そこには一振りの聖剣の姿が現出していた。タンザナはその剣を掴むと、胸の前で構えた。

「ですから、私が食い止めます」

「やはり……転送の魔術か?」

 背後から声が聞こえて、アンバーは振り返った。気が付くと、そこには驚愕に目を見開くメノウの姿があった。

「ええ……そうだと思います」

 答えるイキシアの声も、わずかに動揺していた。アンバーの心境も、彼女たちと二人と大差なかった。たった今タンザナが使用したのは、間違いなく転送の魔術。大量のバイタルを使用するため、何かの媒体を介さないと使えないはずの魔術だ。それをタンザナは、たった今いとも簡単に成し遂げてみせた。彼女の持つ魔力の高さが窺える。

「へへぇ……おまえ、生意気だなぁ」

 しかし、女性は魔術のことなど眼中にないようだった。まったく怯まないどころか、タンザナを睨みつけながら不気味に笑う。

「それじゃあ、こっちもちょっとビビらせてやろうかぁ……」

 そう言って剣をいったん下げると、左腕の袖を巻くり、腕を高々と突き上げた。

「ほらぁ……コイツを見なよ」

 彼女の腕には、赤い蠍のタトゥーが彫られていた。

「……何ですか、それは?」

「……なんだぁ、しらねえのかよぉ。じょーしきのねえ奴」

 タンザナの反応が気に入らないのか、女性は腕を掲げたまま、不満そうにこぼした。しかしアンバーは、そのタトゥーを見て戦慄を覚えていた。

「……ジェダイトと同じタトゥーだ」

 メノウの言葉が彼女の心境を代弁した。父をクリスタルに閉じ込め、アンバーがプリンセス・クルセイドに参戦するきっかけを作った悪しき女性と同じタトゥーが、彼女の腕に彫られている。目の前の女性は彼女の仲間なのだろうか。アンバーの背中を悪寒が走った。

「私の名前は……ラリア。そう、ラリア。へへっ、忘れたかと思ったぁ……」

 女性はヘラヘラと笑いながらそう名乗ると、あたかも相手の口上を促すかのようにタンザナに向かって手招きした。

「私はタンザナと申します。以後、お見知りおきを」

「そうかい……それじゃあ、始めようかぁ!」

 タンザナが名乗った瞬間、ラリアは彼女に斬りかかった。タンザナが自らの剣でその刃を受け止める。刃と刃がかち合う瞬間、光が溢れ出し、2人の女性を呑み込むと、そのまま静かに収束していった。

4に続く


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