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プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #1 【鍛冶屋の娘と王子様】 1

 自室にある長い鏡の前で、アキレア・シュワーブ王子は呼吸を整えていた。別に激しい運動をしたわけではない。体も健康そのものだ。だが何か得体の知れない感情が胸の鼓動を早め、それが彼の息を荒くしていた。

(なんとか……落ち着かなければ)

 アキレアは気を紛らわせるかのようにして身に着けている衣装を再度確認した。今着ているのは面会用の服で、普段着よりも煌びやかな装飾品で彩られている。こんなものを毎日着ているわけではないが、他国の王との会見などで経験しているため、まったく着慣れていないというわけではない。
 では、何故これ程までに緊張するのだろうか。鼓動を抑えるように胸に手を当てながら、アキレアは自問しようとした。するとその時、部屋のドアがノックされる音が聞こえた。

「……王子、少しよろしいですかな」

「ああ、入れ」

 アキレアは鏡から目を離さず、胸から手を離して聞き慣れた声に応じた。やがてドアが開き、やはり予想どおり宮廷魔術師のジュリアンの姿が鏡に映った。

「どうしたジュリアン。面会はまだ先だろう」

「ええ。ですが、少し王子のことが気がかりでして」

「私が気がかり……?」

 思いがけない発言を聞き、王子は眉根を寄せて鏡越しにジュリアンの顔を見つめた。

「何か心配させるようなことでもしたか?」

「いえ……ただ、どこか落ち着かないようでしたので」

「……分かるか?」

「ええ、それはもう」

 ジュリアンはそう言って笑ってみせた。だが、いつものように目までは笑っていない。常に冷静沈着で抜け目ない彼が、そのような油断を見せることは一切ない。

「私としては、いささか疑問に感じるところでして……ジェダイトも捕まったことですし、少しは心穏やかにされているかと思ったのですが」

「問題はジェダイトだけじゃあるまい」

「ほう。ではプリンセス・クルセイドのほうが、あなたにとっては問題だと?」

「そうは言ってないだろう」

 口ではそう否定しながらも、彼の結婚相手を決める聖戦『プリンセス・クルセイド』は、このところ彼の悩みの種になっていた。今の胸の高鳴りも、そのことと無関係ではないだろう。

「……なあ、ジュリアン。本当に私はプリンセス・クルセイドを勝ち抜いた相手と結婚しなければならないんだよな?」

「ええ。少なくとも王子には選択権はありません」

「私には? それは……相手に断られる可能性があるということか?」

 またもや予想外の返事を聞き、王子は顔に安堵の表情を浮かばせた――少なくとも彼はそうしようと試みた。

「どうしましたか? 落ち込んでるように見えますが」

「……何?」

 だがどうやらしくじったらしく、ジュリアンの反応は予想の逆をいっていた。改めて鏡で確認すると、確かにそこには落胆の色を見せる自分の顔が映っていた。

「もしや……ジェダイトと結婚したかったのですか?」

「まさか! そんなわけないだろう!」

 アキレアは素早く、大袈裟に答えてみせた。できればジュリアンのほうを直接向き、目を見て反論したかったが、それでは自分の表情を確認できない。幸い、今度は思いどおりに笑い飛ばせていた。

「冗談ですよ、王子。そもそも、奴の狙いは魔術の杖です」

「だよな。私に興味があるはずもない」

 王子は笑顔のまま相槌を打った。常に厳格な宮廷魔術師が冗談を言うのも珍しかったので、そのことが余計におかしかった。

「まあ……王子との結婚を断れば、その魔術の杖も手に入らないのですが」

「……本当か?」

 アキレアは恐るべき未来が生まれていた可能性を知り、恐怖のあまり一瞬にして笑顔を消してしまった――ような表情を見せた。少なくともそう心がけた。

「どうなさいましたか? 随分と嬉しそうなお顔ですね」

「何だと?」

 アキレアは鏡を見て、さらに直接自分の顔を触って確かめた。ジュリアンの言葉どおり、笑顔は消えてなどおらず、それどころか輝かしい未来が訪れる期待に溢れ、喜びのあまりはにかんでいる――そんな姿がありありと分かった。

「王子、大丈夫ですか? ご気分が優れないのでは?」

「……大丈夫だジュリアン、悪いが一人にしてくれ」

「……そのほうがよろしいでしょう」

 踵を返す直前のジュリアンの顔には戸惑いが浮かんでいた。鏡越しでもそれは明らかに分かった。余計に心配させてしまったかもしれないと心の中で詫びていると、宮廷魔術師はドアに手をかけたところでこちらを振り返った。

「……では王子、これから鍛冶屋に行って参りますので」

「鍛冶屋に? 何のためだ」

 王子は思わず鏡から目を離し、ジュリアンを振り返った。

「……本当に大丈夫ですか? 王子が迎えを命じたのではないですか。ジェダイトを捕らえた鍛冶屋の娘と面会するのでしょう?」

「ああ……ああ、そうだったな。鍛冶屋の娘。確か名前は――」

「アンバー・スミスです」

「……ああ、そうだ。その名だ。では、よろしく頼むぞ」

 アキレアはそこで話を切ると、ジュリアンから顔を背け、背中越しに手を振って彼に退室を促した。

「……心得て」

 返事をして部屋を出た宮廷魔術師の表情はよく分からなかった。無礼な態度で追い払われて腹を立てたのかもしれない。だが、彼に今のアキレアの表情を見せるわけにはいかなかった。

「……アンバーか」

 アキレアは一言漏らすと、鏡の前を離れた。それはついに気持ちを抑えたからでも、衣装を整え終わったからでもない。自分の顔に広がったどうしようもない笑顔を見ないようにするためだ。高鳴る胸の鼓動は、結局それからも一向に止まる気配はなかった。

2へ続く

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