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【創作】ゴールライン

※お世話になっております『週刊ドリームライブラリ』さんの三題話に挑戦した2018年の作品です。お題は「おぼん」「ライン」「ほし」でした。良かったら読んでみて下さい。

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定年退職した良作が、居酒屋「おかめ」に顔を出す頻度も増えた。カウンター席ばかりの小さな店で、気安く飲める。

その日店に入ると、一番奥の席に馴染みの顔があった。痩せて小柄で、髪も髭も伸び放題だが、善人を絵に描いたような笑顔。残り少ない歯も愛嬌である。今では珍しい南海ホークスの野球帽もトレードマークだ。星という名前しか知らないが、気が合う飲み友達と言える。

「おー、久しぶりですね」
「しばらく入院しとったんよ。やっと飲めるようになったわ。あんたが居りゃあせんかなぁと思って来てみた」

小一時間ほど楽しく過ごしたが、やはり本調子じゃないのか、星さんは先に帰った。その後、女将さんがニコニコして、「あの人、知り合いなの?」と聞いてきた。

「えっ!? 星さんだよ! ここで何回も飲んでるでしょ!」
「いやいや、何言ってんの! 私初めて見たよ、あの人」

女将の言葉で、良作は重大な思い違いに気がついた。この店ではなかった。しかも、ここ数年の話ではない。星さんと飲んでいたのは、社会人に成り立ての頃の転勤先、大阪での事だ。40年近い昔になる。さっきの星さんは、その頃の星さんと何ら変わっていない。そればかりか、こっちは変わっているのに、向こうは自然に接してきた……。

そもそも、星さんを見た瞬間気付きそうなものだが、全く違和感がなかった。そんな自分の意識も信じられない。急速に醒めていく酔いの中で、あの人は星さんじゃないんだ、よく似た違う人なんだと、自分を納得させようとするが、とても無理だった。食事も酒も喉を通らなくなり、店を出た。

夜道を歩きながら、考えたくないが浮かんでくる思いがあった……星さん、もう亡くなってる歳だよな。

次の日。あまり眠れはしなかったが、行動する事で昨夜の出来事を記憶の隅に追いやりたいのか、珍しく料理をし、洗濯や掃除もいつもより丁寧にやった。こんな時、独り身で良かったのか悪かったのか。放ってほしい気もするし、話し相手がほしい気もする。

とりあえず、外に出よう。本屋にでも行こう。

ややぼんやりしながら、街を歩いていると、5メートルほど先に、良作の出身高校の制服を着た女子生徒が歩いていた。だが、これもおかしい。制服は何年も前にモデルチェンジしており、最近では見かけなくなっていたのだ。似たような制服もあるだろうが、それ以前に、その後ろ姿には確かな見覚えがあった。

ちょうど、書店のあるビルの入り口で、彼女は立ち止まり振り返った。

「恭子!」良作の記憶通りの人物だった。高校の同級生だった恭子は、愛想が悪く他人の嫌がる事でもずけずけ言うので、クラス内では疎んじられていた。だが、良作とは音楽や映画の趣味が合い、良作自身キツイ事言われてもめげない性格なので、自然な友達付き合いをしていた。しかし、卒業間際に重い病気に罹り、帰らぬ人となっていた。

「きゃあ! 良ちゃん、老けちゃって! オヤジというよりジイさんだな」恭子の笑顔を目の前にし、恐怖心より懐かしさが先に立ち、思わず涙ぐんだ。

「恭子、お前どうしてたんだ」
「へっ? それ聞くの? 相変わらずズレてるね、良ちゃん」

気が付くと、恭子の背後で星さんが笑っていた。「ははは、感動のご対面じゃな。昨日は驚かしてすまんかった。アッチでも飲めるんだが、たまにはコッチで飲みたくなって」

星さんが言う「アッチ」「コッチ」の意味は、もう解っていた。しかし、この世に居ない、しかも繋がりが無いはずの二人が、なぜ続けて現れたのか? お盆の時期は、まだだいぶ先だ。いやそういう問題じゃないか……良作の頭はすっかり混乱していた。

しばらく思考停止状態でいると、書店から慎介が出て来た。大学時代のラグビー仲間で、5年ほど前にガンで亡くなっている。葬式の記憶も鮮明に残っていた。最後は痩せ細っていたが、目の前の慎介は、いかにもラグビーやってましたと言わんばかりの偉丈夫だった。どうやらあの世はある程度“修正”してくれるようだ。

「その節は世話になったな。いきなりでビックリしたろう。俺が説明してやるよ」

傍から見たら妙な取り合わせに見えただろう4人は、近くの喫茶店に入り、やがて慎介が話し始めた。

「おくりびとっているだろう? 俺たちはその逆で、お前を迎えに来たんだ。いや、迎えに来たというよりまずは知らせに来た。その後のフォローもするけどな」

「俺が、もうすぐ死ぬってわけか」

良作の言葉に慎介は重々しく頷くが、いつも冗談を言って笑わせていた旧友の仕草に、良作は、いずれはオチのある話のような気さえしていた。死者と会話を交わしているという異常な状況も、すんなりと受け入れられた。

「人間が死んで、天国に行くか地獄に行くかは、その人物の事をよく知る既に亡くなっている人たちの合議で決まるんだ。まぁ大抵は天国だが。安心しろ、お前もだ。俺たちはそのメンバーから選抜されてお前に逢いに来たんだ」

「俺はいつ死ぬんだ?」
「それは俺たちも知らない。亡くなり方もわからない」

良作は、自分でも意外に思うほど落ち着いていた。全く知らないヤツが「あなたはもうすぐ死にます」と言っているのとは違うのだ。

「こういう事前通告は、決まりじゃない。今回は俺が志願したんだ。俺はガンになった時、もちろんショックだったが、自分が近々死ぬという事で、悟りに近い感情が芽生えた。上手く言えないが、一生懸命生きようという気になったんだ。お前にもその感情を経験してほしい。良作、ゴールラインは目の前だ。最後に力一杯走り切って、トライを決めてほしい」

「それで、俺の人生ノーサイドか……」

慎介は優しく微笑んだ。

「ところで良ちゃん、なんで結婚しなかったの?」恭子が口を挟む。
「えっ? いや理由はないさ、ただ何となく」
「私が居なくなったから?」
「何でだよ!」
「まぁまぁまぁ。いずれにしろ、アッチに行ったら私が面倒見て上げるよ。普通は死ぬまで添い遂げるんだけど、死んでから添い遂げるってのもなかなかオツなもんかもよ!」

恭子の屈託のない笑顔を正面から見ていたら、急に恥ずかしくなり、目を逸らし俯いた。

「そうか。それじゃ恭子の世話になるか」

しんみりとした気分で顔を上げると、恭子は居なかった。慎介も星さんも消えていた。みんなが飲んでいたドリンク類も無い。バインダーに挟んで裏返してあるオーダー表には、良作が飲んだコーヒーしか書かれていなかった。

自分に起きた事が真実だという確信はあった。それからの数日間、何気ない日常が続くが、今まで味わった事のないような平穏な気持ちで日々を過ごした。周囲の風景が色鮮やかに見え、すれ違う人々は皆幸せそうだ。「おかめ」の女将の見慣れた横顔にも、彼女が懸命に生きて来た人生が透けて見えた。

なるほど、天国人口の方が圧倒的に多そうだ。「おかめ」の帰り道、そんな事を考えていると、夜空の一部が赤く染まっているのに気が付いた。その方向に走ると、一軒の家が燃えている。消防車はまだ来ていない。周囲に集まり始めた人々も、まだ行動が取れない状況だ。その家の主婦と思える女性が「リンちゃん、リンちゃん!」とおそらく子供の名前を連呼していた。すると、良作の脳裏に、2階の子供部屋の机の下に隠れている女の子の姿が浮かんだ。周囲が驚く中、ほとんど無意識に、良作は家に入って行った。炎に焼かれても不思議と熱さを感じず、煙も吸わなかった。2階に続く階段には炎は回っておらず、まるで躊躇っているかのように廊下で滞留していた。素早く上がり、すぐに、ぐったりはしているが無傷の女の子を抱き抱えた。階段へ向かおうとしたが、火は既に2階まで来ていた。良作は窓を開け、女の子を胸にしっかり抱き、背中から落ちていった。

身体が粉々になるような、味わった事のない衝撃を受け、意識が急速に薄れていった。ざわめきの中、「女の子は無事だ」とか「おい、気を付けて動かせ」などと聞こえていたが、やがてボリュームを絞るように、周囲の音が次第に小さくなっていった。

深い静寂の中、どれだけ時間が経ったのか、どこかへ向かっているのか、時間や空間の感覚が全く無かった。何となくだが、自分は人間としての実体を失い、意識だけの存在になったんだと思えたその時、

「おーい、良ちゃーん! 起きろー!」まるで、朝ごはんの支度が出来たとでも言うような、恭子の明るい呼び掛けが聞こえてきた。

(おわり)

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