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フーチー・クーチー・マン

【ブログの過去記事】

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『BSR』誌138号「ブルース・ロック特集」の付録CDが面白い。特集に沿ったロック曲を編纂せず、黒人ブルースミュージシャンによる<デルマーク>音源からのピックアップ。いわゆる「モダン・ブルース」だ。マディ、ウルフ、エルモア、サニーボーイと言った戦後大御所ブルースを引き継いだ新世代のブルースである。「モダン」の時期の捉え方が人によって違うだろうが、概ね、年代的には「ブルース・ロック」の方が「モダン・ブルース」より早い。また、ブルース・ロック・シーンは「ブルース」を取り入れようとする姿勢が熱く、モダン・ブルースの方がある意味クールである。だが、モダン・ブルースには、過去の遺産との切れ目のない繋がりを感じる。ブルース・ロックは、異質な素材から新たなフィーリングを生み出したのではなかろうか。だが、音楽をカテゴライズすると大事な事に気づかなくなる恐れもある。黒人・白人、イギリス・アメリカいずれにも素晴らしいミュージシャンは存在するのは確かだ。ここは素直に耳を傾けよう。

今回は、「フーチー・クーチー・マン」。オリジナルは言うまでもなくマディ・ウォーターズ、54年の作品だ。付録CDにはマジック・サムの67年版が収録されている。

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Magic Sam, Hoochie Coochie man 67年

スタートからマジック・サムの世界に入り込む。重厚なオリジナルとは一線を画し、彼特有のテンションが維持されている。聴いていて楽しい気分になる。もちろん、ブルースネスもたっぷり。

それではオリジナルを改めて。

Muddy Waters - Hoochie Coochie Man ( Chess 1954)

なんとも完璧。ストップ・タイムが醸す音の隙間に深遠な暗闇を感じる。サウンド・プロダクションの問題か、演者のフィーリングの問題か、とにかく黒い。ブルースはかくあるべきと語っている。リトル・ウォルターも凄いなぁ。ブルース・ハープ界のチャーリー・パーカーではなかろうか。誰も到達し得ないような表現力だ。いや、「表現力」という表現も何かが足りていない。

さて、ロック勢だが、本誌の曲解説に上げられたミュージシャンをさまざま聴いてみた。62年のアレクシス・コーナーは、ジャズっぽさも感じる。私は、スキッフルというのがよく解らないが、こんな感覚があるのだろうか。ブルース基準で考えると、ヴォーカルとギターが弱いのではと思う。65年のグラハム・ボンドは野卑だがポップ感覚もあり、いわゆるビート・グループらしさが出ている。他、ハードロック系の"音圧"は昔から苦手なものがあるのであまりピンと来ない。音全体の圧力より、マディ単独の迫力の方を好む。

そんな中、エリック・クラプトンの94年作『イン・ザ・クレイドル』でのカバーは流石である。忠実に音世界を再現している。マディの歌唱には及ばないが、歌い口の細かい部分まで雰囲気を出している。これで十分なのだろうが、個人的には違和感がある。前述したような「暗闇」を感じない。近すぎるがゆえに違いが露呈している、そんな印象だ。

今回、聴いた中で最も気に入ったのは、元ジェスロ・タルのミック・エイブラハムス(初めて知った)。13年のアルバムからだ。とにかく素直にブルースに向かっている。ギター・プレイを大仰に感じる人もいるかも知れないが、私はギリギリセーフだ。感情の迸りとして受け止められる。まず、フィーリングありき。マディもマジック・サムも、リトル・ウォルターもそこを外していない。音楽全体に言える事だろうが、特にブルースを自らのサウンドに取り込もうとするなら、鉄則ではなかろうか。

Mick Abrahams..Hoochie Coochie Man 2013年


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