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『水産加工の現場にて、サラリーマンと職人とアルバイトと』

 ※最初に訂正とお詫びさせてください。
申し訳ございません。
次は『塾講師って、どうなのよ?編』と前回投稿にて記述しておりましたが、
時系列の記憶少し違っておりまして、勝手ながら先に、
『水産加工の現場にて、サラリーマンと職人とアルバイトと』を先に書かせていただきますね。
 今後順番通りに投稿するのかとなるとなりますと、時期が重なっていたり複雑な期間もありますので、必ずしもそうはならないのですが・・・。
なんか、こう、今回はスッキリしないのでそんな感じで。塾講師編を楽しみにしていた方、いらっしゃいましたら、次回をまたお楽しみとして、今回は、こちらをお楽しみいただければ幸いです。すみません。

  株式会社トーメン(現在は豊田通商株式会社と合弁)の系列子会社のトーメン水産株式会社が直接運営していた水産加工場。ここが、今度のバイト現場となる。
 時期的には、高校の3年間、高1の夏休みから高3の冬休みまで、長期休みのあたりでお世話になっていた。それぞれの長期休みの間、週2-3くらいのペースで。部活の練習が午前中のみや、早目の夕方とかで終わる日に、帰りに寄って仕事してました。
 当時、水産会社ををやっていた親父の仕事関連の会社で、人手が欲しいとの話を、息子に振ったという流れ。どうせバイトやるならある程度、動向が把握できるところで、と考え、変なバイトを勝手にやられるよりは良いと考えたのか?余分な小遣いせびられるくらいなら、自分で働いて稼いできてもらったほうが助かる。と思ったのか?労働の経験をさせても良い頃と考えたのか?はたまた、自分の仕事の利権を絡めた政略だったのか?
 まぁ父親なりのなにかしらの考えがあったことは、間違いない。
 ちなみに前回までの中学生時代の怪しい⁉(笑)バイトの数々はバレてはいなかったハズ。いや、でも、子の親になってわかるものだが、子供の嘘は分かるよなぁ。分かってて放任してたのかもしれないな。
 そういうわけで今回が初めての、学生〝らしい〟バイトということになる。っと、パートのおじさんや、おばちゃんばかりの現場だったので、そうでもないかな(笑)。
 
 高校時代はラグビー部所属のガッチガチの体育会系。何をおいても部活が生活の中心だったので、そもそも何処かで遊ぶための経費が必要。ということもあまり無く。せいぜい、たまに漫画買ったり、部活帰りの買い食いとか。あと部活のないタイミングで、たまーにデートとかに行く。と、嘘ではない見栄もちょっと張っておく。当時は確か、月に6000円くらいの小遣いだったので、そのくらいの生活だと、そこまで遊びに経費はかからなかったと思う。中学時代のほうがハデな遊びかたをしていたのは、間違いない。それよりも高校時代は、とにかく部活、部活、部活といった生活だった。
 緊急な入用があるわけでも無く、時間やスケジュール的にも、そんな都合の良いバイトなんかないよな。と本気で探してもいない状況の中、親父からの話。何となく、みんなやってるし、いざって時に「金無いから行けない」って言いたくないから、ってための貯金的な感覚だったかな。
  
 その水産加工場は、通っていた高校があった亀戸から、電車で行けば東武亀戸線で、ふた駅の『東あずま駅』というところにあった。学校からは、自転車で10分弱だったので、基本的には自転車で通っていた。だいたい夕方の4時とかに行って、8時までといった感じ。バイト代も時給500円とかの、当時の高校生の平均的なバイト代だった。
 建物の2階に更衣室があって、そこで自分で用意してきた作業用のジャージなんかに着替える。用意されている長靴、防水ゴム製の長めのエプロン、帽子を身に付けて、1階の加工場へ階段を降りドアを開けると、靴底を消毒する水たまり?に足を通して、加工場に入る。
 気温は低め、体感的には18度くらい? 広さは、人が動けるスペースはバレーボールコートくらいだろうか。業務用のでかい冷凍冷蔵庫、でかい寸胴で煮炊きしているスペース、作業用のテーブルなどが、そのスペースの周りを囲んでいた。真ん中にまた、でかい作業テーブル。実際の広さは倍くらいあったのかと思う。ドアがいくつかあって、梱包やラッピング資材の置いてある部屋。別作業や、梱包済のものを一時置き出来る部屋。そこにはシャッターがあって、ドックと呼ばれる、搬入搬出するスペースに直結していた。
 初めのころ、俺に与えられった仕事は、バットやボウルに無造作に入れられた加工済の魚介類を、トレイに綺麗に並べたり、そこにラップをかけたり。スーパーの魚売り場などに並んでいる状態にする作業。そこまでラッピングが仕上がったものを、検品して製品名などの入ったのシールを貼る係は、ベテランっぽいおばちゃんの仕事。タイミングによっては、そのシールを貼られたものを段ボールなどに詰めるのも、俺の作業だった。
 そんな作業に慣れてくると、それらに使う梱包資材を用意したり、出来上がり積みあがった段ボールを、隣の部屋に運んだり、そこから荷積みに来たトラックへ運んだり。と徐々に前後につながる仕事をやっていくように。ここで働いていたのは、全部で15人くらいだったかな、社員として働いているのは加工場におじちゃん2人。事務所に所長1人。他は事務も含めてほとんどが、パートで働いていて、男女比はおばちゃんのほうが多かった。
 加工場にいた社員のおじさん2人は、ずっと水産加工をしてきたベテランのおじさんで、ふっとい腕で冷凍の大きな魚なんかも捌いていたりした。普段、梱包やラッピング作業をしている時はおばちゃんたちと楽しく話しながら手を動かす人だったが、魚捌いている時は、寡黙で人を寄せ付けないオーラのある人だった。仕事にも慣れてきたあるとき、その話をしたら、冷凍の魚捌くときは、生の時とは違って、思わぬほうに包丁の刃が流れてしまうことがあって、なんかあったときも大けがになるから、気を抜けないし、危ないから近寄るな。だからわざと、そんな雰囲気発しているとの事だった。
 さすがに、冷凍魚を捌く仕事まではやらなかったが、海老の加工なんかは、少しずつ教えてもらえて、慣れてきたころには作業全般を任されるようになった。
手順は以下のような感じ。
→今日は〇尾入りを○○パック作るから、と指示受ける
→それに見合った量の冷凍の海老を箱から出し、ビニールついて冷凍の固まりの状態のものをシンク内の大きなボウルに入れて流水かけながら解凍しておく。
→海老処理に必要な道具は、今やっているほかの作業の邪魔にならないところに用意
そこまでやっったら、海老の解凍が済むまで、作業のラインに入る。
→海老の解凍出来たら、あらかじめ確保しておいた作業スペースに、海老と作業道具を用意
→海老の下処理。尖っている部分の角や尻尾の先、髭などをハサミで切り落とす。背の甲殻の隙間にクシなどを入れて背ワタを抜く。背ワタを抜いたあたりに串を打って海老の背を伸ばした状態にする。
→その海老を、塩を入れて湯でボイル。
→ゆであがり粗熱が取れたら、バットに並べる。
→チャンバーと呼ばれる部屋のように中に入れる冷凍冷蔵庫に持って行き冷やす。
→冷えたらパッキング。
こんな流れ。
この加工品は、居酒屋チェーンや、テキ屋さんの屋台などに流れていったのだと思う。


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