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「写真」を考える

「真」なるものを「写」す、「写真」という単語はこの二つの漢字から成り立っている。そこから翻って考えて、果たして写真はその機能を全うしているのだろうか?というのが今回の問いだ。


少し前のこと、僕の留学するポルトガルのコインブラ大学にあるジョアニナ図書館というところに行ってきた。1728年に完成したバロック様式の建築物で、ヨーロッパで最も美しい図書館の一つであるとされている。コインブラの街の中でも特に人気な観光スポットで、キャンパスの敷地内にはそれ目当ての観光客のグループが常にどこかしらにはいるという状況だ。ディズニー映画の美女と野獣の実写版ではこの建物がモデルになったシーンもあるらしいから有名なのも納得だ。そんな名高い図書館だが、コインブラの学生証を持っていれば無料で入れるというのが嬉しいポイントだ。


中はこんな感じ①
引用:https://visit.uc.pt/pt/space-list/joanina


中はこんな感じ②
引用:https://visit.uc.pt/pt/space-list/joanina

内部は豪華絢爛、勉強するには不向きだろうと思えるほど目移りしそうな美しさだったので、今回取り上げたいのはその側面ではない。注目したいのは、内部での写真撮影が禁止だったという事実だ。理由が気になったので調べてみると、内部を飾る金箔や絵画の保存に悪影響があるからというシンプルで納得のいく理由だった。


しかし、こうも考えることができる。写真が撮れないということが図書館自体の価値を少し引き上げている可能性はないだろうか。


現代ではスマートフォンのカメラ機能の向上や、Instagramを始めとした写真付きSNSの発達もあり、素人でもある程度綺麗な写真を収め、それを身近な友人や全世界に向けて共有できるようになった。実際、場所を訪れることよりも、写真を撮りそれをSNSに上げることにより関心を持つようになってしまうという手段の目的化とも言えるような現象が起きているのも事実だ。


そんな現代であっても、写真は「真」なるものを「写」すというその機能を愚直に全うし続けていると僕は思う。性能こそ違えど、200年近く前の発明された頃から何も本質は変わっていない。変わってしまったのは写真の機能を享受する我々だろう。いつの間にか写真に脳のメモリーを任せてしまっていないだろうか?その目で見ることを忘れ、シャッターを切ることに夢中になってしまっていないだろうか?


写真を撮るという行為をする必要がなかった(というかできなかった)ジョアニナ図書館では、普通では気付かなかっただろう細部の装飾にまで目を向けることができた。決してそれが絶対的な正解だとは思わないが、目に焼き付けるというのも案外価値ある経験なのではないかと感じた。これからはもう少し自分の目で見ることを意識してみようと思う。



参考
https://franciskolwisk.blogspot.com/2019/08/por-que-nao-pode-tirar-fotos-dentro-da.html

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