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窓際のおっさん53 部下とは思い通りにならない手足である(4/7) 価値観で人を評価しない 肩書きは道具である

 前回は、上に立っても正しさに固執する困った人達について例を述べ、正しいかどうかを決めるスタンス自体がNGであり、そうした考えの問題者とならないよう(或いは思われないよう)に注意すべきと述べた。
今回は、価値観を評価軸に使わず、部下を一面で判断しないことへの注意と、部下の肩書は道具であるというおっさんの持論について述べたい。

<価値観を人事評価に反映させない>


 価値観は押し付けず、でも一貫したものを表明すべしと述べたが、その塩梅を気を付けていても、上司となるとつい人事評価に自身の価値観を加えるがちである。

 部下一人一人には得手不得手があるのは大事なポイントである。しかしその部下の得意が、上司の価値観に合致しないと評価が振るわないというミスマッチが、日本中で生じてしまっている。

 (1/7)の事務処理の例に戻ると。。。

 例えば、正確な単語を使った確実な事務処理が大得意という人も無論評価してもいいが、その人の価値観だけを絶対評価としてはならないということだ。

 事務処理系はウンザリでも、手先が器用で機械でも何でもすぐ直しちゃう人もいる。
 同様に人当たりが良くて、お客さんや面倒な下請け業者さんとも仲良くやれる人もいる。
 手作業での事務処理精度よりも、情報技術などを駆使して要領よくやるのが得意という人もいる。

 それなのに事務処理が苦手というだけで、容赦なくCランクを付けられたら、これらの部下は大概反発したくなるだろう。特に自身の活躍で持っている現場や案件があれば。。。

 おっさんも何度もそんな評価を受け、時には、

 「得意な部分でAを付けたのだからバランスはとれている」

 などと説明されたこともあったのだが、問題を起こしたわけでもないのに、不得意を殊更低評価にされるとモチベーションが下がって仕方がない。

 まして、どうでもいい価値観の押し付けが発端となって、露骨に上司に嫌われてランクが下がるといったシチュエーションであれば、たまったものではない。

繰り返すが部下は思い通りにならない手足である。


 故に評価も、自分の価値観だけで単純化はできない(してはいけない)ものである。

 会社組織において、安易に狭くて粗い価値観をベースに部下を評価してしまうと、ことごとく嫌われて、信頼を無くす羽目になる。

 これが重大な損害の出る機械操作や、基準が明確な専門能力の発揮、基本的な安全衛生に係る行動や、法律違反、度重なる素行の悪さなどであれば、ある程度の責任も含めて仕方がない部分もある。
 だが、感情労働の部分での価値観の違いは、絶対に評価対象にしてはならないとおっさんは思う。

上は強権的にルールを決めてしまうこともできるので、くだらない感情労働に基づく良し悪しを正統な取り決めの基に評価したと言い張れる状況も作れてしまう。


 正当性を主張ばかりする困ったリーダーの話でも述べたように「理屈」を都合よく紡いでジャッジする様は不公平である。
 
 長い人事評価の歴史の中で、そうした蛮行が続いた結果、最近は人事評価自体、形骸化・非効率とされ、廃止するところも増えている。
 そんな時代なのだから、尚更、こうした不公平なジャッジをわずかでもしてしまうと、今後は大きな問題にすらなってくるだろう。

<部下に付随する肩書は道具であり、道具は正しく認識して使うべし>


 さて、部下は手足であると何度も述べてきたが、決して道具ではないとおっさんは思う。なぜうって変わってこんな話をするのかというと、道具に当たる部分は、部下(或いは上司自身)の肩書に相当し、それが無意識に人物(部下)の評価や向き合い方に影響するすると思うからだ。
 また、肩書とは大別して2種類あると思う。

① 会社での役職など組織上の指揮命令系統としての役割や階級
② 資格や専門など、業務上の専門的役割

 所謂「ポスト」と「専門性」と読み替えると話が早いだろうか。

 一般に係長より課長の方が権限が強い、階級が上であれば組織上求められる水準も上というのが概ね正しい理論だ。また、専門性が高い人には、その分野のより高度な仕事を割り当てるのが合理的でもあるという理論だ。

 しかし、単純作業の単なるうまい下手、早い遅いだけの違いを、ポストや専門性だけで要求するのはどうだろうか?

おっさんの体験を話す。

 ある上司(課長)が「主査なんだからもっと効率よくやれ」とおっさんに何度も詰め寄ってきたことがある。

 職位が上なら当然じゃん、課長が正しいよと思う人も多いかと思うが、主査といっても部下はいないし、ほぼ初めての業務にまだ2か月弱従事という状況だったのである。ようやく仕事の一部を一巡こなした程度で効率どころではない。

 しかもここでいう効率とは「書類の処理速度」「図面の確認速度」であった。

 もしこの効率の話が上級職位らしく、部下の使い方や、人間関係調整についてだったら、不足があれば少々いびられても受けようはある。しかし「ポストが上」であれば「個人としても作業速度が速い」とはなろうはずもない。

 主査という立場は係長級に相当し、それなりの権限や、請け負えるライン業務を持った立場であった。だが係長でなければ、業務内容は主任と大差ない。部下を使って効率の良い仕事を考えられる権限があるならまだしも、多少早く昇進しただけで、いきなり配属されて、部下なしで、不慣れな末端業務をいきなり処理だ。
 その状況で、肩書きを理由に課内最速の処理速度・処理効率を求めるのは、捉え方が誤っている。

つまりこの課長は、主査という「肩書」を道具として見ておらず、剛腕の手足と同義に考えている節がある。



次回に続く

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