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窓際のおっさん45 仕事は辛くも楽しくもない(3/7) 感じ方は人それぞれであり、どう捉えても誤りではない

 前回は、仕事を楽しめるかどうかも個性に過ぎないと述べ、その考え方を④つ述べ、①つを詳述した。今回はその続きの②~④について詳細述べ、仕事という概念をどうとらえても誤りではないと強調しておきたい。

<そもそも仕事に楽しさを求められるのか? 続き>



② 満足度は人によって温度差がある
 ビジネスを起こして、問題解決して、社会にインパクトを与える事で満足感ややりがいを感じられること自体は否定しない。が、温度差は様々だ。大金持ちになっても割に合わなかったと感じる人も居れば、好きなことさえできれば一文無しで良いという人も居る。
 また、サラリーマンにしても個人事業主にしても、例えば得られる果実として、顧客の喜ぶ顔、町が変わっていく様、人と人がつながる喜びといったものがあるが、ここから得られる満足感は、人によって全く異なると思う。
 にもかかわらずひとくくりに「やりたいことをやればいい」と言い切ってしまうと、計算が合わなくなる人が沢山出る。
 面倒な仕事だが、ささやかな既得権益によって富を得て無理なく生きている人もいる一方で、折角得た大金を全額投資してガンガン新規事業開発をする人も居る。
 どちらがいいとか正しいとかではなく、それはその人に合った生き方の選択に過ぎない。

③ そもそも仕事したくない、仕事は何処まで言っても仕事でしかない
 仕事と名を冠するもの全般に拒否感を感じる人も居る。人と関わる事、お金を数える事、何もかもが嫌な人も割といるのだ。
 それでニートなどになって生活に困ってしまうと、現代においてはさすがに「怠惰すぎる」「問題のある人」と言わざるを得ない面もあるが、本当にトコトン嫌いなら、その価値観自体はやむを得ない所でもある。そしてこういう人に好きなことを探せということ自体が難しい気もする。
 また、最初のキャリア選択の誤りで、何十年と渋々好きではない仕事を続けている人も案外多い。例えば男性ならエンジニア、女性なら薬剤師や看護師のような資格を取って「食いっぱぐれのない子を育てる」を志向した親も多いだろう。
 あまりにも嫌いなら本当に辛いのだが、案外人は順応できるもので、仕事は仕事と割り切って、その結果幸福に生活している人はたくさんいる。
 だが、順応してそれなりに幸せになることに適応できた反面、今更「好きなことを仕事にすればいい」という考えに共感できない人達とも言える。
 「好きを仕事に? そんな夢が叶っていたらとっくにやってたさ!」
 「いままでガッツリ生きるために働いてきたんだ、今更好きなこと探しなんて疲れちゃったよ」

 こんな意見が、こういう人達には多いように思う。間違っている、諦めていると評する人もいるが、そんなことはないとおっさんは思う。好きなことで生きろなどと調子の良いことを言ってそれ以上踏み込むのは、その人の長い苦労全てを否定することでもある。

④ 仕事とプライベートの垣根を分けるといったメリハリが、かえって幸福
 別に裏表があるわけではないが、オンオフ切り替える事で幸福を感じられる人も居ると思う。切り替えると両方が充実して気持ちが良いのだと。
 根本的に職業選択とは関係が無く、単にメリハリの問題ではないかと思う人も居るかもしれないが、案外この分けをクッキリ選択できる職種や会社、立場は希少だ。
 例えば社長をやっていると、SNSで遊んでいる姿を晒しただけで色々な反応があって落ち着かない。政治家などの公人や、芸能関係の人も同様だ。
 また、創作の仕事はそもそも仕事とプライベートの垣根が存在しない事もある。レジャーも日常生活も、ある意味仕事の肥やしであり、貴重な経験になる。
 軍隊や、カッチリかつドライな会社組織でも、最近は案外、仕事とプライベートが混ざってしまうことも珍しくない。特に自宅待機や、電話だけはオンにしておけといった業務命令が平気で下る我が国においては、メリハリがままならない。
 そんな中で、幸運にもメリハリのある仕事に就けたとしたら、本人にとっては、それも貴重な、維持すべき条件になっても不思議ではない。
 子育てや、プライベートの計画も非常に立てやすい。多少の好きな仕事が来たとぐらいでは、仕事の変更を蹴ってしまうのではないだろうか。

 このように、仕事は楽しんでやるものだと言われても、そもそもあらゆる「仕事」と名の付くものが、各々の事情に伴うアプローチの違いによって、好きになりようがないという現実がある。

 昨今は「ポジティブシンキング」「マインドセット」といったキラキラした洗脳用語と相まって、仕事を割り切って捉えることすら次元が低いと考える人、嫌々やっていることを後ろ暗い発想だと揶揄する人、楽しめないのは能力が低いからだと主張する人など、思想が極端な困った人達が、沢山現れているようにも思う。

 大成功した有名な経営者が、大声で自身の成功体験について啓発するだけなら、言論の自由でもあるし、多少は参考になる点はあるので構わないとは思う。

 しかし、そうした人に過剰に感化されて、それ以外の生き方を誤りと捉えるのは、無謀な早合点でしかない。

次回に続く

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